べき論で苦しみたくない
するべき、すべきって言葉
時としてトゲになると思った
映画鑑賞マナーで
作品の上映中には
スマホは電源オフにするべき
みたいなのは
個人的に全然違和感を抱くことはない
「自分はこうするべきだと思うから、あなた(たち)も絶対にこうしなきゃダメ」
という
一方的に義務感の押し付けを行う人や他人の行動を抑制しようとする人は
一定数いると感じる
なぜ個人のそうすべきという考えを他人に強制するのか、
そもそもなぜそうすべきだと思ったのか
きちんと説明をうけてしっかり納得した上でじゃないと、ただやらされている感が出てしまい気分が良くないこともあるかもなと…
話し合いってほんとに重要
言い方も大事
言葉にトゲはやさないでおくれ
べき論で色々わーっと言われてしまうと、
受け手側は自分の今までの考えや行動全てを否定されたと思う人もいるかもだし
他の手段を考えるという行為を断つことになってしまうのはもったいないかなって思う
以前勤めていた職場に
これはこうと決まっているから!
と、謎のルールに縛られて
臨機応変さが皆無の人もいた
今思うとあの方は、
自分で考えて動くという行為を捨てていたのかなぁ
それはそれで楽なんだろうか…
色んな人がいますな
個人の"すべき"という考えを押し付けることのないべき
というべき論を今この記事で言っている気がするが、
なんとなくそうだとも言いきりたくないので
自分は臨機応変にいきたいです
それが難しいんだけどね
自分は良くも悪くも曖昧な人間なのです
自分が100%正しいとか思わないです
ただ自分が今こう考えてるって事実があるだけで、そんな考え方ありえないだろって不快感をしめす人も中にはいるんだろうなとは思ってます
その人の感情や考え方は
その人の中で自然と芽生えるものなのかな〜と勝手に思っているので、それは仕方ないことなのかもですね
あからさまに誰かを攻撃するような行為は全人類やめてほしいですけど
とにかく
自分のすべきという考え方で、
自分も他人も苦しくならないようにしたいです
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