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「奈落のクイズマスター」としての小山田圭吾について

 今頃になって片岡大右の『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書 2023.2.22)を読了したので感想を記しておきたい。

 その前に筆者の小山田圭吾に対する「偏見」を書いておきたい。どのような「偏見」の上で書かれているのかを知ることで読者は自身の眉につける唾の量が測れると思うからである。

 小山田圭吾と小沢健二のユニット「フリッパーズ・ギター」が1991年にリリースした『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』はヴォーカルが弱いことを考慮しても日本ポップス史の金字塔だと見なしている。
 しかしその後の小山田圭吾のソロプロジェクト「Cornelius」を筆者は全く評価していない。知性が勝ち過ぎて魂に響いて来ないといった感じである。

 小山田が1994年1月号の「ロッキング・オン・ジャパン」のインタビューに答えた理由の一つに「ナメられる」ことの克服のようなものがあったようで、「渋谷系」や「オリーブ」のようなイメージから抜け出したい思いがあったようなのだが、例えば、小山田は「所属レコード会社ポリスターの駐車場で他社の社長に胸ぐらをつかまれたり、地方の雑誌社での取材時にトイレでその社の重役に殴りかかられたりといったエピソードを披露する。(p.83)」
 何気なく語られているのだが、これは見過ごせないエピソードである。仮にもフリッパーズ・ギターで一世を風靡したアーティストが仕事相手に「胸ぐらを掴まれたり」「殴りかかられたり」することは常識ではあり得ない。しかしあり得たのならば、小山田もまた相手をナメていたからとしか言いようがないのではないのか。
 筆者は小山田のことは何も知らないものの、フリッパーズ・ギターがセカンドアルバム『CAMERA TALK』でレコード大賞の最優秀アルバム・ニュー・アーティスト賞を受賞した際にTBSに出演した場面を見たことはあるが、良いイメージは持たなかった。しかし悪いイメージを抱いたということではなく、「意外と腰が低い」というような意外性がなかったという意味である。

 「ロッキング・オン・ジャパン」で小山田にインタビューしたのは当時の編集長の山崎洋一郎である。山崎は二代目編集長に就任したばかりで、雑誌もリニューアルされたことから「目玉」が欲しかったのであろう、前年9月にシングルを、2月にアルバムをリリースする小山田の音楽活動との絶妙のタイミングでインタビューが取れることになる。山崎は今までのロックファンのみならず、小山田のような捻りの効いた音楽のファンをも取り込んで雑誌売り上げの増大を目論んでいたはずだが、それには「ロッキング・オン・ジャパン」を定期購読してくれている読者をも納得させなければならない。「Cornelius」も実はロックなのだと納得させるには小山田も実は「ロック」な奴なのだとアピールする必要があり、それが結果的に「いじめ発言」に繋がったのだと思う。だから筆者は「山崎にとってもまた、いじめ加害の経験は、ロック的な価値観と強く結びつくような何かではなさそうだ、ということだ。むしろ『イジメ』は、ほかのロック・ミュージシャンへの『イヤミ』と等値されて、ふつう『ロック的』とみなされるような何かへの脅威として捉えられているように思われる。(p.70)」という片岡の意見には与しない。
 実際、「Cornelius」の第三作『Fantasma』に対して掲載された読者投稿は「〝スターフルーツ〟〝サーフライダー〟はいぢめだっっっ。小娘がプレーヤー2つも有るかっつーの」というもので、もう一本の別の投稿も含めて編集部は「中学時代の『うんこバックドロップ』にルーツを持つ小山田独特の悪辣な『いぢめ』が、予想外の『愛』をもたらした感動的な瞬間でした。」(p.89-p.90)とまとめているようなのだが、明らかに山崎自身「Cornelius」の音楽の良さが分かっておらず、音楽の解説というよりも「ネタ」として消費してしまっているのである。
 つまり小山田圭吾の問題は「いじめ問題」以前に、日本の音楽ジャーナリズム(あるいは「ロッキング・オン・ジャパン」のみ?)の貧困の問題に尽きるのではないのか? 事実、「ロッキング・オン・ジャパン」が「Cornelius」を扱ってから30年経ち、小山田の「腕」が落ちているようには見えない「Cornelius」は日本の音楽ユニットであるにも関わらず、日本において全くメジャーになっていないからである。

 小山田に対する誤解を晴らそうと試みる片岡の仕事には心底敬意を表したいと思うのだが、例えば、木村拓哉ならまだしも、そもそも日本国民の何人が新書一冊読むほど小山田に興味を持っているというのだろうか?

僕は穏やかに死んでゆく いつも少しずつ死んでゆく
ひどく穏やかに死んでゆく 僕はやわらかく死んでゆく
言葉などもう無いだろう

「世界塔よ永遠に」より