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妊娠27週目に切迫早産と診断され、48日間入院した話。

こんばんは、しおんぬです!
先日安静解除されてからというものの、近場の飲食店や買い物へ行けるようになった嬉しさを日々噛み締めております。
歩いていたら多少お腹は張りますが、もう少しで出産だし!ということで今は少しでも体力と筋力をつけるという意味も込めて毎日5000歩以上を目指して動いています。

前回の記事は、派遣社員だからこそぶち当たった雇用期間の話について書きました。

そして、出産前の怒涛のnote更新も一旦この記事で終了となります!
思い返せば不妊治療に関する記事を書き始めたのが、去年の10月でした。
その頃は、「産休に入ったら全部の記事を書き終えて、ゆっくりダラダラ過ごすんだろうな〜」なんて余裕に思っていましたが‥
表題の通り、2022年12月末に入院をしました。
今回は27w0dで切迫早産と診断され、自宅安静
28w2d〜35w0d 入院(48日間)
35w0d〜37w0d 再度自宅安静
37w0d ようやく安静解除となった話を書きたいと思います!

1.「明日から仕事を休んで、自宅安静してください」

2022年12月21日。
当時の職場は、水曜日に比較的業務が落ち着いていたので
妊婦健診はほぼ水曜日に休みをとって行くようにしていました。

この日もいつものように出産予定のクリニックへ朝からバスで向かい、
妊婦健診では毎回ある検尿と血圧・体重測定を済ませて待合へ。
経腹エコーでお腹の子が順調に育っていることを確認し、助産師さんに
「年始に両家の両親と逢う予定があるんですが、お腹の子の性別って本当に男の子で大丈夫ですかね?」
なんて呑気な質問をして、改めて確認してもらったりしていました。

妊娠27週目になっていたので、この日は中期の検査ということで
「内診と採血があります」と事前に案内されていました。
経腹エコーの後に、内診のある部屋へ通されます。
余談ですが、不妊治療をしていた頃は通院の度に内診台に乗っていたので、今では最早無の感情で内診を受けています。笑

内診を受けた際に先生が「あれ‥子宮頸管が短いな、、」と仰っているのが聞こえます。
その後診察室で先生から「子宮頸管が短く、切迫早産ですね。明日から仕事を休むか辞めるか出来ますか?」と急に言われます。
いやいや、産休と育休が取れるようにやっと調整してもらった職場なのに辞めろって何言ってんだこの人‥と思いましたが、、、
「なるべく安静に過ごしてもらわないと、すぐに産まれてしまいますよ」と付け加えられます。
休めないなら、大きな病院へ入院する可能性もあるとのこと。
こちらとしては、寝耳に水状態で状況も全く把握出来ていなかったのですが
「一先ず、休めるか交渉します‥」と伝え、診断書の作成をお願いしました。

その後、採血をして助産師外来で先生が仰った自宅安静とはどういうことか質問しました。
・基本的にベッドで横になる、食事やお手洗い・お風呂以外は立ち上がらないようにして下さい
・お買い物や家事も旦那様に任せて下さい
・入院するより自宅で安静にしている方がよっぽど精神状態も良いと思うので寝ていて下さい
ということでした。
「お腹が張っているの、わかりますか?」と聞かれましたが、自分では全くわかっていませんでした。

一先ず、頭の中が真っ白になりながらも年始の帰省予定や義実家へ行く予定をキャンセルしたり、翌日からの仕事を休めるのか担当営業さんへ連絡したりを開始しました。
突然のことで動揺しながらも、翌日以降どうやって過ごそうか‥と夫に相談しながら帰宅しました。
これまで切迫早産についての知識が無かった私たちは、色んな現実を知ることになります。

2.自宅安静からの入院生活スタート

さて、急な自宅安静が始まりました。
仕事については、診断書が出ていたこともあり翌日から、一先ず年内いっぱいはお休みにしましょうという話でまとまりました。(仕事納めまで後1週間くらいでした)

家庭のことについては、年末年始や日々の買い物・大掃除も途中だったのですが、全て夫に任せなければならず…あれもこれもとお願いしてばかりでとても申し訳ない気持ちになりました。
料理については夫が料理教室に少し通ってくれていたこともあり、私は椅子に座りながら一緒に作るようにしました。
日々の掃除については、どんな流れで行なっているのか説明して各所のやり方を覚えてもらいました。
そして、そもそも切迫早産って何よ??ということでとても検索魔になりました。
簡潔に言えば「早産の一歩手前で、このままだと産まれてしまう状態」ということのようです。

自宅で安静にしてから6日後、再度クリニックで経過の診察がありました。
その日も頸管長がやはり短く…自宅安静が始まったタイミングで処方されたリトドリンという薬の服用頻度を増やすように指示があります。
このままだと入院の可能性があるとも伝えられ、次回は12/30に再診となりました。
そこからは、入院になった時に必要な物を調べてはバッグに詰める作業も開始しました。
出産での入院準備ではなく、切迫早産での入院準備をすることになるなんて全く予想していなかったので
急いでマタニティパジャマを買い足したり、「お風呂に入ることを制限される場合もある」と見てドライシャンプーを購入したり…自宅で無事に年越し出来ることを祈りながらの入院準備でした。

そして12/30に再診。
NSTでお腹の張りが確認出来ないものの、内診をして時間が経つと子宮頸管が1cm程になることが確認されました。
このままでは早産で赤ちゃんが産まれてしまう可能性が高いとのことで、入院が決まります。
どこか自分は大丈夫だろう…!と思っていたので、かなり落ち込みました。
先生曰く「35週まで耐えられたら、うちで出産出来ますからね!」とのこと。
この言葉がその後、入院中の私にとって大きな支えでした。
先生と相談して区内の大きな病院に入院することになり、救急車が呼ばれクリニックの助産師さんが付き添って下さいながら運ばれました。
夫には自宅に置いていた入院バッグを持って病院に向かってもらいましたが、会う事が許されず…お昼にクリニックへ出掛ける前に話したのが最後になってしまいました。

病院に運ばれると、色んな検査や問診がありたくさんの書類にサインをしました。
そして、今後退院近くまでずっと苦しむことになるリトドリンの点滴が左腕に刺さります。
救急で搬送された私を診てくれた先生は「34週〜35週くらいまで入院の可能性が高いです」と私や夫に説明されました。
その時点で、まだ28週2日。。。
約7週間という、長い長い入院生活の始まりでした。

3.入院生活は辛いよ(MFICU編)

私が搬送された病棟は、産科・婦人科の病棟なのですが
まずコロナの検査が陰性であることがわからないと通常の部屋に移動出来ないようで、一旦仮に分娩室に通されました(その時はよくわかっていなかったですが笑)
全ての検査が終わり落ち着いたのがもう18時前で、すぐに夕食が運ばれ
気持ちがザワザワしながらも温かいご飯が食べられることに、少し安堵しました。

看護師さんから消灯が21時で起床は6時であること、今病院が年末年始休暇に入っているので本格的な診察が1/5以降になること等が伝えられます。
シャワーに関しては、毎日入って良い指示にはなっていたようですが
その日はもう消灯時間が近かったので翌日入るようにし、身体を拭いたり着替えたりして横になりました。
ただ、状況が状況なので全く眠れません……
病院内はとても暑くて乾燥しているし、急な入院に気持ちが落ち着かず…ずっとスマホを触りながら泣いていたように思います。
それでも、疲れからか時折ウトウトしましたが、あまりまとまって寝れないまま大晦日の朝を迎えます。

起床時間になり、看護師さんが電気をつけにいらっしゃいます。
(それまでも点滴のチェックで、2時間毎に誰かは見にきてましたが)
追加の採血などが朝イチからあり、朝食後にNSTをして、コロナの検査が陰性だったことがわかり本来の部屋にやっと移動…!
そこで状況を理解するんですが、私がいるのはMFICU(母体胎児集中治療室)でした。
横並びにベッドが並んでいて、通路?廊下?を挟んで分娩室とナースステーションがある不思議な構造。
一先ずベッド脇の棚に必要そうな荷物を入れてみると、思ったより不要な荷物が多いことに気づいて午後に夫が荷物を持ってきてくれた際に持ち帰りをお願いしました。
お昼頃にはシャワーもようやく浴びられて、自宅だと当たり前の行為にこんなに感動するなんて驚きました。精神状態が既におかしかったのかもですが…
そんな感じで1日を終え、2022年が幕を閉じます。

いつもなら自宅で夫と一緒に迎えていた年越しですが、入院先のベッドの上で新年がスタートします。
入院中の1日の流れは、
・6時 起床
・8時の朝食までに看護師さんのラウンドがあり、検温・血圧・赤ちゃんの心音チェック
・8時 朝食
 日によってNSTがある(私は大体2日に1回でした)
 1/5以降は日によって診察に呼ばれる
 MFICUにいた間は、午前中割と暇だったのでシャワーに行くことが多かったです
・12時 昼食
・15時のおやつまでに検温・血圧・赤ちゃんの心音チェック
・大体この辺りで点滴更新
・15時 おやつ(産科だけなのかな)
 日によっては経腹エコーなどに呼ばれる
・18時 夕食
・19時台くらい 検温・血圧・赤ちゃんの心音チェック
・21時 消灯
という感じです。

MFICUは、上記の通り一般病棟と違って分娩室が近くにあるので
消灯の後でも音が聞こえたり灯りがついていることが多く、、日によっては全然眠れません。。
暫くはホットアイマスクをつけたり、ノイズキャンセリングイヤホンをつけて眠るようにしていたのですが
日中何も無い時間にウトウト眠っていることが多く、夜中目が覚めてしまうこともしばしば。
うまく眠れた日が殆どない日々がずっと続いていましたが、入院から2週間目の日にようやく一般病棟へ移れることになりました!
(どうやらMFICUの管理料が取れるのは、2週間まで?だったようです)

4.入院生活は辛いよ(一般病棟編)

一般病棟に移動した際、(個室は料金がかかるので)大部屋を希望して私は4人部屋に通されました。
幸いにも1番窓際のベッドだったのでカーテンを開ければ外の様子が見えます。
ずっと周りがカーテンに囲まれている空間より、眺めるものがあるだけでも気分が良かったかもしれません。
部屋を移動してわかったのは、MFICUはかなり特殊な空間だったことです。
大部屋は、同じ部屋の方が発する音や光が気になることも時折ありましたが
部屋外の音や光で起こされることは殆ど無く…安眠出来るようになりました。
それだけでも、かなり精神状況が変わったように思います泣

一般病棟での1日の流れはMFICUにいた時とほぼ変わりませんでしたが、シャワーの時間は午後にしたり午前にしたりと点滴状況に左右されるようになります。
というのも、どうやら私の血管は細くて曲がっているらしく…
尚且つ点滴の針が刺さっている箇所が、1日2日で大体腫れてしまうんです。。。
腫れると刺す箇所を変更になるんですが…両腕の刺せる箇所からどんどん刺さっていくので、以前刺した箇所がまだ治りきっていないんですね。
この刺し替えが本当に苦痛で……針を刺すタイミングがめちゃくちゃ痛いんですよ、、、
でも頻回に刺し替えはあるし、段々刺せる箇所が無いので看護師さん達も1回で刺せなくなっていく…
シャワーに入って身体を温めて血管が良く見えるようにしてからの刺し替えが増え、入院生活後半は殆どシャワーは刺し替えの為に入っていました。

日によっては看護師さんが3人くらい変わったり、6-7箇所刺されてもダメだったり…時には手首に刺されて激痛で泣きそうになったり、、、本当にずっと点滴が辛かったです。
腕もどんどんボロボロになってしまいましたし、刺さっている腕は動かし辛いので、Switchでポケモンをしていてもやり辛い時がしばしばありました。
リトドリンの点滴は、24時間繋ぎっぱなし。
入院当初は1番少ない量である2A15ml/hだったんですが、NST中に点滴の刺し替えもあったせいか非常にお腹が張った日があって…
そのタイミングで子宮頸管もぐっと短くなっていた為、流量が増えることとなり、その後は2A20ml/hで1ヶ月以上ずっと繋いでいました。
点滴が始まった当初は動悸や火照りが凄かったのですが、次第に身体が慣れて寝る時にアイスノンがあれば1日は凌げるようにはなりました。
妊娠していると身体が熱くなりやすいようですが、病院が本当に暑くて冬なのに毎日アイスノン枕を借りて寝ていました。。。

入院生活が1ヶ月を超えた頃、都内のコロナ患者数が減ったこともあり
面会制限が緩和され、たった15分ですが面会が出来ることになりました…!
夫とは毎日LINEでやり取りしていましたが、結婚してから1ヶ月会わなかったことなんて初めてで‥
今だから言えますが、面会に来てくれた時は少し泣きそうになってしまいました。
夫は私が入院中1人で自宅のことを頑張ってくれていて、毎週のように病院へ荷物も持ってきてくれていましたし、仕事も忙しい中で本当に大変だったと思います。
夫側がどうだったかのnoteも書かれているので、是非合わせて読んでみて下さい。

5.いよいよ退院・再度の自宅安静

夫が面会に来てくれた頃、妊娠33週目に入りようやく退院についての具体的な話が出てきました。
私は最初で最後の出産になるだろうと思っている為、入院している病院での出産を希望していなかったので(建物や設備が古く、24時間での無痛も出来ない、立ち会い出産も出来ない環境では産みたくなかったです)
元のクリニックに戻れると言われていた、35週をずっと目指していました。
ちなみにその頃の子宮頸管は1cm以下になり、0,7cmくらいかなと言われていました。

34週に入る頃に主治医の先生がクリニックへ連絡をして下さり、退院予定日は35週目に入る2月15日にしましょうということが決まります。
退院予定日の前日に点滴をオフにする為、その前日から点滴の流量を下げる話が出て来ました。
この頃もう点滴を刺している箇所が1日も保たないことが増え、尚且つもう刺す場所が手の甲や足じゃないと難しいのでは‥と点滴が上手な看護師さんたち(もう得意な方じゃないと刺せなくなっていました汗)に言われていたので、
点滴が外せる可能性があると聞いて本当に嬉しかったです。

ですが、点滴の流量を減らしたりオフにする(内服に変更する)ということは、お腹の張りが強くなり陣痛に繋がる可能性もあるということです。
正直とてもドキドキしていましたが、ここを乗り越えないとクリニックで出産出来ないので‥
安産祈願のお守りに祈ったりお腹に手を当てて「計画無痛分娩の予定日までお腹に留まってねー」と話しかけたりする日々でした。。
そして、2月13日に点滴の流量が下がり、2月14日に点滴オフとなり…遂に2月15日‥妊娠35週目に退院出来ました、、、!
もう1日早ければ夫の誕生日と結婚記念日を一緒にお祝い出来たので残念でしたが、それでも退院出来ることが本当に嬉しかったです。

退院が朝に決まり、お休みをとってくれていた夫にお迎えを依頼し、入院費の清算や忘れ物が無いかのチェックが入り、お昼前にはようやく帰宅出来ました。
シャバの空気はとても美味しかったですし、病院の外はとても寒くて驚きました!
そして、年末ぶりに帰宅した自宅は「あれ、こんな感じっだっけ?」と不思議な感覚になり、、、笑
退院したその日の午後に出産予定のクリニックへ診察にかかることになっていたので、昼食や荷解きをバタバタと済ませて向かいました。
クリニックでは後期の妊婦健診があったので、また採血や内診があったのですが
子宮頸管はほぼ無く、子宮口も2cmとか3cm開いているよと言われます。
つまりいつ産まれてもおかしくない状態は相変わらずということです。。

先生曰く「早い人だと、今日診察の後家に帰って夜に症状が出て戻ってくることもある」のだそうで「破水、出血、陣痛と何かあればすぐにクリニックに電話してね!」と言われました。
正期産まであと2週間だったので、内服のリトドリンは継続となり、再度自宅安静をするように指示がありました。
でも、あの辛かった入院生活に比べたら‥自宅に居られる喜びは本当に大きかったです。
喜んで再度の安静生活を送りました笑

幸いにもお腹の子が留まってくれているお陰で、その後週に1回は妊婦健診でクリニックに通っていましたが
破水出血陣痛の症状も出ておらず、無事に正期産である37週を迎えることが出来ました!
入院中で出来なかったタスクも、自宅安静になってから少しずつ消化していましたが‥37週以降は安静も解除され、徐々に外出しても良いと言われてたので
出産前に美容院や歯科へ歯のクリーニングへ行ったり、病院食ばかりだった1ヶ月半を取り戻すかのようにファーストフードや焼き肉・ラーメンを食べたりと楽しんでいます。笑
安静生活が長すぎて体力と筋肉に不安があるので、毎日なるべく歩くようにしていますが本当にすぐ疲れてしまいますし妊娠後期だからか朝食や昼食の後によく眠ってしまいます。。

でも、もう少しでお腹の子に逢えるのかと思うと…不妊治療期間も含めて約2年。
本当に長い道のりだったなあ、よくここまで来れたなあと感慨深いです。
特に切迫早産と診断された後からは、何度も「もう今日産まれてしまうんじゃないか」と思っていたので、無事に正期産で出産出来そうなことが今本当に嬉しいです!
本当は入院中の話をもっと色々と書きたいと思っていましたが、随分と長い記事になってしまったのでここまでにしたいと思います。
出産後に書けそうなタイミングが出てきたら、また改めて記事に出来ればな‥と!
まずは、初めての出産を頑張って参ります◎

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