村上春樹がJ・D・サリンジャーの『The Catcher in the Rye』を訳して白水社から上梓したのは2003年4月で、その後2006年4月にペーパーバックの新書版として出版され現在に至っている。ここでは村上の「文体」ではなく解釈を論じてみたいと思う。
最初に村上が注釈までつけて問題としている箇所を引用してみる。
(野崎孝訳も引用しようと思ったが、「文体」以外はほぼ同じ内容なので止めておく。)
村上春樹はここに注を施している。
しかしここは注意深く読んでみるならば、最初のページはフィービーが書いたもので、次のページはバーニーが書いたもので、バーニーが綴りや敬称を間違えているので、フィービーは休み時間にバーニー会って間違いを指摘したかったと解釈することはそれほど難しいことではない。
急いで付け加えておくならば、これは翻訳の間違いではない。翻訳は正しいのだが村上は解釈し損なっているのである。そうなると村上がそれまでどのような読書をしてきたのか、村上ではなく村上の読者の方に不安が生じ、それならば一層のこと解釈ではなくたまたま犯した翻訳の間違いであって欲しかったといういくつもの奇妙な倒錯が起こるのである。