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■97アニメ「86」人間とは誰か

ロボットのようにみえるレギオンが、人間の存続を脅かすのに対抗し、非人間として制度化されたシンたちが次々と命を落とすストーリー。観ているうちに文化記号論的問題と、哲学的問題とに気付かされます。

一に記号論的問題から
中心(レーナたち支配層)vs周縁(シンたち86)vs未知(レギオン)という多重構造ですが、レーナとシンにより境界は曖昧にされます。そもそもレーナたち支配層は髪の色だけで人間と86を区分するというあやふやな制度をしきます。一方シンはレギオンが分かると言い、テレパシーで通じていますし、レギオンにコピーされた兄を探す事を目的にすえています。またシンはvs支配層への対抗よりvsレギオンへの対抗を指向します。

文学ですとvs制度、ポストコロニアルというテーマが多く、私が想起しましたのは日本文学最高峰の島崎藤村「破戒」。

  皆さんが御家へ御帰りに成りましたら、何卒父親や母親に私のことを話して下さい―今迄隠蔽して居たのは全く済すまなかつた、と言つて、皆さんの前に手を突いて、斯うして告白あけたことを話して丁さい―全く、私は穢多です、調里です、不浄な人間です。

と主人公の丑松は隠していた事を詫び、制度の前に頭を垂れ、志保とテキサスに向かう、というすさまじくもみじめな結末にして、作品のテーマはvs制度(中心)に向かっています。

一方アニメである「86」のシンはvs未知(周縁)へ向かいます。レーナに対して紳士的な態度はやや冷淡です。この指向性、方向から想起されますのは「風の谷のナウシカ」。たしか腐海に対抗する人造人間ナウシカたちの話で、人間たちは眠りについていた、というプロットであったかと思います。記号論的にシンとナウシカは同線上に住むヘルメスに観えます。


二に哲学的問題から
制度に胡座をかき非人間的にふるまう支配層のレーナたちは「豚」
非人間として制度化された「86(追い出された者)」
戦死者の脳をコピーして進化するロボットのレギオン
 ならば具体的に

髪を染めた86は支配層に入るのか
レーナをコピーしたレギオンは人間か
86の脳を移植したレーナは人間か
などなど、心身問題に行きあたります。思い当たるところ、「銃夢」では上層人は脳を抜かれた肉体に集積回路を埋めています。下層人は脳をもつサイボーグでした。



「人間」とはフィクションだと、文学だと、私は考えていますので、絶対性は無い(あってはならない)と考えていますが、相対的に「人間らしさ」はあって良いかと思っています。レーナは86を人間として積極的にコミュニケーションをとりますが、好感を持ちました。

さて上の二つの課題から、「86」が提示するヴィジョンを考えますと、レーナの涙、奴隷解放か、シンの向かう死、開拓か、ですけど、そのような記号論的図式的構造から、レーナとのコミュニケーションと、レギオンとのディスコミュニケーションがテーマでありました。