見出し画像

水族館

 約束の時間まであと10分。

 可奈子は時計を見ながら、ショーウィンドーに映る自分の姿をチェックしていた。

 「ちょっと派手だったかしら。なにしろスカートなんて何十年ぶりだから、どんなのを選べばいいのかわからなかったのよ。仕方がないわよね」

 頭で思えばいいだけのことなのに、自然と言い訳が口から漏れる。

 「あの人はいつも遅れて来るから、きっとあと20分くらい待つことになるでしょうね」

 可奈子は側にあったベンチに手をかけるとゆっくりと腰掛けた。


 可奈子が初めて水族館に来たのは、まだ幼少の頃。両親と兄弟合わせて五人で来た。

 父と兄は二人でイルカのショーに夢中で、可奈子はお土産屋に買ってもらったイルカのぬいぐるみに顔を埋めながらクスクス笑っていた。


 そんな風景を何回か見て、次に水族館に来たのは学校の遠足でだった。

 ホッキョクグマを見て「すげー、すげー!」と大騒ぎしているクラスの男子達を見ながら、「せっかく水族館に来たんだから、魚も見なさいよ」などと、可奈子は可愛くないことを言っていた。

 その中にいた一人のことが気になっていたことに、その頃の可奈子はなかなか気付けないでいた。


 そして次に来たのは、可奈子がはじめて付き合った彼とだった。

 彼は、水槽が並ぶ薄暗い中に見つけたミズクラゲを見て「コイツを見ていると、なんだか落ち着く」と笑っていた。

 可奈子はその横で、クラゲを見ているふりをして水槽に映る彼の顔ばかり見ていた。


 そして、その数年後。可奈子はのちに夫となる人と一緒に水族館に来た。

 彼はあまり魚には興味がなく、歩きながら一緒にあれこれ話しているうちに時間が過ぎた。

 可奈子はそんな彼と付き合うようになり、自然と水族館から足が遠のいていった。


 それから忙しく年月が流れ、次に可奈子が水族館に来たのは夫と小さな子供達とだった。

 息子はイルカのショーに釘付けになり、夫はメガネや服が濡れることを気にしてバスタオルを頭から被っていた。

 その姿を見て、可奈子は娘と二人で「カオナシに似てるね」とコソコソと笑った。


 何回か家族とのそんな風景を繰り返し。子供達が大きくなると共に可奈子は水族館に行かなくなった。


 息子が、娘が、デートで水族館に行くのを見送った。


 夫が水槽の前で知らない女性と肩を組んで写っている写真を偶然見つけた。

 前でしゃがんでVサインをしている知らない小さな男の子は夫によく似ていた。そこには可奈子が知らない夫の笑顔があった。


 同窓会の前振りで水族館に行くことに決まった時、骨折をした義母の世話で忙しかった可奈子は欠席を伝えた。

 後に送られてきた集合写真の中に、「やっぱりミズクラゲが好きだ」と書いた紙を持って笑っている男性がいた。


 可奈子の娘が里帰りしてきた時に、孫に誘われて久しぶりに水族館に行った。

 途中で足腰が言うことをきかなくなってきたので、お土産屋さんの近くでお茶を飲みながら待っていた。

 待っている時間は長かったが、可奈子の心はいろいろな思い出だけで満たされていた。

 
 いろいろあった。辛いことも悲しいこともいっぱいあった。本当にいろいろなことがあって今がある。心なんてバンドエイドだらけ。

 でも、顔の皺も、お腹の傷も、心の傷も。今の可奈子にとって何一つ、その中にいらないものなんてない。むしろ、全てに愛おしいくらいの愛情がある。


 そして今日。可奈子は久しぶりに自分の為に水族館に来た。

 「もうちょっと髪の色は明るかった方がよかったかしらねぇ。いえいえ、そんなことしたら変に若作りしているみたいでみっともないわよね」

 可奈子の独り言はまだ続いている。

 そして、約束の時間が来た。

 そこには、可奈子を見つけて陽だまりのような笑顔で近付いてくる白髪の男性の姿があった。

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

TapNovel 水族館 はこちら

最後に現れた白髪の男性は、夫なのか、ホッキョクグマの彼なのか、ミズクラゲの彼なのか。

ご自由にお決めください(^-^)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?