他人がいつまでも頭にいるハナシ

上書き保存って,何のためらいもなく押せるだろうか?

あのフロッピーのマーク。私は,迂闊に押せない。

意識がぼーっと定まらない時でもないと。だから更新データがたまっていく。

日常でも同じなのか,モノや思い出は捨てられない(旅先のパンフレットとかもらった写真とか)タチで。

そのくせ,過去ファイルのように乱雑に一か所のフォルダに突っ込んでいるだけなので当然たまるし,忘れる。そしてストレージを圧迫する。


忘れたころに整理を始めると,光を受けて被ったホコリが舞い踊る。

そのゆったりしたスピードで浮かんできた思い出に,鋭く抉られる。

何年経っても。頭の隅に潜んでたはずの他人が色濃く浮かんでくる。より艶やかに。生々しく。

人生を共にしようと思い合っていた人に,別れを選択させるような状況を作ってしまった事はいけないと思う。と,悲劇のヒロイン風に自虐的に自分の殻に閉じこもっていると,とても楽なのだ。悪いのはすべて自分でいられる。すべて自分でコントロールしてきたかのように,それまですべて正しかったかのように傲慢でいられる。自己完結できれば,相手のことをそれ以上考えなくて済む。何が具体的に悪くて相手はどう思って,そういう結果になったのかそれ以上考えなくて済む。向き合わなくて済む。だから楽なのだ。

でも,思う。それでは,あんまりではないか。楽しかった時間に。間違いなく恋し愛したあの頃にあの人に。

自戒の箱を開けるたびに,鋭く抉られる。浅はかさと愚かさに。

上書き保存は,やっぱり,怖い。

でも,忘れるよりいい,無くなってしまうよりいい,と思う。

キラキラした思い出も,大仰な言葉の割に浅い人生訓と自戒も。他人を通して形成された私が私だ。濃く交わったが他人が常にいて私だ。

LINEの返信が来ないとか,他人に対する,感情を今日も抱えて,夢に溶かしていく。自分だけの夢に。

他人が,いつまでも頭にいるのも,悪くない。

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