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アラン・ロブ=グリエの『嫉妬』について

 近年になってフランスの作家のアラン・ロブ=グリエ(Alain Robbe-Grillet)の小説が文庫になって出版されるようになったが、何故か代表作と言える『嫉妬(La Jalousie)』が文庫にならないまま今日まで経っている。たぶん文庫化しても売れないと判断されているからだろうが、本当に面白くないのか原文と、白井浩司による翻訳を照らし合わせて検証してみようと思う。
 場面は主人公の妻の「A」とフランクが「A」が読んでいる小説について語り合っている。その小説の女性主人公が舞台となるアフリカの熱帯の風土に耐えられず病気になってしまいそうだという会話の後。

《C'est mental, surtout, ces choses-là 》, dit Franck.
Il fait ensuite une allusion, peu claire pour celui qui n'a même pas feuilleté le livre, à la conduite du mari. Sa phrase se termine par 《savoir la prendre》ou 《savoir l'apprendre》, sans qu'il soit possible de déterminer avec certitude de qu'il s'agit, ou de quoi. Franck regarde A..., qui regarde Franck. Elle lui adresse un sourire rapide, vite absorbé par la penombre. Elle a compris, puisqu'elle connaît l'histoire.

「ああいったことは、なによりも気のせいですよ」と、フランクは言う。
 つづいて彼は、その本をひもどいたことがない者にはほとんど理解できない、良人の行動をほのめかす。彼のことばは、「それを掴まえる(ラ・プランドル)」、あるいは「それを学ぶ(ラプランドル)」ことができるといった文句で終るが、誰のことか、それともなんのことか、はっきり断定することができない。フランクはAを見つめ、Aもフランクを見つめている。彼女は彼に素早い微笑を投げかけるが、それはすぐに薄闇の中に吸い込まれてしまう。彼女は物語を知っているから、フランクのいったことがわかったのだ。(『嫉妬』新潮社 1959.6.5 p.19)

 拙訳を試みてみる。

「ああしたことはどれもとりわけ心の問題なんですよ」と、フランクは言う。
 それから彼はその本を飛ばし読みさえしたことがない者にとっては明快にはならない夫の振る舞いをほのめかす。その文章は「~入手法」か「~学習法」という言葉で終わるのだが、何が問題なのか、あるいは何が必要なのか確信を持ってはっきりさせることができないのである。フランクは自分を見つめているAを見つめている。彼女は彼に瞬時に微笑みかけるが、それはあっという間に薄暗がりの中に飲み込まれる。彼女は物語を知っているから理解したのだ。

 フランス語の「La Jalousie」とは嫉妬の他にブラインドという意味があり、それはこの小説の語り部である「A」の夫が「A」とフランクをブラインドから覗き見ている客観的描写と、その描写に対して夫の立場に置かれた読者が嫉妬を感じるかどうかが問題となるのだが、拙訳を読んでわかるように「A」とフランクの本当の関係がわかるようでわからない絶妙な描写が素晴らしく、そのことを踏まえながら翻訳をブラッシュアップすれば面白くなるかと思ったのであるが、今どきアラン・ロブ=グリエの小説に需要があるだろうか?