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ジャバラのまど Vol.26 兵役逃れとアコーディオン弾き

ウクライナとの戦争において、事態の打開を模索するロシアが出した動員令。いわゆる徴兵です。そのせいですっかり死語になっていた「徴兵逃れ」や「兵役逃れ」という言葉がよみがえり、人々の口の端にのぼるようになりました。まったく21世紀だというのに、時代が巻き戻ったようで暗澹とします。
「兵役逃れ」というと、私には思い出されるアコーディオン奏者がいます。ディック・コンティーノ。1940年代にアメリカで活躍したイタリア系の奏者。甘いマスクに超絶技巧の「アコーディオンを弾くヴァレンチノ」。ロックが生まれる前、アメリカではアコーディオン奏者はロックスターとアイドルを合わせたような存在で、彼の行くところには女の子たちの黄色い声援の嵐。1950年当時の彼の演奏の様子を見てみましょう。

さて、当時はまだアメリカに兵役があり、彼も上記の演奏の翌年に召集されます。しかし、怖くなった彼はあろうことか逃亡。その罪で半年ほど収監されることになりました。それがスキャンダルとなってそれまでの人気も名声も掻き消え、「兵役逃れの卑怯者」と後ろ指をさされる身に。ときは1950年代。ロックンロールが生まれ、あっという間に若者文化を上書きし、出所した彼がなんとか活動できるようになったころには、アコーディオンはすっかり時代遅れになっていました。せっかくの超絶技巧もナツメロ扱いされる中、楽器抜きの俳優の仕事などもやるようになって、1958年「Daddy-O」というB級コメディ映画に主演します。
以下は映画のワンシーンより。ロックンロールを歌うコンティーノ。

当時その映画を観ていた中に、もうひとりの兵役逃れがいました。ジェイムズ・エルロイ。映画「LAコンフィデンシャル」の原作で知られる小説家です。世間の目を恐れるあまり犯罪者同然にまで落ちぶれた自分に比べ、コンティーノはこんなに「レベルの低い」(注:エルロイ談)映画に出て楽しそうにしている。なぜこんなに人生への態度が自分と違うんだろう…と、ずっと心に引っかかったまま大人になったエルロイは、90年代初頭に小説の取材を口実にコンティーノと会うことになります。(エルロイは、のちに彼をモデルに「ディック・コンティーノ・ブルース」というノワール小説を上梓。その前書きにこの邂逅のことが詳しく書かれています。※短編集「ハリウッド・ノクターン」に収録。)

世間という恐怖にどう立ち向かったのか。そんなエルロイの問いに対しコンティーノは、
「恐怖が人を好きになることを教えてくれた。恐怖は孤独の中で育つ。聴衆との壁を取り払うと世界は広がる」
と答えています。「世間」や「聴衆」という一つの固まりではなく、その中にいる「人」を見て、「人」を好きになることで乗り越えたということでしょう。
コンティーノはステージを中心に演奏活動を続け、2017年に亡くなります。こちらは2008年、78歳のときの演奏です。

基本的に朗らかな演奏スタイルの彼ですが、1950年の笑顔と2008年の笑顔との間には筆舌に尽くしがたい葛藤があったのだなあ…と思いながら観ると胸が痛い。
なお、実はコンティーノは最初の徴兵逃れ事件の後、朝鮮戦争には素直に従軍。ずっと逃げ回っていたわけではないことは彼の名誉のために補足しておきます。
まあ、何にしてもアコーディオン弾きが徴兵されるような時代って間違ってますよね?

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