見出し画像

家から家へ、御輿は廻る

─ フランス・ブルゴーニュ・ポマール ─

私は宗教行事の取材が多いので各国、各地の教会関係者と連絡を取ることが多い。
6月中旬、ブルゴーニュ地方の教区教会の事務所から連絡があり、ヴォルネー(Volnay)の聖シールの記念日はぶどう農家の人たちが多忙で中止になり、ポマール(Pommard)村聖ティボーの記念日のイヴェントだけになりました、という電話連絡があった。

ポマールの赤ワイン

ブルゴーニュの赤ワインの中でもポマールの赤ワインはコスパも良く、好きなワインなので、躊躇うことなく訪問を決めた。
ポマールは、ブルゴーニュ・ワインのキャピタルといわれるボーヌ郊外、南西へ約2キロメートル。この周辺には、モンラッシェ、ムルソーと好きな白ワインの銘醸地が多く、何度か訪れたこともある。
知り合いのムルソー郊外の農家改造ホテルに宿泊し、地酒ワインを飲みながら、夕食を楽しんだ翌日、ポマール村の聖堂を訪れた。

司祭に導かれ、同業者信心会(confrérie) の御旗を先頭にワイン業者たちが入場

プロヴァンの聖ティボー

10時半から記念日のミサと聞いていたが、半時間ほど前に村の中心地にある聖ピエール(St Pierre)と聖アニェス(St Agnes)教会の前に行くと、関係者と思しき人たちが数人いた。
御輿もあり、聖人の像が立っている。ポマール村のワイン関係者の守護聖人、プロヴァンの聖ティボー(Thibaut de Provins)の像だ。ワイン関連の守護聖人はフランスでは一般的に聖ヴァンサンとなっているが、各町村で独自のワイン関連の聖人がいる。


記念日のミサ後、教会を出る時には新オーナーが御輿の先頭を、 旧オーナーが後ろを担ぐ

土地伝統の守護聖人

毎年、ぶどう農家、ワイン醸造家持ち廻りで聖ティボーの像を預かり、聖人の記念日がその交代の日であるという。
聖ティボーが何故、村の農家、醸造家の守護聖人になったか聞いてみると、年号の入った御旗を指さしながら、ポマール村同業同朋信心会(confréries)は1668年に結成され、それ以来聖ティボーが守護聖人になっていて伝統だから、昔のことは分からないとの返事。
後に調べてみると、聖ティボーは巡礼者をワインで持て成していたという伝説があり、ぶどうの収穫の節目の時期が聖ティボーの記念日だから、ということらしい。

小規模だったが家庭的で心和むプロセッションだった
新オーナーとなったワイナリーへ。村を行進するうちに参加者も増えてきた

ワインとグジェとブリオッシュ

聖人像の新オーナーのワイナリーに到着すると、オーナーのスピーチの後、ワイナリーの庭でワイン・パーティーが始まった。
ワイナリーの人たちが自慢の赤ワイン、白ワインを持ってパーティー参加者にワインを注いで歩く。オーナーの奥様、娘たちが自家製のワインのオツマミ、シュークリームの皮だけのようなグジェ(Gougetブリオシュ(Brioche 玉子パン)などを供して歩く。ほとんどの人の手には白ワイン。
赤ワインの産地に「オヤっ?」と思い、尋ねてみると、歓談パーティのような時は白ワインが主流とか?

ワイナリーのオーナーに掲載媒体(出版社)を尋ねられたので、名前を告げると、俄然フレンドリーになった。
自分たち3人兄弟はフランス北西部アルザス地方のサレジオ学院の出身とか。三男の自分は先祖代々六代続くワイナリーのオーナーに、兄2人は医者と企業の社長。それもこれも学院で学んだお陰なんだ、と。
サレジアン・ファミリーの一員ということでランチも接待され、口福なひとときを満喫した聖人の記念日だった。

ワイナリーの中庭で聖ティボー到着のウェルカム・セレモニー
ワイナリー・オーナーのお兄さんもグジェを供しながら村のお歴々と歓談
ワイナリー・オーナーのジェロームさんと
ニース出身のイケメン司祭、ノレ(Nolet)さんが何やら打ち合わせ
おつまみ、クッキー代わりのチーズ味に富んだグジェ
オーナー夫人手作りのブリオッシュ(玉子系パン)も 白ワインの名わき役
白ワインは、同家醸造のヴァン・ド・ブルゴーニュ(Vin de Bourgogne)。
気軽に飲めるカジュアル・ワイン
村民全員のワイン・パーティは実に和やかな雰囲気で時が流れ、 閉幕が名残惜しかった
ポマール村は人口約500人ほどのぶどう畑に囲まれた小さな農村。
しかし、その名は世界のワイン通に知られる

ちょっと寄り道

ボーヌの慈善病院ホテル「神の館」

Hôtel-Dieu 

15世紀のブルゴーニュ大公国の宰相で大富豪の二コラ・ロランにより1443年にボーヌに建築、寄進された慈善病院。1971年まで慈善病院として利用され、現在、一部は博物館として一般公開、残りの部分を老人ホームに使用している。15世紀前半のブルゴーニュ地方は英国との百年戦争で人心も領土も疲弊し、人民の約8割が食うや食わずの生活を強いられ、貧者も多く、病気になる人、餓死する人も多かった。病気になった貧者たちを無料で治癒するために築いたのが、神の館(Hôtel-Dieu)と呼ばれる慈善病院だった。幅14メートル、長さ50メートル、高さ16メートルの貧者の大ホールは、空気感染を防ぐためにベッドを放し、双方の壁に一列に30台のベッドを並べ、看護人が常駐していた。貧者の大ホールの外れには貧者の礼拝堂があり、その祭壇に当時、ブルゴーニュ大公国であったフランドル地方(現ベルギー)の巨匠ロジェ・ファン・デル・ヴァイデンが描いた「最後の晩餐」の多翼式祭壇画が顕示されていた。現在は、同館の特別室に展示されており、この作品を鑑賞するために同館を訪れる美術愛好家も少ない。慈善病院の運営は、同館が所有しているぶどう畑から生産されるワインで賄われている。そのワインが「ホスピス・ド・ボーヌ」の名前で知られるブルゴーニュ・ワインだ。毎年11月中旬週末の「栄光の三日」と呼ばれる祭事の最大イヴェントとして知られるワイン・オークションで樽ごと(225リットル)競売にかけられる。その年のヴィンテージ・ワインの指針となり、その落札価格がその年のワイン価格に反映するといわれワイン業者は落札額に一喜一憂する。


聖人録

プロヴァンの聖ティボー

Thibaut de Provins

プロヴァンの聖ティボーは、1039年に地方の実力者であったシャンパーニュ公の息子として、パリの東南80キロメートルのプロヴァンで生まれた。ティボーは若い頃から隠修士に憧れ、15歳で友人の騎士と共にプロヴァンを離れ、道中で出会った巡礼者と騎士の軍服を交換し、そのまま神聖ローマ帝国へのがれた。その後、サンチャゴ・デ・コンポステーラ、ローマ、聖地エルサレムの巡礼を企てたとされる。巡礼中に北イタリアのヴィチェンツァ近くのサヤネガに庵を設け、皮の鞭打ちなどの苦行をしながら隠遁生活を送り、通り行く巡礼者たちを援助していた。巡礼者のために保管していたパンとワインで歓迎していたという。
1066年6月30日イタリアのヴィチェンツァ郊外で帰天。バディーア・ポレージネ(Badia Polesine)に移葬され、ヴァンガディッツァ修道院(L’abbazia della Vangadizza)の教会に顕示され、今日も崇敬され同市の守護聖人となっている。聖ティボーの記念日は6月30日。
聖ティボーの家系のシャンパーニュ公家の13世紀初頭の同名のティボーが十字軍に参戦し、帰りに中近東から現在シャンパン、ブルゴーニュの白ワインのぶどう、シャルドネ種を持ち帰ったという言い伝えもある。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?