03哲学

佐藤富晴 哲学 1996 奥羽大学 記録尾坂淳一
参考文献/中島義道 哲学の教科書 講談社
(哲学)

哲学について
哲学=知を愛する学問、愛知学、philosophy
知=自己知「あなたは誰」「汝自身を知れ」
考える=思考、論理学、哲学の道具、正しい推論
論理的に考えるとは直感とは異質なlogic(言葉、道理、計算、比率、理性)

1、自然主義的誤謬
「金持ちは貧乏人に恵むべきだ」大前提
「彼は金持ちだ、私は貧乏人だ」小前提
→「彼は私に恵むべきだ」結論
という三段論法は記号論理学では合っている。しかし?

a推論規則(~である、~でない、~かまたは、~でありかつ、~はみんな、)(AでありかつBであるならばAである)は普遍的必然的で正確に言い直せるが新しい発見はない。

bヒューム
「金持ちであるならば~」=事実判断
「~貧乏人に恵むべきだ」=価値判断
善いこと、正しいこと、に価値がない場合飛躍がある。

cムーアの自然主義的誤謬批判では、善は経験的自然的、定義不可能、直感主義、とされていた中で、価値判断は事実、存在に拘束されてはならないとした。

dサルトルの実存主義では「実存は本質に先立つ」「人間の本質は自由」「人間は自由という刑に処せられている」 「決断が価値を創造する自己実現」。

eリベラル(自由主義)では何が善いのかは国民が決めた。

2、人格概念
独我論(solipsism)この世界に存在するのは私だけ

aデカルト「我思うゆえに我ありcogito,ergo,sum」が哲学の第一原理、方法的懐疑、主観主義、アルキメデスの点

bバークリ「存在するとは知覚されることであるess,est,perpici」経験主義(英国経験主義)。対義主義として大陸合理主義(客観主義 )。

認識論的独我論(諸主観的離在)
存在論的独我論
A'氏の記憶喪失としてA'=Aか?人格の同一性はどこにあるか?身体?DNA?

人格の不確定性、人格形成責任問題
「この私、あの私、その私」

人格persomとは
人間であることの資格
中絶=胎児に人格はないか、安楽死=人間らしく生きていないか

c生存権を持つヒト(エンゲルハート生命倫理学)
「人格について語られるのはひとが正当な理由で賞罰を下すことが出来道徳生活の核心部分である役割を演じるような存在を固定するためである」
狂人や子供に人格がない

「そうした存在が道徳に関する議論に参加するためには彼らが自身について反省することが必要だろう。それゆえ彼らは自己を意識しているのでなければならない」
「道徳共同体の可能性を思い浮かべるためには自分や他人にとっての行為規則を考えることができる。すなわち理性的存在である必要がある」
すべてのヒトが人格なのではない
可能的に人格であるもの(胎児など)は現実的な権利(生存権)をもたない
自己意識、理性、道徳感覚をもつ対応力のある責任主体が厳密な意味での人格である
乳児やぼけ老人は社会的な意味での人格であり生存権を有するが責任と義務を免除される
厳密な意味での人格に関してのみ同意の必要が成り立つ
大人、ひと(人格)でなし、子供→発達→大人

dコールバーグ(心理学)「段階的に形式的に発達していく」

eフィリップス・アリエス(歴史学)「子供の誕生」ある時期から子供という概念が生まれた(小さな大人→子供)

「自律原理」人格は自身と自分の関心事を自身の言葉で表現できる。しかし人格でない有機体の場合には他の人々が彼らのために選択してやらねばならない。対応能力を備えた患者は自分で表現できる。人格は自立立法者である。
尊厳死=パターナリズム(自律を認めない父親主義)

行為と責任
例えばある人に脅迫されて殺した場合誰に責任があるのか?
「行為」意志のある行動?
「意志 」≠意識=~と思う、立とうと「思って」も立てない、立ってはじめて外部からその意識を認められる
「意志」~しよう、人為的、社会規範によって作られるもの「被告に殺す意志はなかった」
=文脈状況による評価、責任、規則、規範、

f E・アンスコム「意志行為」観察によらない知識、自分のしていることを認識できる行為
オイディプス王の殺人=Xを殺した=主観=意志行為
          =父親を殺した=客観
オイディプス王の結婚=Yとの結婚=主観
          =母=意志行為にはならない

3、自己欺瞞(アラクシア)
大前提  ケーキを食べると肥る
小前提  ケーキが十個ある
食べたい=合理、理由付け、言い訳、欲望
食べたくない=非合理
結論一=食べる=三段論法、実践的推論→知っているのにできない無抑制(アラクシア)
結論二=食べない=自分をだます
「自分をだます」
「AがBをだます」
AがBをだましてPと信じさせたのならAはPと信じていない
AがBをだましてPと信じさせたのならBはPと信じている
「AがAをだます」
AがPについて自己欺瞞ならAはPを信じていない
AがPについて自己欺瞞ならAはPを信じている
「信念に関するパラドクス」論理的解消

「自己欺瞞は不可能」
ソクラテス
プラトン「プタゴラス」
アリストテレス「ニコマコス倫理学」「エウデモス倫理学」

「ひとりの人間が矛盾しあう二つの信念を持っていることを否定しどちらか一方だけの信念を自己欺瞞の必要条件とする」=自己欺瞞を起こす信念の否定

A夫はB子が自分を好きだと信じている=(フロイト無意識)抑圧、思い込み、一人相撲、自己欺瞞ではない

結果として得られる信念の否定
P「自分は治る」
自分は治ると真剣に信じている
自分は治らないと無意識のうちに信じている

a「ふり」
心の分割(二つの信念を同居させる)
ドナルド・デイビットソン「矛盾しあう命題のそれぞれを同時に別々に信じることは可能であるが両者の矛盾が明かな時その二つの命題を連言(~かつ~)して信じることは出来ない」

不合理「全体証拠の要請」関係する入手可能な全ての証拠が支持する仮説を信じよ
「抑圧の原理」入手可能なあらゆる理由に基づいて最善とされる行為を行え

b言い換え
AがBをだます
AがAをだます=自己欺瞞
→不適切
→AがPについて自分をだます
Aが持っている証拠がPを信じることを保証しないような状況でPを信じる
「分析哲学」英米の哲学=論理←大陸の哲学=レトリック

c複合的な出来事としての自己欺瞞
それぞれの信念に時間枠をつける→同時ではなくなる
「AがT(時間)において証拠に反してPと信じ自己欺瞞が達成された時AはPと信じている」
「AがTにおいて証拠どおりPと信じ自己欺瞞が始められる時AはPと信じている」

4、両立可能論と両立不可能論(行為と責任)
意志の自由と決定論
ネイグル「コウモリであるとはどのようなことか」

桃とケーキ→体重が増えた→食べるんじゃなかった、桃を食べることもできたのに

分析哲学(言い換え)
ケーキと桃を前にして桃をとる機会があった
ケーキの代わりに桃をとることもできた
現実に行ったこととは別のこともできた
もし桃を選んでいたら桃を食べていた×
桃を食べていただろう=含意can,could

意志の自由がある

a決定論一
自然現象「明日太陽は昇る」=我々の行う行動は決まっている、実際に行うことと違ったどんな事も出来ない、欲望気質環境経験性格などが人間に行為を決定させる

因果律「あいつがあの人柄になったのは親の教育が悪かったためだ」

自然法則に従っている=予言ができる?=A子がケーキを食べることは決まっていた→桃を食べるべきだった=無意味、非難不可能、天災、賞賛不可能

自分の行為=行為が生じた×
‐‐‐‐‐=行為がなされた〇 =自由
行為に答えはなく、行為が欲望などによって決定されるなら個人に責任を問える(法律→法哲学)

b決定論二
自由意志なし=免責
責任「彼は自由意志によってその行為を行った」/「彼は自由意志によらないでその行為を行った」
=自由意志があることは責任の条件のひとつに過ぎない

両立不可能論  決定論と責任は両立しない、自由意志は因果的に決定された行為には認められない

両立可能論  決定論と責任は両立する、自由意志は因果的に決定された行為にも認められる

      / 非決定論    /決定論
両立不可能論/自由意志論/固い決定論
両立可能論 /  ×    /柔らかい決定論

自由意志論=行為が自由意志によって決定されるならば責任を問える
固い決定論=意志は行為には認められないため責任は問えない、ケーキの選択は決定されていたので後悔は成り立たない
固い決定論=意志は決定された行為にも認められるため責任を問える

「予言破りの自由」
→行為は決定されていない
→予言を破ることも予言される
=経験的にテスト不可能(形而上学的)=四つとも論理的に成立可能

どれが道徳的判断と整合的か?直感的か?
「強制」人は圧倒的な力によって強制された行為については責任を問われない。従って因果法則に強いられた行為についても責任を問われない。
←物理的強制力(意図に反する拘束、心理的強制力)と因果法則(説明方式)は同立しない(屈しない人もいる)
「他行可能性の不在」人の行為が全て因果的決定に従っているとしたら人は現実に行ったようにしか行動し得なかったそのような必然的出来事について非難するのは不当である

c決定論三
非難の意義→未来のために非難する、過去はもはや過ぎ去ってしまったもの「非難未来志向論」
=刑罰の正当化
=応酬刑主義「目には目を」、功利主義(ベンサム)「最大多数の最大幸福」

責任の核心→「当人の立場に置かれた平均人なら大抵そうはしなかっただろう」

カントの道徳、規範の存在→事実に反する前提を持たない、内在的矛盾を含まない、我々の信念と整合する、アルキメデスの点から成り立つのではなく基盤から知識は成り立っている

5、道徳的運
不運と幸運「我々が為そうとすることが首尾よく為されるかどうかはほとんどの場合自分の統制力を越えた要因に依存している」カント善意志
=責任の不在

無謀に100㎞で走った →人をはねた→不運→責任
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐→何も起こらなかった→幸運
「人がいた/いなかった」統制力を越えた要因だが、自分の不運についても責任を負う(ネーゲル)

a構成的(性格や気質)な運
→人柄 アリストテレス「人柄のよさは徳(アテレー)」
→カント「性格は統制下ではないため徳とは異なる」

b自分の置かれた環境に対する運
→英雄は機会があったから英雄になれた
→ドイツ人はたまたまファシズム政権下にあってユダヤ人迫害をした

c先行する事情によって行為が決定される仕方に関する運
→ネーゲル意志の自由「犯罪を犯してしまった人はその行為を出来事(アクシデント)としか考えていない」

d行為や計画が何らかの結果をもたらす仕方に関する運
→怠慢行為や未遂行為の場合には総体としての有罪性は心的あるいは意図的な過誤の所為と結果の重大性の双方に対応する

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐前期

(心について)
6、心身問題
意識現象(心)と物質現象(体)、心と体の関係、ストレス・性・病・老い・死、

古代=霊魂と肉体
古代ヘブライ人=魂が呼吸→生→肉体
古代ギリシャ=ピタゴラス輪廻転生
ソクラテスとプラトン対話篇「肉体は墓場である」イデア論→真の実在で物質はなくなる
アリストテレス「魂は肉体を離れて存在しない」機能主義、肉体は構造
デカルト「我思うゆえに我あり」物心二元論、心と体は別々の法則で成り立っている

心身問題(相互作用説、二重様相説、随伴現象説、平行説)

心身二元論
唯物論
心身同一説(ストローソン人格説)

「心身二元論」
aデカルト 意識の主体は心
心=非空間的、思考
体=空間的、ひろがり、延長
心と体は因果関係=相互作用説

bスピノザ 二重様相説(デカルトに反論)
父親と息子、夫と妻、関係概念が本質を成すが「父親であり夫である人もいる」同一のものが二つの本質をもてる

c人格=心+(物理法則に従う)体

d相互作用説(臨死→心は独立)

e随伴現象説 体が→心に従う(物理的刺激が原因)
暗いと判断→明かりを点けるという行動と結果
激痛のあまり絶叫した→激痛を伴って絶叫した

f逆随伴現象説 心が→体に従う

g平行説 心と体の因果関係はない相間関係(片方の時計が動いたからもう片方が動くわけではない)

「唯物論」心は非物質的実在で物理的現象
aデモクリトス「アトモン(アトム)と空気しかない」

bマルクス 物体重視、心も認める随伴現象説
心的出来事は物質から出てくる
心は非物質的
上部構造=芸術や思想
↑革命により入れ換わる↓
下部構造=生産や経済

「心身同一説」
心的現象=身体の状態、過程
金星に明けの明星と宵の明星があるように同一時刻に心がある
水がH2Oであるように内的経験の身がある
すなわち時間内の共存と空間内の共存が認められる

7、他人の心
「あいつの気持ちがよく分からない」=気心のしれた人に対する非難
自分の気持ち=他人の気持ち
共感、同情、思いやり

「思い込み」独善、おせっかい
「心の存在」動植物=心はあっても行動に出せない、コンピューター=判断能力があるが心は認められない
「他人の心は分かるのか」

a類推説
A私の振舞いB私の痛みC他人の振舞いD他人の痛み
A:B=C:D
=そもそもAがよく分かっていない(左手を上げると鏡は右手を上げる呼応)
=A≠C私の痛みは他人にとって痒みかも知れない

b同時発生説
自己認識の起源=他者意識
自他未分→比較、刺激→体や心の区別
自己→痛み(同時)痛み←他者

思いやりと道徳
=黄金律「あなたが他人にしてほしいと思う事を他人に行え」マタイ伝ルカ伝
「あなたが他人にしてほしくないと思う事を食べるとにするな」旧約聖書論語
「自分を扱うように他人を扱え」
公平、公正、平等=正義「ある者のある行為が彼にとって正しいならば同じ行為は同様の状況において同様な人々全てに正しい」ホッブスリバイアサン

同一性への疑問
自分がしてほしい事=他人がしてほしい事か
ある者にとって正しいことが他人に正しいとは限らない=独善
ヘア(倫理学)倫理の論理学
普遍化可能性=道徳上の文は普遍性を持った指令文
普遍化の第一段階=固有名詞でしか示せない差異を道徳上の指令文で使ってはならない
「アメリカ人はアメリカ製品を買え」→「国産品を買え」
普遍化の第二段階=他人の立場に立つ=三つの可能性
「もし他人の立場に立ったら」
1現在の自分と現在の相手の共通の利益を擁護して普遍性が成り立つ
2現在の自分と現在の相手の弱い立場の方の利益を擁護して普遍性が成り立つ
3現在の自分と現在の相手の強い立場の方の利益を擁護して普遍性が成り立つ
=逆差別の可能性

8、人格の同一性
パーソナル(ある個体としての人物)アイデンティティ

エリクソン 自己の斉一性、時間的連続性と一貫性、帰属感「自分探し」
X氏→60年→X`氏 性格や記憶の変化
多重人格
思考実験

どの時点で区別するか?

a責任
罪→更正
罪→時効
過去/現在/未来の自分に対する配慮
過去/現在/未来の他人に対する配慮
将来のために=他人のために
自分の死に対する態度=未来の自分の死=他人の死
キリスト教 魂の存在(人格の同一性の基準)→どの時点での罪か→死後の裁判

b本当の自分
デレク・パーフィット「理由と人格」
「心理的連続性」人格は変化、程度の問題
思考実験1
Aの頭部+Bの身体→C
C=A心理的基準説「CはAですという」
C=B物理的基準説「苦痛を与えると感じ、記憶する」
C=A+BもしくはC還元説「心理的連続性による同一性X」
非還元説=魂の輪廻転生

思考実験2
Aの頭部+Bの身体
Aの頭部+Cの身体
B=A、C=A、B≠C、程度問題(部分的にAである)
人格の同一性は心理的連続性と分裂の程度の関数
心理的連続性の程度に比例する
連続性が高いほど人格の同一性は高い
=程度説
日常的に「更正した」「別人のようだ」
80歳からしたら30歳の自分はある程度他人
他人と未来の自分に対する配慮<現在の自分の利益
自己利益の最大化
原子はこれ以上分割できない=人格は不可分の統一体=原子説

「本当の自分」
価値観の支配的部分(好み、趣味、才能)
生涯変わらないことはあまりない
好みと才能が一致することもあまりない
=生き甲斐、個性、=生きている実感
自分の中のよい部分
個性
個人主義のみでは他人との比較に過ぎない
自分を大切にする=外をみる(状況)+内をみる(内省)

「自分の死」
死が恐いのは未来の私だけ自身が死ぬから=人格は同一である
T時とT'時の自分はある程度他人=恐くない
「変わる」同一のものの変化(5㎝のチョークと3㎝のチョークは同じチョーク)

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐後期