見出し画像

聖ヴァンサンの行列

─ フランス・ジュヴレ・シャンベルタン ─

1月中旬からフランス各地のワイン産地は賑わい始める。フランスのワインの守護聖人、聖ヴァンサン(St Vincent)の祝祭が各地で開催される。
守護聖人の祝祭日は、本来聖人たちの記念日に祝われるが、聖ヴァンサンは特例で、地域によって1月中旬から2月初旬まで毎週末に開催される。フランス・ワインの代名詞ともなっているボルドー地方は1月中旬、ブルゴーニュ地方は聖ヴァンサンの記念日(1月22日)の後の週末、白ワインの産地シャブリ地方は、その翌週に祭事がある。

「ワイン畑と利き酒師の騎士たち」

開催地を調べていたら、たまたま好きな赤ワインの銘醸地、ジュヴレ・シャンベルタン(Gevrey-Chambertin)村で開催されることを知った。
ナポレオンにも愛された赤ワインで有名なジュヴレ・シャンベルタン村は、この地方の農村としては人口約3000人と比較的大きいがホテルが少なく、大型のホテルもないので、最も近い大都市ディジョン(Dijon)で宿泊した。
8時からデフィレ(défilé 行進)が始まるので、7時にディジョンのホテルを出て、列車でジュヴレ・シャンベルタン村に向かった。
1月のブルゴーニュは寒く、そして夜明けも遅い。まだ暗い中列車に乗り、薄っすらと空が明るくなる頃、ジュヴレ・シャンベルタン村に着いた。
行進の出発点、駅近くの広場には、ブルゴーニュ・ワインを生産する農村のワイン組合の人たちが集まっていた。デフィレは、赤い法衣を纏った「ワイン畑と利き酒師の騎士たち(Chevaliers des Tastevins des vignerons)」に先導され、約1キロメートル続く大行進だ。

ワインの騎士たちの後には、ブルゴーニュ地方の約100あるワイン生産地のワイン同業者組合の人たちが、各町村のワインの守護聖人像を御輿にして担いで行進する。

御輿を担ぐ人たち、デフィレ参加者の首にはワイン・グラスが掛けられ、さらに手に手にオラが村のワインを持ち、飲みながら、ほろ酔いながら、いかにもワインの祭りらしい行進が記念日のミサが行われる教会まで約1時間続く。

撮影をしていると、御輿を担ぐ人たちからワインを勧められる。
通常、撮影・取材中は禁酒を貫くのだが、あまりの寒さとブルゴーニュ・ワインの魅力には抗しがたく、ご相伴にあずかる。
長い行列の最後を村民から選ばれたシャンベルタンの王様掉尾ちょうびを飾る。

シャンベルタンの王様

ワイン同業組合の御輿は、記念日のミサが始まる前に教会の庭に置かれる。約100の御輿が一堂に会し壮観だ。
ワインの守護聖人は、フランスにある村の場合聖ヴァンサンが多いが、村によっては、洗礼者聖ヨハネ、聖シール(St Cyre)、聖ウルバン(St Urban)、聖マルコ(St Marc)、聖ルイ王(St Louis)などもいる。

記念日のミサは、村の教会では一般参加者が入り切れないないので、村民限定のミサだった。
祭壇前には聖ヴァンサンの像が顕示され、聖ヴァンサン祭限定のジュヴレ・シャンベルタンの赤ワインが献納される。村の子どもたちも小麦などの農作物を献納した。

記念日のミサの後、村の数あるワイナリーや旧市街のスタンドでワインの飲み会が始まる。
この日は村に入る際に入場料20ユーロを払うと、記念のワイン・グラスとワイン5杯分のチケットが渡され、各ワイナリーで試飲ができた。なかには、サラミとバケットを持ち込み、軽食を取りながら銘酒に酔いしれる人などもチラホラ。

ブルゴーニュ地方はエスカルゴ(Escargot かたつむり)の特産地。旧市街のスタンドではおつまみにエスカルゴも。

聖ヴァンサンの日、村のワイナリーやワイン農家は、ワイン・グッズを使って思い思いのアイデアで村を飾る。

ブルゴーニュ地方の聖ヴァンサン祭は、正式には「聖ヴァンサン・トルナン(Saint-Vincent Tournante "巡回"の意)」と呼ばれる。
フランスの各地方に複数のぶどう畑を所有している醸造家たちがいるので、各地の聖ヴァンサン祭りに参加できるよう配慮して、毎年開催地が変わる巡回制度にしているとか。
2023年は、1月28日と29日ジュヴレ・シャンベルタン村近くのクーシェー(Couchey)村で開催。
2024年はモレ―・サン・ドニ(Morey-Saint-Denis)シャンボル・ムジニー(Chambolle-Musigny)で開催予定。

ジュヴレ・シャンベルタン村とぶどう畑

聖人録

聖ヴァンサン

St Vincent

聖ヴァンサンはスペインでは、「ウエスカの聖ヴィセンテ」もしくは「サラゴサの聖ヴィセンテ」「ヴァレンシアの聖ヴィセンテ」とも呼ばれる。
ヴィセンテは、3世紀にスペイン北部のアラゴン地方のウエスカ(Huesca)に生まれ、ウエスカに近いサラゴサ(Zaragoza)で助祭を務め、303〜304年、ローマ皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教大迫害時代に捕らえられ、サラゴサ司教ヴァレリウスと共にヴァレンシア(Valencia)に移送された。
ヴァレンシアで、アンドレア十字(X型の十字架)磔刑、鞭打ち、拷問机に縛られ打撲骨折、鉄の鉤裂きの刑など数々の拷問を受け殉教した。遺体は石臼に括りつけられ海に投じられたが、海岸線に戻ってきた遺体を信者が陸地の丘に運び葬った。後に、その地には教会が建堂された。
聖ヴィセンテの聖遺物(遺骸)は8世紀、イスラム教徒のイベリア半島侵略からの略奪を避けるため、ポルトガル南部の岬に移葬され、ポルトガル各地で崇敬された。
12世紀頃、リスボン大聖堂にヴィセンテの聖遺物が再移葬されて以来、リスボンの守護聖人となっっている。
4世紀後半からヨーロッパ各地で聖ヴィセンテが崇敬され始め、フランスにも5世紀に聖ヴィセンテの聖遺物が移葬されていた。その後長い年月の間に忘れられていたが、16世紀頃に再びフランスに聖ヴィセンテ崇敬が伝わり、その頃からフランスでワイン業者の守護聖人になった。
その理由は聖ヴィセンテが殉教後、括りつけられて海に投じられた石臼がぶどうの圧縮機を想起させるから?とも、フランス人特有の語呂あそび?駄シャレ?で、キリスト教社会で赤ワインをイエスの血としていることから、聖人の名前が、聖なるSaint(サン)ヴァンVin(ワイン)サンSang(血)に類似していることに由来するともいわれる。

聖ヴィセンテの記念日は、生地ウエスカで記念ミサが行われる。ウエスカでは、ワインの守護聖人色は薄く、スペインらしいオレンジが聖像に献納される。ここでは民族衣装を着て参列する慣習が未だに根強く残っている。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?