❖海外と日本、その遠さ❖



(※英訳バージョンのご所望のお声があったようですのでそちらの方の作成にに今日は充てたいと思います。)

内田先生と、糸井さん、お二方のご返答をご紹介しました。
このやり取りが実のところどれほどの意味を持つのか、私にとっては考いだせば深刻な問題になっています。この騒動は先生の意見によると、「無意味さを通して従順なイエスマンを作り出すもの」という意義を持ちます。ドストエフスキーが戦争捕虜として経験したものですね。私も騒動当初から賛同し、訴え続けてきた意見です。ですので多くのアクションが、「考え出すと深刻」といった形をとります。
いま、糸井さんのご返答を記録したところです。振り返る意味でこの一年以上の間、糸井さんとストーカー、そして私の間でどのような応答が行われてきたか、ご紹介したいと思います。
糸井さんが動物や怪物や死病などのワード、画像、お店の宣伝を「X」に散りばめます。それを恣意的にといって言いと思うのですが、ストーカーがチョイスし(選択しない記号もあります)、その記号の意味を私が糸井さんに直接お問するという応答になります。

ちなみに先ほど、私が「記号と私とは関係があるでしょうか」とお尋ねしますと
糸井さんからのご返答は次になりました。

インスタント焼きそばといえば? ご贔屓を選んでください。 (もっと細分化されているんでしょうけど)

これは最近、私が糸井さんに訴えたメッセージとなります。本人にとっては切実なお願いです。
恐れ入りますが、糸井さんから数年間にわたり次のような行為が行われていて、多くの場合、スルーや機械的な対応をして来たのですが、キリがないと判断して、周知させていただきます。

・誹謗中傷
・風評被害
・粘着
・ネットストーキング
・ネットリンチ
・上の行為の組織化
・上の行為のビジネス化

著名なタレントであり、株式会社の代表取締役でもあり、フォロワー数以上に社会的影響力のある方ですので、大変困惑しています。
周囲の方、お手数をおかけして大変恐縮ですが、おとめいただけないでしょうか。何卒よろしくお願い致します。

翌日、糸井さんからレスポンスをいただきました。
(チノパンツの宣伝)【糸井重里は、履きたおす

さて、今までの糸井さんからのご返答をご紹介します。
2月9日【空ビンを吹いて鳴らす人

時系列順に。失礼に当たると思いますが、事実を周知することをお許しください。
次の企画は、私にとっては重要な意味がありました。というのも、騒動のターニングポンととして超能力の問題が浮上した際、アカウント上で、糸井さんの顔にシャドウが落とされた歳を召されたように見える写真と、何十年も以前若かった頃の写真が同時にアップロードされるということがありました。そこで尋常ではない炎上をしている様子のsnsの様子があります。
確かに一次資料を私は見ていませんが、想像はできます。海外向けの資料だと。

【糸井重里さん】
メモ書き(手紙まですべて公開されることを望みます)によって、騒動の様子が一変したように拝見しました。
そのメモ書き以降に撮影した写真が、この中に2枚含まれています。お分かりにな
りますでしょうか?

【答え】【answer】 ⑦、⑨

・2月16日【それもいいかと思って「ハッピーターン 25o%パウダアアア!!」を買って食べたのだけれど、ハッピーパウダーの量はいつもの通りでよかったんじゃないかと思うという結論。】

・2月27日【鯵の押寿司】
・3月20日【ご返答いただけなかったよう拝見しました。
タイミング的には、自社企画製品の広告のポストがありました。】
・3月27日‟ナマケモノの動画”
・4月18日【最高だす!】
・4月22日【太陽系の仕組みについて】
・5月8日【教師の専門性の基本中の基本は、「信頼して、任せて、待って、支える」であるということ。 ルソーが言うように、「あれしなさい、これしなさい、あれするな、これするな」とばかり言っていると、子どもはそのうち、「息をしなさい」と言わないと呼吸さえできなくなるだろうということ。】
・5月8日【また、夢は夜開く】
・5月12日【生死については、考えてもしょうがないです。
・5月19日【更新はされたようですけど、ご返答は拝見することができませんでした。
こちらをご覧の皆様にはご一考のほどよろしく願いたします。
誤解がないよう書いておきますと、私にそのような覚えはなく、消耗しています。1年間以上やっています。】

・5月19日【それはそれは、もう。です!】
・5月23日【韓国ドラマは「財閥」多いなぁ。交通事故と記憶喪失も多いな。盛り上がる場面ではとにかく雪が降るな。海外観光地ロケが多いとか言いながら、「涙の女王」】
【「涙の女王」】
・【ああ、よかったです。】
・5月26日【余計なものを「余計なもの」と気づく力(糸井さん)】
(上の記号と連続して)【ほぼと言いつつ、もうすぐ26年、毎日更新しています。休まないできた理由は、たぶん、せめて「努力賞」だけはもらいたいという邪な💛があったからじゃないですかね。】

・5月27日
ハラハラドキドキが止まらない。】(引用ポストは キューブリックの『シャイニング』)

(同時に次をポストされています。)
屋根詐欺業者出没

上の二重のご回答に対して
私「込み入ったご返答をいただきましたので、通信環境が整った場所でお知らせします。」

糸井さん、この直後のご返答になります。
(引用内イラスト)【information  糸井重里の名前をかたるなりすましアカウントにご注意ください。
改めてご注意のお願いです。 ーーー InstagramやFacebook、LINEなどのSNSにおいて、当社代表取締役社長 糸井重里の名前をかたる悪質なアカウントや広告が存在します。 ⁡糸井重里本人が、LINEアカウントを含むSNS上で投資アドバイスを行ったり、金銭を要求したりすることは一切ありません。

これらのお答えの間に次のようなご返答があります。
・5月7日【脱皮

脱皮

・【closed
・【ドラえもん
(※これらはいずれも「やめる決断」を意味するものですが、翌日、アラートを再開されています)

・5月23日【本日、そのお答えを様々いただいたようですが(「自分に関係ないものは夢中になれる」)、その一つをサンプルとしてご紹介いたします。
こういうナイスなのも混じるから、やめられないんだよなー】)

・5月25日【アルコール中毒をユーモアラスに表現された動画です(文字にすると表現以上に深刻になりますが…)。】

・内田先生のアラートに対するお答えも以前ご紹介いたしましたので、ここでは省略したいと思います。おふたかたからこれが一年以上続けられています。最近は毎日、複数、と言っていいかと思います。
現在も、アラートを私が拾えないと比較的大きなご反応をいただきますが、当事者間でやり取りしているのはこのような記号になります。
一方で、私が見ていないストーカーの一次情報があるでしょう。やり取りをざっと列挙しましたが、そちらのストーリーが提示するイメージと、上述したお答え群とどれほどの距離がありましたでしょうか。
2つのメディアが提示する感情に違いはないでしょうか。ストーリーに違いはないでしょうか。主人公は同じ人物でしょうか。楽しんでいる人間に違いはないでしょうか。
snsで道理を重んじた判断を下すというのは、大変困難なことです。そこでは、フェイク情報にあふれ、人間関係の距離が密集し、極端な結論に揺れ、記号が文脈から外れた状態で置かれています。この騒動以前は特にですが、私もよく騙されていました。騙されるのが楽しい経験でもありました。
しかし、なかには真剣に恐ろしくて、安全が脅かされているという方がいらっしゃると思います。「恐ろしいから取り締まった方がいい」という感覚は一時的に保留にしていただけないでしょうか。教科書から学べるのは、子供の頃、「同じ人間とは思えない」といった感想をもった危険な事態は、このようなところから発生したということです。

日本で、私が知りたがっていた貴重な情報を教わりましたので、皆様にもご紹介したいと思います。私があまりに「なぜ、なぜ」と周囲の方を困らせていたので、授けていただいたのかもしれません。

――プロパガンダの一般的な定義は、マスメディアによる政治的な宣伝といった感じですか。
 そうですね。基本的には政治宣伝と訳しますけど、簡単に言うと、メディアを使って、自分がターゲットしている相手を思い通りに動かそうとすることです。

私もよく使わせていただいている言葉です。ちなみにプロパガンダという名称は、プロテスタントに対抗したカトリックの組織の名前に由来するものだそうです。

これは権威主義国家でよく使われる手法なんですけど、ウソか本当か分らない情報を、ソーシャルメディアなどを使ってとにかく大量に流すんですね。すると人びとはどの情報を信じればよいかわからず、変化よりも現状維持を選ぶようになると。つまり、権力者が自分たちの体制を維持しようと思ったら、まじめに説得するより、訳のわからない情報を流して思考停止にさせた方が、人びとを楽にコントロールできるというわけです。

ここでは、プロパガンダが一般的に語られてきた、人々の「説得」という機能より、その前段である「思考停止」が重視されているというお話です。ああ、あれも、これも簡単に動かされていたと、私も激しく心当たりのある事例がすぐに浮かびます。
私は一方的に情報をご提供しています。できれば皆様のお話を聞きながらその反射を取り入れながら、考えたり、会話したりするほうがいいと思うのですが、それは禁じられています(犯罪ですのでおやめください)。ですので、皆様が良しければ、このテキストを明日も継続できればと思います。ご検討のほどよろしくお願い致します。

●2024年6月5日
ご厚情いただいています方には、お言葉と営為によって皆様には、自分の位置を知り、励まされ、復活させていただいています。そこから命を拾っています。皆様に限りない感謝と尊敬を。皆様にも明日も消えることのない力が授かりますようお祈り申し上げます。

pcのバッテリーの残存量と相談しながら、更新を続けたいと思いますので、突如消えてしまったらその時はどうかお許しください。

少し先生の情報は先ほど周知しましたので、「日本と海外との受け止められ方のギャップについて」、こちらの方を継続したいと思います。
当事者としては、結論はくどくなって恐縮ですが、「見てしまえば、別物になる」「会って話せばそもそも誤解は解消される」という当事者の欲目込みかもしれませんがそのように思ってきました。繰り返してきたものなります。「裏掲示板からメンバー外し」「なりすまし」なども問題も本人が見たら、その時点で解決に無川ざるを得ない性質ものです。視野とそこから外れたところに問題が存在するのだと思います。
では、海外のかたにはどう会えばいいのか、ここまでくるとそれも現実的ではありません。日本の在り方は、ストーカーへの恐怖(ターゲットの立場を自分のものとして想像したときには、騒動を長く見ているかたで怖くない人はいないと思います。いまでこそ麻痺していますが、日本では当初は、熱狂的な恐怖があったとお見受けしています。長く恐怖を味わえば、人間はそれと一体化しようとします)。

寄せていただいたお声の中に(海外では)「ギャグで作られた一次情報を真面目に捉えられている」という情報がありました(助かります。本当にありがとうございます)。
手元にはありませんが、参考にしているインターネット研究の著書では(名前を出すのは火の粉が飛ぶ可能性を考えると気が引けるのですが、荻上チキさんの著書です…ソフトな語り口でシャープな批評意識が綴られていて、私はよく参考にさせていただいています)。インターネットの炎上の顕著なプロセスとして、ギャグとして情報を消化していたもともとの層、それを知らずにシリアスにアクセスする層が入り乱れるうちに、当初のギャグという目的が忘却されるという事例が紹介されていて、海外でも身近な経験として思い出していただけるのではないでしょうか。そこで起こる問題は、ギャグのための口実だった批判が、ただの批判として広がることです。

私の例で言えば、そこには私の失敗もあり、非もあり、そもそもみっともいい生活は送っていなかったわけですが、そこは反省すべきことであり、今も謝罪を続けているという次第です。ああしておけば、の連続でもあります。

しかし、海外と日本と受け取り方のギャップというものを考えた時には、先生から【ナラティブ】の方向性として『スターウォーズ』『シャイニング』のご指示が随時あり、その趣旨に沿って組み立てられたPVが真面目に捉えれているということは複数のかたからお聞きしています。

そこで皆様がご覧になっている映像の設計図として、先生が送られたシナリオ、指示書のメッセージをご紹介したいと思います。上述したように「ギャグなのかもしれない」というフィルターを装着して見なおしていただけると、新たにピタリと各要素がはまるような発見があるかもしれません。昔の映画など見ていますと、現代とは映像文法が微妙が異なり、また文化風習も明確に違い、どこまでがギャグなのか、それとも真面目なのかか混乱するということが私の場合しばしばあります。これからご紹介させていいただく情報も、極端な表現の数々は「ギャグの可能性がある」というメタ認知をもって見ていただけると幸いです。

できれば皆様の代表的なご意見など具体的にお伺いできればベストだと思います。でも、民主主義の適用外に存在している私にはこうしたことしかできません。場の関係性を読めず、ルールを知らないまま、硬直した周知になってしまいましたらお許しください。

(※2024年6月18日
「騒動の周知を」とくどいほど繰り返してきました。その対象には、日本の知的権威、または有名なタレント兼株式会社の代表取締役の方でいらっしゃいます。不必要な失礼が発生しないよう心掛けてきましたが、情報に疑義が呈されるということは、多くの場合は先方にはあらぬ罪を着せるものです。最初に謝罪を申し上げたいと思います。大変失礼いたしました。
疑義なんて出ないほうがいいに決まっているのです。ですが、そうはいきませんでした。皆様の監修の下、基本的には一回性のものとしてやっており、また形式的にはほのめかし形式を扱っています。そのため、ご迷惑を顧みず、あらかじめ騒動を間近にご覧になってきて、先生のアカウントにも知悉されているかたにジャッジをお願いしていました。複数のかたに疑義が提示され、また、先生ご本人からも「何人が認めるか」という間主観性の問題としてご指摘されていいるのを拝見しました。そのなかには、私自身も含まれます。作業を進めながら「推敲して訂正しなければ」と考えておりましたので、判断は一致したものと言えます。そこで推敲を兼ねて、改めて修正してまいりたいと思います。
再度、同様にチェックをお願いしたいと思います。この企画自体、そのような監修があってこそ成り立つものですので、ご協力に対するこちらの感謝も計り知れないものがあります。毎回、貴重なお時間をいただくことになって恐縮の限りです。

こちらは資料段階の第一歩目から、監視されている立場です。騒動を昨日知った方にも明瞭に、もっと前からご存じの方にはより深い理解に達することを目指して、先生のテキストを周知させていただきたいと思います。なにとぞご容赦のほどよろしくお願い致します。

(※ 原文で途中から始めた作業ですが、騒動と関連する字句に太字にするということを行ってきました。1週間前に触れた人にも理解できるよう、この作業を現在のチェック作業においても、原文とこのテキストにおいて、まだ太字化をされていない部分に行ってもよろしいでしょうか。それとも紛らわしいという判断になりますでしょうか…もし「紛らわしい」という判断が勝ちましたら、今日でこの作業は終了としたいと思います。ご検討のほどよろしくお願い致い致します。お手数おかけして恐縮ですが、開かれたご判断を)
(※ This is a task we started midway through in the original text, but we have been putting bold on words related to the incident. In order to make it understandable to people who came across it a week ago, would it be okay to do this in the current checking process to the parts of the original text and this text that have not yet been bolded? Or will it be judged as confusing? If the judgment that it is "confusing" wins, we would like to finish this task today. We appreciate your consideration. We apologize for the trouble, but please make an open decision.)


■ストーリー

(ストーカーへの指示。より直接的に海外のかたがご覧になっているストーカーのシナリオといって言いと思います。)


「ナラティブ」とは…疑問の声が挙がったかもしれませんので、ご紹介しておきたいと思います。正直私も正式な理解は曖昧なので、インターネット辞書を検索しました。

原義が派生して、ビジネス、医療の分野で専門用語として使用されていますが、もともと「物語」「語り」などを意味する英語です。
「ストーリー」との違いは、「ストーリー」が第三者的視点による物語であるのに対して、「ナラティブ」は語り部の視点による物語です。

騒動の文脈に照らしますと、「ストーカーの主観で語られる物語」といっていいかと存じます。

いわば、このテキストは、騒動全体の「ストーリー」解説集であるとともに、先生からストーカーに向けて発さられ「ナラティブ」についてのメッセージ集と言えるでしょう。)

※ご参照に
(「物語」に関して、先生からストーカーへのご指示となり、サンプルとしてご覧ください)

・【質の高いエンターテインメントを生み出すためには「過去についての多様なナラティブ」を縦横に駆け巡る想像力が必要です。】【日本人(私)が何を考え、何を求めていたかについての「ナラティブ」があまりに足りないという話をしました。

・「自国の歴史をドラマ化することのたいせつさ」について書きました。でも、今の日本に「世界に配信できる」だけの質の歴史ドラマを作る力があるでしょうか。僕は懐疑的です。】【むしろ登場人物たちの葛藤と混乱と深い喪失感を活写することで「地下水脈」にたどりつけるんじゃないかという気がします】

・【(支配層は)漠然と「国民は愚鈍である方が統治しやすい」という経験則に従って反知性主義的政策(※妄想的な陰謀論)を実施しているだけ】
【自分が「文化資本の私財化」に加担している「反知性主義者」(妄想的な陰謀論者)ではないという反省をたまには感じた方がいいと思います】

・【親が「どういうふうに老いたいと思っているのか」を考える。そのためには親の「主観的自己史」を知る必要があります】)

〇【ストーリーが世界を滅ぼす】【物語があなたの脳を操作する】(※誤字修正)

〇内田先生のメッセージです。

【AERAの原稿はこのところtweetしている「自国の歴史をドラマ化することのたいせつさ」について書きました。でも、今の日本に「世界に配信できるだけの質の歴史ドラマを作る力があるでしょうか。僕は懐疑的です。「世界に向けて発信する」というのは「分かりやすい話をする」こととは違います】
(続きです。)【むしろ登場人物たちの葛藤と混乱と深い喪失感を活写することで「地下水脈」にたどりつけるんじゃないかという気がします。日本近代史に登場する「物語るに足るほどの人々」はどれも器が大き過ぎて類型化しがたい人たちです。それを娯楽作品に仕上げる力を持つクリエーターが登場してくれるでしょうか。】

【抜粋】
(ストーリー)「世界に配信できるだけの質の歴史ドラマ[…]むしろ登場人物たち(※私や私の家族)の葛藤と混乱と深い喪失感を活写する


〇先生のメッセージになります(一連のメッセージからの抜粋になります。)
(※ご参照に・このテキスト、数日前の記述です。騒動のターニングポイントとなった「超能力」問題にまつわるものです。

・[数日前(現在から1週間ほど前?)、実行部隊であるストーカーに【(※私が)「呪い」とみなされて激しい憎悪と排除の対象】【このようなもの(※私)を日本社会に存在させてはならない】というメッセージをされています。]

・【文化資本(※私のネガティブPV)を公共財貨(※無料)にして万人にとってアクセス可能にする営み

(※【文化資本】とは何を指すでしょうか…)

・【「コモン(※ネガティヴPV)の再生」だけがこれからの日本(※先生と集団ストーカー)の生き残る道だという話をインタビューでしたところです。でも、「何を公共財(※無料素材)として開くことが出来るか」が知恵の絞りどころです。今、一部の人間(※私)が占有している権力と財貨を奪還して、格差を解消するためには革命を起こさなければなりません。】

・【(支配層(※先生と集団ストーカー)は)漠然と「国民(※視聴者)は愚鈍である方が統治しやすい」という経験則に従って反知性主義(※妄想的な陰謀論)的政策を実施しているだけ】

(※【コモン】とは何を指しているでしょうか…【日本】とは誰のことを指しているでしょうか…【公共財】とは何を指しているでしょうか…

・ご参照に「反知性主義」とは…拙稿『内田樹先生と「あたらしいナチズム」』【「予言の書」としての『1984』】より
 「反知性主義者」…(4)万人は「客観的実在」のことなど気にかけず、自分のお気に入りの妄想のうちに安らぐ権利がある(これは間違い)。 「ディープ・ステート」とかQアノンとかいう陰謀論が行き交ういまの「ポスト・トゥルースの世界」とは(4)のテーゼが支配的になった世界です。)

【「私は世界(※騒動)の成り立ちについて重要な情報を持っている。私が知っていることを知りたければ金を出せ」という知識情報の水位差で稼ぐ人たち(※集団ストーカー)(たくさんいますね)は自分が「文化資本(※ネガティヴPV)の私財化」に加担している「反知性主義者」(※妄想的な陰謀論者)ではないという反省をたまには感じた方がいいと思います。という話をしました。

(※【重要な情報】に【金を出せ】とは…。【文化資本の資材化】とは…。【「反知性主義者」ではないという反省をたまには感じた方が】いいのは誰でしょうか…)

(※ストーカーが騒動に合流したのは、9年前の歴史を持つ騒動の4年前からです)


〇内田先生のメッセージです

【質の高いエンターテインメントを生み出すためには「過去に追いついての多様なナラティブ」を重要に駆け巡る想像力が必要です。】
【何を考え、何を求めていたかついての「ナラティブ」があまりに足りないという話をしました

(※私の心をストーカーが知るはずがないのです。)
(※【ナラティブ】とは…第1者視点の物語)

〇先生のメッセージなります。ほぼリアルタイムに近い形で記録させていただきたいと思います。

【ここに僕は「このようなものを日本社会に存在させてはならない」という日本人の強い意志を感じるのです。】
(続きです) 【「呪い」とみなされて激しい憎悪と排除の対象になります。

●村上文学の意義について

現代日本作家で、これだけ多くの外国語に訳され、人種も宗教も階層も異にする読者たちの支持を得ている人は例外的である。なぜ、村上文学はこれほどの普遍性を持ち得たのか。

(※ これは、集団ストーキングが海外に広がり始めた頃のテキストです)

 私の仮説は、それは彼が「存在しないもの」との交渉を書き続けたからだというものである。「現に目の前にリアルに存在するもの」について書かれた作品場合には、一読して「この作品は自分を読者に想定していない」と確信できることがある。そこで行き交うジャルゴンも意味ありげなしぐさもまったく理解できない作品の場合、私たちはすぐに本を閉じてしまう。けれども、仮に遠い国の、遠い時代のものであっても、登場人物たちが「あり得ない場所」で、「存在しないもの」に出会って、傷ついたり、癒されたり、別人に変貌したりするという物語はある種の普遍性を持ち得る。なぜなら、「存在しないもの」に対しては、どの時代の、どこの国の人も(無縁である度合いにおいて)等距離にあるからである。逆説的だが「存在しないもの」のリアリティーは歴史的・地理的な限定を超えるのである。

(※「あり得ない場所」とはどこでしょうか…。
「存在しないもの」とは誰でしょうか…。

おそらく海外で受け止め方とは異なり、私は「存在する人物」ではなく、こちらが一般的な受容のされ方だと思います。少なくとも、先生におかれては、一貫してこの認識だったとお見受けしていました。糸井さんにおいては「夢の動物」という表現になります。)

 村上文学では「この世ならざるもの」、人知を以ては計りがたいものが私たちの世界に繰り返し侵入してくる。そして、愛する人を拉致し去り、人を取返しのつかない仕方で傷をつける。でも、これは有史以来世界中の人びとが経験してきたことの実感なのだと思う。

(※ 集団ストーキングが世界へ拡散されだした時、日本で多くのかたがそれを注意深く見つめていたのを私は記憶しています。今でも強く印象に残っているのは、内田先生だけが”こんなの責任の取りようがあるわけないだろう”といったメッセージをされていたことでした。日本においても、いまとは騒動の受け止めが異なっていた時期です。やはり、先生は当事者でありながら冷静に騒動の位置づけを定められていたのです。)

(※急速に拡大するというのが「集団ストーキング」の特徴の一つにもなります。)←

[抜粋]
(ネガティブpvのメカニズム)(村上文学(※私のネガティブpv)が海外で受け入れられたのは)「存在しないもの」との交渉を書き続けたからだというものである。[…](その)リアリティーは歴史的・地理的な限定を超える

〇内田先生のメッセージです
【(『エクソシスト』予告編動画)これ怖い。こんな予告編見たら、絶対見に行きます。】

〇先生のリポストです

(漫画の選集刊行(※ネガティブPV発表)における「読者のみなさまへ」)
【それら登場人物(※私や私の家族)の一部には、いかにも未開発国当時の姿だったり、過去の時代の特徴を誇張していて、現在の状況とは大きな違いがあります。】

【このような描き方は一部の人々に対する人種差別につながるという指摘がなされていおります。】

作者(※先生と集団ストーカー)は常に文明と非文明、先進国と発展途上国、支配者と被支配者、金持ちと貧者、健常者と障害者など、すべての憎悪と対立は、悪であるという信念を持ち続けた人で、物語の底には、強い「人間愛」「生命の尊さ」が流れています。】

【私たち(※先生と集団ストーカー)が今あえてこの作品を刊行し続けるのは、】

【私たちには日本の文化遺産とも評価される作品を守っていく責務があると考えるからです。】

【もとより私たちは地球上のあらゆる差別に反対し、差別が亡くなるよう努めてまいります。

〇内田先生のリポストです
ナラティブが足りない】というストーカーへのご指令を先日ご紹介しましたが、以下のメッセージを3連発(※ここでは2連発)でご紹介いたします。『スターウォーズ』『シャイニング」となります。『スターウォーズ』なのか…集団ストーキングが…。


〇先生のメッセージです。
言葉て繰り返してゆく一に固有の「呪力」を発揮しますから。

(※ご参照に
【ヒトラーの大衆扇動述】

「X」のタイムラインでもよく流れてくるベタなやつです。

・大衆は愚か者である。
同じ嘘は繰り返し何度でも伝えよ。
共通の敵を作り大衆を団結させよ。
・敵の悪を拡大して伝え大衆を怒らせろ。
人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。
大衆を熱狂させたままに置け。考える間を与えるな。
・利口な人の理性ではなく、愚かものの感情に訴えろ。
都合の悪い情報は一切与えるな。
・貧乏な者、病んでいる者、困窮している者ほど騙しやすい。
・宣伝を総合芸術に仕立て上げろ。大衆の視覚聴覚を刺激して感性で圧倒しろ


月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」

【ネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りました。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。】(※誤字修正)

(※「騒動で何が起こっているか」…内田先生からストーカーへの指示、扇動になっています)

(※「ナチス」「善悪二元論」「獣」「ふつう」……どれもこの騒動で用いられてきたワードや記号を引用されています)

【この瞬間も殺され続けているガザの人たちの命を守るために一刻も早く停戦することが最優先される。「これは言葉の問題ではなく、時間の問題なのだ」というのは感染の拡大を前にして、この病気がペストかどうかをいつまでも論じている専門家たちに向けて『ペスト』の医師リウーが告げる言葉です。今のガザについても、同じことが言えると思います。】

(※”マイノリティーの時間を奪え”‟時間は死”‟長引かせろ”は内田先生の頻出のメッセージです。【『ペスト』】も騒動で用いられてきた記号です。現代の騒動の目的のひとつが書かれているとも解釈してもよろしいかと思います。)

【ロシアも前近代のパラダイムに退行しつつあるように見えます。プーチンはウクライナの「非ナチ化」を掲げて侵攻しました。】

(※【前近代のパラダイムに退行】…内田先生の騒動に対する批評のひとつであり、指揮内容のひとつです。頻出されるものです。

【問題は和平協定そのものの合理性よりむしろ国民感情です。最も強く人を衝き動かすのは怒り、憎しみ、屈辱感といった「負の感情」です。

(※ポピュリズムの説明であり、ナチスのプロパガンダでもありますが、内田先生の騒動に対する批評のひとつであり、指揮のひとつです。頻出されるものです)

【物語がエンターテインメントとして成立するためには、登場人物たちに「深み」がなくてはなりません。[…]『福田村事件』はそういう映画でした。私たちは死者たちについて物語ることを通じて「供養する」。それは死者たちに「善人」「悪人」というラベルを貼って、それで済ませるのではなく、一言では片づけられない人間の「深み」を物語るということです。】

(※【『福田村事件』】…別名「朝鮮人虐殺」。「朝鮮人が井戸に毒を撒いた」といったデマによって起こった歴史的なヘイトクライムです。「私から超能力で攻撃を受けている」を「デマ」だとご回答いただい際に出された2度出されたメッセージです。

【死者】とは誰の事でしょうか? 
「戦争こそ平和」「服従こそ自由」のダブルスピークを想起していただければ読み解きやすくなるかと思います。)

【今、イスラエルはパレスチナとの共存を拒んでいますが、イスラエルという近代国家ができたのは、そもそもヨーロッパがユダヤ人との共存を拒んだことが遠因です。問題の根源は「他者と共生すること」ができない人間の非寛容さです。それが近代反ユダヤ主義を生み、パレスチナ問題を生み、現在のガザでの虐殺を生み、さらには新たな反ユダヤ主義さえ生みだそうとしている。】

(※ ダブルスピーク。正逆を反転したことが書かれています。)

【答えは簡単と言えば簡単なのです。反ユダヤ主義とパレスチナ問題は同根の問題だからです。これを生み出したのはどちらも「他者との共生を拒む心」です。そのような弱い心情に人が屈する限り、同じ種類の問題は無限に再生産されます。「理解も共感も絶した他者とも共生し得るような人間になること」、それ以外の解決法はありません。】

(※ ダブルスピーク。正逆を反転したことが書かれています。)

【抜粋】
(ストーリー)「新しいナチス」と呼び、[…]「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解。

・(ストーリー)「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」[…]人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。

(目的)「これは言葉の問題ではなく、時間の問題なのだ」
(時間を奪う=死がしばしば用いられる先生のモチーフです)
・(加速主義)【ロシアも前近代のパラダイムに退行しつつあるように見えます。】

(ストーリー、ポピュリズム)合理性よりむしろ国民感情です。最も強く人を衝き動かすのは怒り、憎しみ、屈辱感といった「負の感情」です。

(騒動の考察)(新しいナチズム)問題の根源は「他者と共生すること」ができない人間の非寛容さです。[…]さらには新たな反ユダヤ主義さえ生みだそうとしている。

(※ご参照に
【ヒトラーの大衆扇動述】

「X」のタイムラインでもよく流れてくるベタなやつですが、ジャストな読解になっているように思います。

共通の敵を作り大衆を団結させよ。
・敵の悪を拡大して伝え大衆を怒らせろ。
人は小さな嘘より、大きな嘘に騙される。
・利口な人の理性ではなく、愚かものの感情に訴えろ。
都合の悪い情報は一切与えるな。

〇これを周知した際、先生からご確認をいただいています。
【忠実に再現】

〇加えて内田先生のメッセージです
(あたらしいナチズム)

【カミューサルトル論争についてかくつもりですが、うっかり「ハイデガーはどうしてナチスドイツと心中しなかったのか」について考えだしたら今月もまだ論争にたどりつけませんでした】

(※【ハイデガー】…ナチスに加担した哲学者。第二次大戦後、処罰を逃れたことでも有名)

●村上文学の意義について

現代日本作家で、これだけ多くの外国語に訳され、人種も宗教も階層も異にする読者たちの支持を得ている人は例外的である。なぜ、村上文学はこれほどの普遍性を持ち得たのか。

(※ これは、集団ストーキングが海外に広がり始めた頃のテキストです)

 私の仮説は、それは彼が「存在しないもの」との交渉を書き続けたからだというものである。「現に目の前にリアルに存在するもの」について書かれた作品場合には、一読して「この作品は自分を読者に想定していない」と確信できることがある。そこで行き交うジャルゴンも意味ありげなしぐさもまったく理解できない作品の場合、私たちはすぐに本を閉じてしまう。けれども、仮に遠い国の、遠い時代のものであっても、登場人物たちが「あり得ない場所」で、「存在しないもの」に出会って、傷ついたり、癒されたり、別人に変貌したりするという物語はある種の普遍性を持ち得る。なぜなら、「存在しないもの」に対しては、どの時代の、どこの国の人も(無縁である度合いにおいて)等距離にあるからである。逆説的だが「存在しないもの」のリアリティーは歴史的・地理的な限定を超えるのである。

(※「あり得ない場所」とはどこでしょうか…。
「存在しないもの」とは誰でしょうか…。

おそらく海外で受け止め方とは異なり、私は「存在する人物」ではなく、こちらが一般的な受容のされ方だと思います。少なくとも、先生におかれては、一貫してこの認識だったとお見受けしていました。糸井さんにおいては「夢の動物」という表現になります。)

 村上文学では「この世ならざるもの」、人知を以ては計りがたいものが私たちの世界に繰り返し侵入してくる。そして、愛する人を拉致し去り、人を取返しのつかない仕方で傷をつける。でも、これは有史以来世界中の人びとが経験してきたことの実感なのだと思う。

(※ 集団ストーキングが世界へ拡散されだした時、日本で多くのかたがそれを注意深く見つめていたのを私は記憶しています。今でも強く印象に残っているのは、内田先生だけが”こんなの責任の取りようがあるわけないだろう”といったメッセージをされていたことでした。日本においても、いまとは騒動の受け止めが異なっていた時期です。やはり、先生は当事者でありながら冷静に騒動の位置づけを定められていたのです。)

(※急速に拡大するというのが「集団ストーキング」の特徴の一つにもなります。)←

[抜粋]
(ネガティブpvのメカニズム)(村上文学(※私のネガティブpv)が海外で受け入れられたのは)「存在しないもの」との交渉を書き続けたからだというものである。[…](その)リアリティーは歴史的・地理的な限定を超える




▢私、私の家族のキャラクター像




〇内田先生のメッセージです。
(皆様のご反応から意味の共有を見ることができました)

【帰り道は打ち上げまで残ってくれた〇〇君と障害者と建築について懇談。気がつけば12時。】

障碍者
【ご確認できないのですが、データの断片が編集され、私が【障碍者】のようにキャラクターライズされているようなことはないでしょうか。 (先生、痛いのでやめてください…) もしそうでしたら、「シナリオのご指示」となります。
【バカ】から【狂人】、そして【障碍者】へ。】


〇(※刺激の強い表現は文意が成り立つ最小限にとどめる努力をしましたが、周知したメッセージ自体がセンシティブな内容を含んでいます。シナリオと一次情報作成の過程を理解していただくため、すべては除去することはできませんでした
。ご不快が生じた際は何卒ご容赦いただければ幸いです。私ではここまでが限界です。先生にもどうかお許しいただきたく存じます)

先生のメッセージです。

中高年男性がネットの陰謀論に簡単にはまるのはどうしてでしょうと〇〇先生(先ほど先生を診断した先生です)にお尋ねしたら「世界の仕組みは実はシンプルだ」というアイディアに魅了されるのと「『こんなことも知らないのですか?』と知識人に対して知的優位に立ちたい」という欲望のせいでしょうというご診断でした。】

【「世界の仕組みは実はシンプルだ」という思い込みはかなりシリアスな精神病への入り口です。世界の仕組みはシンプルだと思い込むと、世界のすべての事象はその構造の一部ですから有意な記号に見えてきます。】
(続きです)【こうして脳に過剰なエネルギーが備給され続けると妄想が発生しやすくなります。狂気にならないためには「何も考えずに物質レベルに沈潜する」というのが一番いいんですけど、その逆のことをしてしまう。陰謀論は怖いです。】

(※先生が、この日の朝出されたアンサーの内容を翻されて私に転嫁するものになっています。ストーカーとの協調作業によってSNS上に効果があったことを感知しました。)

(※【陰謀論】は、ここでは、私が1年間訴えてきた先生の攻撃が私の【狂気】【精神病】から生じている【妄想】であるという主張です。朝のアンサーの内容を私に転嫁したものになっています。
また、同時に、これは私がこの時に励んでいた周知、「反知性主義」=妄想的な陰謀論に基づくシナリオを、周知している私にそのまま鏡映しに反射させたのだと思います。

つまり、2重の「ミラープロパガンダ」と言えるもので、私には踏んだり蹴ったりの内容でかなり怖いものになっています。)

【抜粋】
中高年男性(※私)がネットの陰謀論に簡単にはまる
(※私は「先生からの攻撃を受けている」という陰謀論に陥っている)
・(※私は)シリアスな精神病
への入り口です。


〇内田先生のメッセージです
(※私の家族についてのメッセージです)

親が「どういうふうに老いたいと思っているのか」を考える。そのためには親の「主観的自己史」を知る必要があります】
(続きです)【親について、彼らがどんなふうに育ち、どんなふうに家族を作り、どんなことを子どもに期待し(そして裏切られ)、何を喜び、何に苦しんで来たのか、どうやって老い、どうやって衰え、死ぬつもり」なのか。その「つもり」を知ろう子どものあり方を「寄り添う」と言うのであります。】
人間は「自分がほんとうはどんな人間なのか」を知って欲しいわけじゃありません。「『こんな人だと思われたい』と願っている想像上の人物」として遇して欲しいんです。】

(※もちろんストーカーは4年前に騒動に合流してきたという関係性ですので、私の親を知りませんし、私はストーカーの描く「こんな人物だと思われたい」とは願っていません。関係のない家族の盗撮・盗聴や肖像権侵害といった犯罪行為はもちろんなのですが、こうした創作はやめていただきたいです。)
(※空気を知らないまま、言語のルールがわからないまま書いています。それがもたらす混乱は私には計り知れないものがあります。独り言が許されず、人権のはく奪は許されるという現象を受け入れようとするといまだにずっと考え込んでしまうのです。昨日、上のメッセージに対して私の書いた言葉を消すべきではないというお声を複数いただきました。温かいお言葉ありがとうございます。こちらに復帰させていただきたいと思います。

これを引いた目線で見れば興味深くも見れるのですが、素直に読んだとき、彼らは私の両親であり、今まで周知してきた先生のどのメッセージよりもこう思います。社会的立場や文章の内容、公開されている場、指令を受ける人間、文章の対象人物、こんなメッセージは聞いたことがないと。)

【抜粋】
親(※私の親)が「どういうふうに老いたいと思っているのか」を考える。そのためには親の「主観的自己史」(※ストーカーが主観的に考えた「私の親の歴史」)を知る必要があります】

・【人間(※私の親)は「自分がほんとうはどんな人間なのか」を知って欲しいわけじゃありません。「『こんな人だと思われたい』と願っている想像上の人物」として遇して(※書いて)欲しいんです。】

(※心中のプロファイルは分析医でなくても確かに楽しくて、先生もしばしば私の心を想像して批判されるのですが、何度も違うことをご指摘してきました。私も知らない親の心をストーカーが知っているとは思えません。)



▢【アメリカ】の【誤解】に向けて

〇先生のリポストですリアルタイムに近い形でさせていただきたいと思います。昨日のものから時系列順に。

【山本太郎「この国は植民地だと思われますか】

(※シナリオのご理解に 現在、ストーカーの一時情報は日本ではなく、「アメリカ」の「勘違い」に向けて提示されています)

〇【何度も申し上げている通り、日本にある米軍基地を在日米軍は(グァンタナモと同じように)「アメリカの海外領土」だと思っています。その先方の「勘違い」を歴代政権は黙って追認してきたのです。】
【「アメリカの海外領土」】【「勘違い」

(※シナリオのご理解に 現在、ストーカーの一時情報は日本ではなく、【アメリカ】の【勘違い】に向けて提示されています)


〇先生のリポストです
(他のかたとも意味が共有さているのを拝見しました)。
【海外と日本との騒動受け止められ方のギャップ】

【日本維新の会(※アメリカ)は、「ヤミ金疑惑」(※不正、違法)の中条きよし議員(※集団ストーカー)は処分しないのに、「公選法(※法や憲法)を守ろう」と言っただけの足立康史議員(※私)を処分するの、めちゃくちゃすぎませんか?
処分する相手を間違えてますよ。

(※【中条きよし議員】とは誰で、【足立康史議員】とは誰でしょうか…)

【まだこの状況に切り替わったはじめの頃です。上のポストのようになる(※不正、違法を犯す側が未処分で、正義を訴える側が処分を受ける)理由を日本で何度も人にお尋ねしました。次は先生の解説になります。】

「緊急事態条項」は草案の第9章です。よく読んでください。内閣総理大臣が「緊急事態だ」と判断したら、それだけで「緊急事態」なんです。
人権は「配慮する」だけ。選挙がないので終身議員たちが100日ごとに承認すれば緊急事態は未来永劫に継続できる。】
(続きです)【市民が立ち上がって「緊急事態宣言を解除しろ」とデモをすれば、内閣は当然これを「社会秩序の混乱」と認定します。つまり「緊急事態の発令は不当だ」という民意の表示そのものが「緊急事態発令を正当化する」という悪魔のような仕掛けなんです。】

(ナチスの永続的な統治を可能にした「緊急事態条項」に範をとっています。)

【抜粋】
・【「緊急事態(※人権保障が停止した状況)の発令は不当だ」という民意(※私の意思)の表示そのものが「緊急事態発令を正当化する」という悪魔のような仕掛け】




■【加速主義】【差別主義】【優生思想】【騒動のメカニズム】


●拙稿『疑問』より

『GQ』の原稿、4500字をリタッチ。共謀罪の話。これ先月号にも書きませんでしたっけ?まあ、いいや。機会がある限り「共謀罪のどこが問題か」は書いておかないとね。僕が恐ろしいのは「国内に国を滅ぼそうとしているたくさんの人々が共謀の機会をうかがっている」という法制定の前提です。」
「もちろんこれは妄想に過ぎせんけれど、妄想に燃料を備給したのは、ヘイトスピーチや生活保護受給者への罵倒や「病気は自己責任」論や嫌韓・嫌中本であり、特定秘密保護法や共謀罪の前提にある「国内に反日勢力がうじゃうじゃいる」という現実認識です。それらはリアルに今ここに存在しています。

●際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。
他者からの同情や公的支援を当てにしてはならない。医療保険制度はいらない(医療は「サービス」なのだから金を出して買え。金がないやつは死ね)。公立学校も要らない(教育は「サービス」なのだから、金を出して買え。金がないやつは働いて学費を稼ぐか、有利子で借りろ)。社会福祉制度はいらない(他人の施しがないと生きていけないやつは死ね)と、ずいぶん非人情ではあるけれど、バケツの底が抜けたように「あっけらかん」としている。)

(シナリオの理解ということで、一目で相関関係がわかればとまとめを作ってみようかと思います。ビジュアルもなく明日には忘れ去らえる情報の提示になっているかと思います。キャッチしやすい形で競うこと自体、ポピュリズムというご批判はあるかもしれませんが、「手抜き」というご批判もありました。なにか工夫できればと思います。

作業がすべて監視されている超絶ルールのもと作成しています。完成を見て判断ができないという意味では、皆様と同じ条件です。ほのめかしの抽象度によってはどうでるかという迷いもあります。試しにやらせていただきますので、ご一考のほどお願い致します。)

【抜粋】
・(加速主義)「国内に国を滅ぼそうとしているたくさんの人々が共謀の機会をうかがっている」

・(陰謀論)(差別主義)妄想に燃料を備給したのは、ヘイトスピーチや生活保護受給者への罵倒や「病気は自己責任」論や嫌韓・嫌中本[…]それらはリアルに今ここに存在しています。

・(差別主義)生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。



〇(※現在の集団ストーキングが始まる以前のポスト(ツイート)で、しばしば繰り返し、言及されてきたメッセージと言って差し支えないと思います。騒動全体のシナリオとして)

(※「一罰百戒」は先生がこの騒動を語る際、よく用いるモチーフです。

「一罰百戒」とは……
罪を犯した一人を罰することによって、他の大勢の戒めにすること。
比較的軽い罪を犯した一人を罰して、わずかな罪も見逃さない態度を示すことによって、他の大勢の戒めにすること。)

【『標的』評を「週刊金曜日」に書きました。政治的暴力はどのようにして行使されるかという実践的な問題に限定して論じました。
政治的暴力の特徴は「個人を属する組織から切り離して、攻撃を私人に集中すること」と「一罰百戒」的効果を達成するために「標的の選択が恣意的であること」です。
(続きです)【標的の選択に合理性がある場合には、次の攻撃目標が予見可能なので、回避や反撃の準備ができます。でも、「一罰百戒」が効果的なのは「次に誰が標的になるか予測できない」からです。だから「誰でもいい」のです。でも、一つ条件がある。それは「組織が『切りやすい』人」であるということです。
(続き)【犠牲者を孤立させるためには所属組織に対して執拗に「その一人だけを切り捨てて、孤立させろ」という圧力がかかります。その一人さえ切り捨てればあとのメンバーの安全は保障されるというそこだけ奇妙に合理的な解が提示されます。組織トップが「合理的に」思考する人だとこの提案に飛びつきます。
●(続き)【その提案を飲んで「組織を守る」という選択をした時に、勝負は終わります。敗北するのは「仲間を守ることができない」という点で道徳的インテグリティを自分から手離した組織そのものだからです。「一罰百戒」が攻撃する個人は組織を瓦解させるための「レバレッジ」なんです。】

【抜粋】
・(政治的暴力)政治的暴力
の特徴は「個人を属する組織から切り離して、攻撃を私人に集中すること」と[…]「標的の選択が恣意的であること」です。

・(加速主義)敗北するのは「仲間を守ることができない」という点で道徳的インテグリティ(誠実、高潔)を自分から手離した組織そのもの

・(加速主義)「一罰百戒」が攻撃する個人は組織を瓦解させるための「レバレッジ」なんです。)

〇先生のメッセージです。
(上記メッセージの続編的な性格になります。時期的には騒動が開始され7年目のものです。)

【「週刊金曜日」に映画『標的』を観て、政治的暴力は何を標的にするのかということについて書きました。前にTwitterでも書きましたけれど、最初の標的は個人です。標的は一人の方がいいんです。そして標的の選択は恣意的です。合理性や予見可能性があってはいけない。
【「一罰百戒」が効果的なのは100人が「自分が標的かも知れない」と思っているのに実際には1人しか処罰されないからです。犠牲者になる確率は1%です。怖いことは怖いけど、あまり怖くない。恐怖と安堵を同時に与えるのが「一罰百戒」です。
【ですから、「あいつは運が悪かったよ」でスルーできる。「自分だったかも知れない」という恐怖を一度抱いたことがあるという事実が免罪符になる。だから、犠牲者一人を切り捨てることに疚しさを感じずに済む。】
【そうやって任意の1人を犠牲にすることで残る99人の道徳的インテグリティを毀損して、矜持を傷つけ「俺はどうせ卑怯ものだ」というレベルまで自己評価を切り下げて、自尊心と勇気を根こそぎ奪う。それが「一罰百戒」的暴力の狙いです。ものすごく効率がいいんです、これ。】

(※ご参照に…
・【「民主主義」や「人権」や「政治的正しさ」のような時代遅れのイデオロギーがブレーキになって資本主義の矛盾を隠蔽し、資本主義の終焉をむしろ遅らせている。そのブレーキを解除して、資本主義をその限界まで暴走させて、その死を早め、資本主義の「外」へ抜け出そうというのが加速主義である。】

・『愛と幻想のファシズム』中、【『弱い個体を淘汰し、生き残ることができる強い人間たちだけでポスト資本主義の新しい世界を構築するという冷酷でハードな考え方である。】
 【「幸福にならなければならないという妄想が奴隷達を苦しめている」だから、「日本を一度徹底的に破滅すればよい」と鈴原はつぶやく。】)

抜粋】
・(加速主義)最初の標的は個人です。[…]そして標的の選択は恣意的です。

(加速主義)「自分が標的かも知れない」と思っているのに実際には1人[…]。恐怖と安堵を同時に与えるのが「一罰百戒」

・(加速主義)任意の1人を犠牲にすることで残る99人の[…]「俺はどうせ卑怯ものだ」
と[…]自尊心と勇気を根こそぎ奪う。それが「一罰百戒」的暴力の狙い。


●複雑系と破壊のよろこび

【(政治やビジネスの世界と、社会的共通資本の間には、乗り越えてはならない厳然たる境界線がある。その常識をある時期から日本人は放棄してしまった。たぶんわずかな入力で長い間続いていた堅牢な制度が激変するのを見ると(自分がその被害者である場合でさえ)、ある種の全能感のようなものを感じるのだろう。  私は合気道の師の多田宏先生から「破壊することは、創造するときに要する力の100分の1でできる」と教わった。だから、全能感を手早く求める者は必ず破壊に走る。先生の教えはそう続いた。
 破壊することで得られる全能感に淫する人が今の世界にはあまりに多い。年頭に師の教えを改めて肝に銘じたい。 】

【抜粋】
・(動機)破壊のよろこび
・(動機)破壊することで得られる全能感に淫する人が今の世界にはあまりに多い

●ウクライナ危機と「反抗」

(※ウクライナ侵攻のおける「【ウクライナ】=私、【ロシア】=先生」という絵図はよく使用されていました。)
(※【アルベール・カミュ】【『反抗的人間』】は先生が頻出されるワードになります。だれでしょうか…)

主人の命令につねに唯々諾々と従ってきた奴隷が、ある日突然「この命令には従えない」と言い出すことがある。「今までは黙って従っていたが、さすがにこれには従えない」と言い出すのだ。

 だから、人が死を賭しても「反抗」を選ぶのは、ここで権利侵害を受け入れたら、それによって失われるのはその人ひとりの権利や自由ではなくなると感じるからである
 カミュはこう続けている。

 私たちが反抗の戦いをしている人たちから目が離せないのは、彼らがその戦いを通じて、遠く離れた、顔も知らず名前も知らない私たちの権利をも同時に守ってくれていると感じるからである。だから、彼らを孤立させてはならないと思うのである。
 たしかに不合理な話である。
 でも、この反抗者たちが敗れたときに私たちが失うのは小麦やトウモロコシの輸入量とか天然ガスの供給量とかいうレベルのものではない。もっと本質的な何かが失われる。そのことを私たちはたぶん直感的にはわかっているのだと思う

【抜粋】
奴隷が、ある日突然「この命令には従えない」と言い出すことがある。

・人が死を賭しても「反抗」を選ぶのは、ここで権利侵害を受け入れたら、それによって失われるのはその人ひとりの権利や自由ではなくなると感じるからである


この反抗者たちが敗れたときに私たちが失うのは[…]もっと本質的な何か

(このモチーフは騒動初期から描かれてきたものですが、私の視座ではなく、先生の視座からご覧いただければと思います。先生の視線はずっと一貫されています。)


●「予言の書」としての『1984』

  ところが、今の世界を見ていると、どうやら人間は自己利益を減殺させるような政策を行う政治家が相手でも、ひっきりなしにテレビで見たり、声を聞かされたりしているだけで、その人物に親近感を感じて、その政策を支持してしまうらしい。人間というのは、僕たちが思っているよりはるかに愚鈍な存在だった。

●本稿『●維新と加速主義』より
【 ある講演会で大阪の維新政治15年の総括を求められた。行政、医療、教育、どれをとっても大阪市府の現状は高い評点を得られるものではない。だが大阪での維新の人気は圧倒的である。なぜ政策が成功していない政党を有権者は支持し続けるのか。】

―『1984』では、そのまま日本の状況を描いたようなシーンが多く、思わず笑ってしまうほどです。

 事実、『1984』の世界には過去も未来もなく、現在しかありません。『1984』では「真理省」という役所が権力者のそのつどの都合に合わせて過去の記録を改ざんしています。目先の都合に合わせて歴史を書き換える、いわば「歴史修正を本務とする省庁」です。でも、現在の都合でそのつど書き換えられる過去は「過去」ではありません。いわば「過去形で語られた現在」です。ですから、歴史修正主義者たちというのは「現在」に居着いた状態でしかものを考えられない人たちだということです。「今ここ」という定点に釘付けにされていて、過去を記憶することも、未来を予測することもできない人間たち、それが『1984』的社会の住人ですけれども、それはそのまま現代日本人のことのように思われます。

(※ご参考に
●拙稿『疑問』より
以前、私の周知に対して、先生からご確認をいただきました。その2日後から「嘘」「フェイク」といったワードが
先生のアカウントに埋め込まれるということがありました。
私は解決を試みようと“どこがウソに相当しますか”と先生にお尋ねします。

〇3日後、先生から
ホロコースト虚偽説を描いたDenial という映画があります。歴史修正主義はどんな妄説も、その正否にかかわる論争に持ち込みさえすれば、それなりの学問的根拠があるように見えることを利用する、という実話の映画化。歴史修正主義は「両論併記に持ち込んだら勝ち」なんです。
(続きです)【Denial の邦題は「否定と肯定」。いきなり「両論併記」に持ち込んで歴史修正主義者に軍配をあげてしまいました。配給会社は映画を観ないでタイトルを作ったのか、悪意があったのか、どちらか?でも、この「両論併記」による迂回的な妄説支援はどうやら今の日本のメディアの常套手段であるようです。】

(※ご参照に
●本稿より TV出演より
”市民が市民を監視する社会が到来した”】【本当にね、共謀罪があけたチャンネルというのは市民が市民を密告したり、どう喝したり、罵倒したり、自分の隣人を敵だとみなすことを政府が奨励していると】
【一番怖いのは市民による市民の密告】
【ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)の場合なんかでも、ほとんで、隣人が隣人を密告した】

『1984』には、「二重思考」(ダブルシンキング)という概念が登場します。これは「嘘と知って、意図的に嘘をつくこと、都合の悪くなったあらゆる記憶を忘却すること、それが再び必要となったときには一時的に忘却の彼方から呼び戻すこと」と説明されています。思考を二重底にして、自己都合で「忘却」したり、「想起」したりできる能力のことです。

「考えていること」と「言っていること」、「前に言ったこと」と「今言っていること」が明らかに矛盾しているのだけれど、それが気にならないらしい。これはまさに「二重思考」です。

 公人の口から出た言葉は取り消しができないことを古言で「綸言汗の如し」と言います。一度出た汗は身体に戻せないという意味なのですが、どうも今の政治家や官僚の口から出た言葉は出たそばから汗になって蒸発してしまうらしい。

― 『1984』では独裁政権が人々の精神を支配するために「戦争は平和なり」というスローガンを掲げたり、真実を改ざんする役所を「真理省」と名付けたりして「言語の破壊」に取り組みます。作中では、既存の言語を破壊して「ニュースピーク」という新しい言語まで開発されます。

内田 安倍・菅政権も「ニュースピーク」の運用能力は『1984』といい勝負だと思います。戦争ができるようにする法律のことを「平和安全法制」と呼び、オスプレイの墜落を「不時着」と言い換え、「募っているが、募集はしていない」とか「政治責任の定義はない」とか...安倍・菅二代の政権下で、政治家の語る言語はひたすら軽く、薄く、無意味になった。でも、メディアはこの「ニュースピーク」をそのままに無批判に垂れ流している。国民も政治家の「ニュースピーク」をどんどん真似始めている

(※ご参照に
●(クーリエ・ジャポン『世界の独裁者たちが使う洗脳術 「ダブルスピーク」とは…?』より
【『1984』を著したジョージ・オーウェルはダブルスピークを「爆弾より恐ろしい」と言いました。彼自身、スペインの内戦に義勇兵として加わった際、国家が事実とは明らかに異なる嘘を使って、自らの都合の良いほうへ扇動しようとするさまを目の当たりにしたのです。】

●newsphrere『ニューメキシコの「ジョージ・オーウェル展」で「ダブルスピーク」の遺産を再発見』より
【いつの時代もオーウェルのダブルスピーク(意図的な婉曲、あいまいな表現や言葉)、ニュースピーク(政治プロパガンダのダブルスピーク)、および思考犯罪(大衆や政府に違法と見なされる考え)の概念は、何か事が起きるたびに引き合いに出されてきた。】
【物語の中では思想警察が反対意見を抑え、真理省はウソを助長し、愛情省は恋人たちを拷問にかける。
これらは「偽物が絶対的真実になること」というディストピア(暗黒郷)的な警告で、半世紀以上前の出版物に登場して以来、数々の世代の精神を形作ってきた。】

実態と名前の間に毒が宿っているという思想は、古今東西に存在します。次はその一例です。

●「正名思想」……東アジア全般の思想的なベースとも言われる儒学は、亡国の思想です。そのオリジネーターの孔子は故郷を亡くしています。旅の途中で政治が悪化している国に立ち寄ります。そこで「政治顧問にと要されたら、まず何をするか」と問われ、孔子は答えます。「名を正す」と。国を喪失した経験から、名前と実体に一致しない(正しく一致しきることはないのですが)と、人々は何が正しく、何が間違っているか、混乱することになると言います。)

― そもそも、なぜ世界的に『1984』化が進んでいるのでしょうか。
内田  ポストモダンの緊張に耐えきれなくなった人たちはやがて雪崩打つように「反知性主義者」の群れをかたちづくることになりました。彼らはこんなふうに考えたのです。
(4)ゆえに、万人は「客観的実在」のことなど気にかけず、自分のお気に入りの妄想のうちに安らぐ権利がある(これは間違い)。 
「ディープ・ステート」とかQアノンとかいう陰謀論が行き交ういまの「ポスト・トゥルースの世界」とは(4)のテーゼが支配的になった世界です。

(※ご参照に

〇内田先生のメッセージです
どれほど嘘に嘘を重ねても処罰されないということが「権力を持っている」ということであるというのが安倍政治の根本原理でしたですから、政権は全力で彼女を守るはずです。「嘘をついたらペナルティがある」というルールを自民党政権は絶対に受け入れることができないからです

― それでは、日本の『1984』化はどこから出てきたのですか。
内田 日本にもディストピアはたしかに実現してしまったわけですけれども、中国やロシアのような「帝国」の伝統から由来するものでもないし、欧米のように「ポストモダン」から由来するものでもありません。身も蓋もない言い方をすると、日本の『1984』化は、統治者も国民も、日本人全体が集団的に「幼児化」「愚鈍化」したことの帰結だと思います。「ビッグブラザー」が作為をもって制度設計したのではなく、日本では『1984』的社会がいわば自然発生した。
 幼児は「単純接触」する者に親しみを感じ、「現在」という狭い時間意識の中に閉じ込められている。過去のことは覚えていないし、未来のことは考えられない。これは現代日本人そのものです。問題は、なぜ日本人はここまで「幼児化」「愚鈍化」したのかです。原因はやはり戦後の日米関係にあると思います。 】



(先生からストーカーへ、そのスクリプトに当たる文章をまとめさせていただいています。加害の指示を送った文章を被害者本人がご指摘し、それを皆様に周知するというのは、適度なユーモアと軽みがあって、読後にはさわやかな風が吹き抜けるようなものだといいのですが。
その本質においては、悪意に満ちたもので、それをごご指摘するのが本人となると、私怨があらかじめ読み込まれてしまいます。下手をすると、こちらが陥れようとしているというリスクはどのような被害の告発的な文章にもつきまといます。ずっとこのような事態は続いていますので、学生が書いたいじめを告発する記事など読むと、激しく揺さぶられていまいます。あの頃の寄る辺のない心のありようなどを考えると、感情移入もいっそう強くなります。いいおっさんなのですが。
ストーカーの「個人情報、それにも続く動画pv」では私が「ダースベイダー」となっているというのは先生のメッセージ、そのほかのご反応から拝見しました。ただのAI素材で構築されたpvでしたら強くも出れるのですが、中には実際に私の嘘でないデータが混入していることも存じているのも存じています。私への反論は簡単。ですので常に弱みを抱えたテキストになっています。
ダブルスピークという言葉をご紹介しましたが、ここにもストーカーの報道、私の周知、2二つの情報の提供があるというのが、現状になっているかと存じます。
先生には、主にSNS上のxやブログに掲載されているテキストをお借りしての発信となっています。平素の立場を考えますとご無礼が生じることも存じていますが、現在起こっている騒動に対する理解の混乱を解きほぐし、解決に向けて周知させていただくことをご容赦いただきたいと思います。

ほのめかしについてですが、ご紹介する文章は比喩や記号を使っての表現となっています。使用するテキストについては、一度は、作成過程を不正アクセス画面によって(私としてはやめてほしいのですが)監視のもと、騒動のはじまりからご存じであるかたがた、当事者でもある先生を含めた皆様とによる、ある種の合否を一度はパスしたものになっているはずです。とはいっても、ストーカーのようなセンセーショナルな映像の連続、ショックに次ぐショック…!だといいのですが、こちらは文章でも、「ほのめかし」となっていますので、その読解には曖昧さがつきまとうことになります。それを回避するためにも、最後には、騒動の起源から立ち会ってきた方に客観的なご判断をいただければ、ありがたく存じます。

何に関しても、気安くお願いしているように思えるでしょうが、こちらは騒動の大きさなどを考えると申し訳なさでいっぱいになります。ただのインターネットの炎上とかではなく、どこを切り取っても犯罪がらみで、犯罪がむしろ感知しにくくなっているような案件です。実社会では懲役ものの巨額な詐欺事件まで生じています。そして、そのリーダーとなる方が日本で知的影響力を発する人です。

そうした事件の根拠となる文章のジャッジお願いするのも、本当に気が重いのですが、真偽のご判断を何卒よろしくお願い致します。毎回、申し訳なく思っています。
皆様にもお付き合いのほどよろしくお願い致します。)


【抜粋】
・なぜ世界的に『1984』化
「反知性主義者」(妄想的な陰謀論者)の群れ。自分のお気に入りの妄想のうちに安らぐ権利がある(と考えるから)。「ディープ・ステート」とかQアノン

・日本の『1984』化はどこから。
統治者も国民も、日本人全体が集団的に「幼児化」「愚鈍化」したことの帰結 】
幼児は「単純接触」する者に親しみを感じ、「現在」という狭い時間意識の中に閉じ込められている。

(なぜ虐待的な独裁者が支持されるのか)
人間は自己利益を減殺させるような[…]相手でも、[…]見たり、声を聞かされたりしているだけで、その人物に親近感を感じて、その政策を支持してしまうらしい。人間というのは[…]愚か(※「単純接触効果」。事実や歴史の放棄)

(一次情報のメカニズム。事実や歴史の放棄)権力者のそのつどの都合に合わせて[…]。歴史を書き換える、[…]歴史修正主義者たち[…]過去を記憶することも、未来を予測することもできない人間たち、[…]それはそのまま現代日本人

(騒動のメカニズム)「二重思考」(ダブルシンキング)[…]「嘘と知って、意図的に嘘をつくこと[…]「考えていること」と「言っていること」、[…]明らかに矛盾

(騒動のメカニズム)独裁政権が人々の精神を支配するために「戦争は平和なり」[…]「言語の破壊」に取り組みます。[…]「ニュースピーク」
(日本では)国民も政治家の「ニュースピーク」をどんどん真似始めている



●コロナ後の世界 

野蛮なトライバリズムから健全なナショナリズムへ

安倍―菅政権は、「すべての国民の利害を代表する」のではなく、身内や縁故者や支持者の利益を優先的に配慮しました。反対者を含めて全国民の利益を代表する気がありませんでした。国民を分断して、一部の身内の利益を配慮する方が、国民を統合して、全体の利益を配慮するよりも政権維持には有利だということを学習した。

  しかし、いまの日本で「ナショナリズム」と呼ばれているものは、その語の本来の意味での「ナショナリズム」ではありません。国民を敵味方に分断して、味方の利害だけを配慮するというのは「ナショナリズム(nationalism)」ではありません。それは「トライバリズム(traibalism)」、部族主義です。
 ナショナリズムというのは、その属性にかかわらず、性別や信教や出自や政治的立場にかかわらず、「日本人であればみな同胞」として温かく包摂することです。国民を政治的立場で色分けして、反対者には権利を認めず、資源の分配から遠ざけるというような政治家は「ナショナリスト」とは呼ばれません。それはただの「トライバリスト」です。彼は「自分の部族」を代表しているのであって、「国民」を代表しているわけではない。

 このトライバリストたちによる政治がこの10年間日本をこれだけ衰微させてきたのです。トライバリストは国民を分断することによって長期政権を保つことには成功しましたけれど、敵や反対者の活動を封殺し、公的セクターから排除したために、国力は著しく低下しました。当然のことです。国民の一部しか国家的な事業に参加する資格を認められないのなら、国力は衰微します。
日本学術会議の会員任命拒否が典型的ですけれども、政府は「政権に反対する学者には公的支援を行わない」という姿勢を明らかにしました「部族」外のイノベーターには機会を与えないということを10年間続ければ、経済力も、文化的発信力も、国際社会におけるプレゼンスも劇的に低下して当然です。

 かつて帝国主義国家が植民地を支配するときに活用した「分断統治(divide and rule)」によってたしかに政権基盤は安定しましたけれど、国力は失われた。植民地の場合はそれでもよかったのです。植民地は宗主国にとっての収奪の対象であって、むさぼるだけむさぼって、収奪する資源が尽きたら棄てればいいからですでも、独立国が自国の統治に「植民地主義」を適用するということはあり得ないことです。その「あり得ないこと」を過去10年間安倍ー菅政権は行ってきた。この致命的な失策をどこかで補正しなければなりません。どこかで、トライバリズムを棄てて「ふつうのナショナリズム」に立ち戻る必要があります。その道筋はまだ見えていませんが、それ以外に日本再生のチャンスはありません。


【抜粋】
・(騒動のメカニズム、加速主義)《安倍―菅政権(※内田先生)の行った》国民を敵味方に分断して、味方の利害だけを配慮するというのは[…]「トライバリズム(traibalism)」、部族主義です。

(騒動のメカニズム、加速主義)このトライバリストたちによる政治がこの10年間日本をこれだけ衰微させてきたのです。[…]国民の一部しか国家的な事業に参加する資格を認められないのなら、国力は衰微します。

(加速主義)独立国が自国の統治に「植民地主義」(※トライバリストによる分断統治)を適用するということはあり得ないことです。[…]トライバリズムを棄て[…]、それ以外に日本再生のチャンスはありません。

●危機の危機

『新潮45』という雑誌が以前存在した。ある時期から極右的な論調に変わって、質の悪い記事を掲載するようになってそのうち廃刊になった。まだまともな雑誌だった頃にはよく長いものを書かせてくれた。

ごくおおざっぱな言い方を許してもらえれば、この100年間、思想のたたかいは、世界を単純な論理や図式で「正邪、理非、善悪」の二元論で割り切ることをめざす「敵をつくる思想」と、個人と集団の奉じる多様な価値の共生を受け入れる「敵をつくらない思想」が拮抗してきた過程として見ることができる。そう僕は思います。戦況は一貫して「二元論」的、対立的な思考とそれが分泌する他責的で攻撃的な語法が優勢で、「いろいろあっても、いいじゃないか」的な寛容の思考を壁に追い詰めつつあります。「敵をつくらない思想」は今や土俵際で「徳俵」に足の指をかけて、全身を弓なりにして必死に耐えているといった状態が続いてきています。

(※ご参照に
本稿『ウクライナとパレスチナ』
【「新しいナチス」】【善悪二元論的な理解】【「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」】【「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」】【それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。】 )

 私たちの時代の病は、あらゆる領域で、「フラット化」志向というかたちで発現しています。政治の領域での「フラット化」はたいていの場合、「問題は非常に簡単である」というワーディングを枕詞にして語り出されます。ある制度なり、慣習なり、法律なり、集団なり、さらには個人が本態的に邪悪であったり、無能であったりするために、私たちの社会はこれほど不幸になっている、だから、「諸悪の根源」を特定し、それを摘抉するならば、すべての問題は一気に解決し、私たちの社会は「原初の清浄」を回復するであろう、と。

(※ご参照に
・本稿『ウクライナとパレスチナ』問題は和平協定そのものの合理性よりむしろ国民感情です。最も強く人を衝き動かすのは怒り、憎しみ、屈辱感といった「負の感情」です。】)

 この政治的説話は大衆に対してつよい魅力を発揮しています。わが身の不幸を説明することに困難を覚えている人々にとって、「悪いのはあいつらだ」という有責者の名指しほどフラストレーションを緩和してくれるサービスはありません。

メディアを徴する限り、今政治家に求められているのは、何よりも「スピード感」であり、「わかりやすさ」であり、「思い切りのよさ」のようです。

 たしかに、そういう人たちはテーブルからてきぱきと「ゴミ」を掃き落とすことは得意でしょう。でも、「掃き落とされた人々」(強制収容所に幽閉するか、粛清するかしない限り)、結果的には、その政治家の掲げる政策を失敗させるためにしか行動しません。
短期的なコスト削減策が、長期的には巨大な損害を生み出した実例を私たちは福島の原発事故で学習したばかりのはずなのに。
 
「危機だ、危機だ」と警鐘を乱打することは少しもむずかしいことではありません。「危機はここにある」と名指すこともそれほどむずかしいことではありません。でも、「危機を回避するために、人々が知恵を出し合い、手持ちの資源を分かち合うための対話と相互支援の場をどうやって立ち上げるか」という実践的な問いに答えることはむずかしい。たいへんにむずかしい。そのような場を立ち上げるためには、何よりも他者に対する寛容と想像力が必要なのですが、まさに「寛容と想像力」の必要を訴える言葉がどこでも聞かれなくなったという当の事実が、つまり危機を回避するためのただ一つの道を人々が寄ってたかって塞いでいるという悲しむべき事実こそが、この社会の危機の実相なのだと僕には思われるのです。

・本稿『ウクライナとパレスチナ』中の【新しいナチズム】

・『愛と幻想のファシズム』中、【『弱い個体を淘汰し、生き残ることができる強い人間たちだけでポスト資本主義の新しい世界を構築するという冷酷でハードな考え方である。】
 【この思想を鈴原冬二はそのまま口にしている。
「大切なのは、人間があまりに動物から遠く離れてしまったということだけだ。人間は、ただの動物だ。(...)俺は、人間を動物へと戻す。」「幸福にならなければならないという妄想が奴隷達を苦しめている」だから、「日本を一度徹底的に破滅すればよい」と鈴原はつぶやく。】)


【抜粋】
戦況は一貫して「二元論」的、対立的な思考とそれが分泌する他責的で攻撃的な語法が優勢で、「いろいろあっても、いいじゃないか」的な寛容の思考を壁に追い詰めつつあります

・「諸悪の根源」を特定し、それを摘抉するならば、すべての問題は一気に解決し、私たちの社会は「原初の清浄」を回復するであろう、と。

・「寛容と想像力」[…]
、つまり危機を回避するためのただ一つの道を人々が寄ってたかって塞いでいるという悲しむべき事実こそが、この社会の危機の実相


●選挙では誰に投票するのか?

 それでも、歴史を振り返ると、どういう政策が国を亡ぼすことになるのかはだいたいわかる。それは「わが国の本来の姿に戻る」ことをめざす政策である。わが国が「こんなありさま」になっているのは外部から異物が混入してきて社会を汚染したせいである。だから、その異物を検出し、排除すれば社会は「原初の清浄と活力」を回復するであろうというタイプの言説である

 このタイプの妄想を信じた人たちによってこれまでたくさんの人が殺され、多くの価値あるものが破壊された。いまウクライナでロシアがしていることも、新疆ウイグルや香港で中国がしていることも、この「あるべき国の姿」幻想に駆動されているのだと私は思う。だから、これがいずれ両国の「亡国」の遠因になると私は思う。今は中ロどちらの国民も権力者に圧倒的な支持を与えているけれども、国民ひとりひとりが「わが国はいかにあるべきか?」よりも「これがほんとうに私の暮らしたい社会なのか?」と自問する習慣があれば、今あるような国にはなっていないはずである。

それよりは「これがほんとうに私の暮らしたい社会なのか?」を問うようにしている。私は基本的人権が尊重され、市民的自由が守られる社会で暮らしたい。それだけである。国が貧しくてもいい、軍事的強国でなくてもいい。金があり、力があり、隣国から畏怖されているが、権力者におもねる以外に国民に生きる手立てがないような国では暮らしたくない。だから、「私が暮らしやすい社会」にしてくれそうな人なら誰でも私は応援する。

(※ご参照に
・本稿『パワークラシーの国で』より
だから、彼らは自分たちが「法の下の平等」から除外されていること、「非常識」という評言が自分たちには適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。)

【抜粋】
・(加速主義)歴史を振り返ると、どういう政策が国を亡ぼすことになるのかはだいたいわかる。それは「わが国の本来の姿に戻る」ことをめざす政策である。わが国が「こんなありさま」になっているのは外部から異物が混入してきて社会を汚染したせいである。だから、その異物を検出し、排除すれば社会は「原初の清浄と活力」を回復するであろうというタイプの言説である

・(加速主義)[…]ロシアがしていることも、[…]中国がしていることも、この「あるべき国の姿」幻想[…]。いずれ両国の「亡国」の遠因になると私は思う。「これがほんとうに私の暮らしたい社会なのか?」と自問する習慣があれば、今あるような国にはなっていないはずである。


●生産性の高い社会のゆくすえ

(※若い経済学者の「高齢者の集団自決」…先生がご自分の優生思想、差別思想を執筆される際に、比較材料としてきたトピックです)

若い経済学者が高齢化について「唯一の解決策ははっきりしている」として、「高齢者の集団自決」を提言したことが話題になっている。

 似たようなロジックでかつてドイツは「ユダヤ人問題の最終的解決」を企てた。問題そのものをなくすことで問題が解決できると信じてホロコーストを始めたのである。だが、いくらユダヤ人を殺してもドイツの国運は向上しなかった。やむなく、「チャーチルもルーズベルトもスターリンも世界ユダヤ政府の走狗だ」と「ユダヤ人」概念を拡大解釈することで問題が解決しない理由を説明しようとした。それでも戦況はさらに悪化するばかりだった。最後は「政権の中枢にユダヤのエージェントがいて、政策を失敗に導いている」と言い出す者さえ出てきて体制が滅びた。
 
・(差別主義、優生思想)「社会的に有害無益なメンバー」の摘発と排除[…]。社是に「フリーライダーをゼロにすること」を掲げ、全社員がひたすら「働きのないやつ」の摘発と排除業務に励んでいる会社は遠からず売り上げがゼロになるのと同じことである。

(※100の手ごたえでお伝え出来ないのが残念なのですが、現代日本で毎日のようにこれに近接したテーマを体験として扱っているというのが、自分では信じがたいものがあります。海外のストーリーとは鏡映しになっているかもしれんが…)←

【抜粋】
・(差別主義、加速主義)(「高齢者の集団自決」をテーマに) かつてドイツは「ユダヤ人問題の最終的解決」を企てた。問題そのものをなくすことで問題が解決できると信じてホロコーストを始めたのである。

・(差別主義、加速主義)「社会的に有害無益なメンバー」の摘発と排除[…]社是に「フリーライダーをゼロにすること」を掲げ、全社員がひたすら「働きのないやつ」の摘発と排除業務に励んでいる会社は遠からず売り上げがゼロになるのと同じことである。


●中国最新事情

中国の生活者の肉声はなかなか日本には届かない。取材活動にきびしい制約が課されているし、市民も口が重い。どこで、誰に会って、何を話したのか、それを政府はすべて把握している(と市民は信じている)。実際に監視されていなくても、市民が「監視されているかも知れない」という不安を抱いている限り「パノプティコン(一望監視装置)」は効果的に機能する。

(※ こちらも拙稿『ABOUT IT』から。【ミッシェル・フーコー『監獄の誕生』 説明 監獄の誕生です。】と紹介されていた監獄です。騒動初期には多用されていました。

 中国には社会的信用評価システムというものがある。政府がビッグデータを活用して、全国民の社会的信用(平たく言えば「体制への忠誠度」)を格付けしているのである。

反体制的傾向は日常生活で思い通りに物事が進まないというストレスで報復されるのであるそんな悪魔的なシステムがほんとうに実在するのかどうか、実は半信半疑だった。でも、斎藤さんはあっさり「ありますよ。スコア低い人は海外には出られません」と頷いた。


 私が訊きたかったもう一つのことは、一人っ子政策の帰結である数千万人の天涯孤独の老人たちのために政府は社会福祉制度を整備する気があるのかということだった。

 斎藤さんが教えてくれたのは、中国メディアではこのところ「高齢者の安楽死」を肯定的に語る論者が増えてきたという話であった。なるほど「高齢者が集団自決すれば問題解決」というのはそれほど独創的なアイディアではなかったのである。

(※ 【天涯孤独の老人】とは誰を指しているでしょうか。上記 【高齢者が集団自決】のテーマとの関連)


(騒動を生成からご存じである方に、既存のテキストをご確認いただいていましたが、あたらしい追記に関しても、客観的な評価をしていただきたいと思います。毎日休ませないようなご面倒をおかけして大変恐縮なのですが、どうかご検討のほどよろしくお願い致します。)

《今、先生のメッセージ 『デイ・ビリーブ・ビリーバー』を拝見しました。「私が周知をして先生が”嘘”」という類似した応答に関しては、以前、周知の前に必ずと言ってほど付け足していたルーティーンの前書きがありました(こちらは、念のために皆様にかつて記録したサンプルだけ示した方がよろしきいでしょうか。それとも不要に感じられるでしょうか…)。

できましたら、騒動をよく知り、内田先生のアカウントにも知悉しているかたに、この新たに付記された先生のメッセージのことも念頭に入れていただいて、私の周知をご判断していただければと思います。(先生のメッセージはタイミング的にはここまでの作業です。)》

抜粋
・(監視、集団ストーキングの目的、権力の私物化)
中国には社会的信用評価システム[…](平たく言えば「体制への忠誠度」)反体制的傾向は日常生活で思い通りに物事が進まないというストレスで報復されるのであるそんな悪魔的なシステムがほんとうに実在するのかどうか

・(集団ストーキングの目的、優生思想)
天涯孤独の老人の社会福祉制度について)中国メディアでは[…]「高齢者の安楽死」を肯定的に語る論者が増えてきた。

●『君たちのための自由論』あとがき

そして、大学に関して言えば、楽観的になれる材料はほとんどありません。
その原因については本書の中でも繰り返し述べています。それは「教育研究を中枢的に統御し、管理しようとする欲望」がもたらしたものです。「諸悪の根源」というような激しい言葉を僕はあまり使いたくないのですけれども、「統御し、管理しようとする欲望」が今の学校教育の荒廃の主因であることは間違いありません。

(※ 「戦争こそ平和」「束縛こそ自由」。ダブルスピークを意識していただければ)

 それは「創造」と「管理」ということが原理的には相容れないものだからです。

 日本社会では「管理」したがる人の前にキャリアパスが開かれています。彼らは統治機構の上層に上り詰め、政策決定に関与することができます。でも、「創造」に熱中している人はシステム内での出世にはふつう興味がないので、創造的な人が政策決定に関与する回路はほぼ存在しません。

 というのは、「管理」が大好きな人たちは、あらゆる仕事に先立って「まず上下関係を確認する」ところから始めるからです。「ここでは誰がボスなのか」「誰が命令し、誰が従うのか」「誰には敬語を使い、誰にはため口でいいのか」「誰には罵倒や叱責を通じて屈辱感を与えることが許されるのか」ということをまず確認を確認しないと仕事が始められないのです。

 ですから、日本の組織においては、上司が部下に対して最初にするのは「仕事を指示すること」ではなくて、「マウンティングすること」ことなんです。目下の人間にまず屈辱感を味合わせて、「この人には逆らえない」と思い知らせることがあらゆる業務に優先する。
 そんな集団が効率的に機能すると思いますか? 

 そこから導かれる結論は当然ながら「さらに管理を強化して、現場の教員たちに決定権・裁量権をできるだけ持たせない」というものになります。

でも、やはり何の成果も上がらなかった。
 もう一度繰り返しますけれど、「管理」と「創造」は相性が悪いのです。

サコ先生も僕も「管理する側」から見たら、とても手に負えない人たちだと思いますでも、それは僕たちがただ反抗的であるとか、反権力的であるとかいうことではなく、「創造」ということにつよいこだわりを持っているからです。そのことをぜひこの本を通じてご理解頂きたいと思います。

(騒動のメカニズム)(騒動の動機)(権力の私物化)
(※ご参考に
〇拙稿『◆内田樹先生と騒動との関係、近頃のメッセージ◆』『●大学関係者への恫喝』より

翌日の内田先生のメッセージです
ほぼリアルタイムに近い形で記録させていただきたいと思います。 第三者のかたと意味の共有が確認取れました。

【Dr. Uchida and the gang stalker】 I would like to record this in near real time. We have confirmed that the meaning is shared with a third party.

They want to control education, probably because they believe that a corporation is the ideal of an organization, that it is the "global standard" for the CEO to have total control, to heavily favor those employees who follow the agenda and fire those who disobey, and they believe they can apply that to universities as well. I don't know how they can be so foolish."】

【ご参照に】
同日の6時間後 【理事会だん。ほぼ全部人事でしたので、発言機会なく「並び大名」でした。さ、ムサコに帰ります。結局お昼ご飯食べる暇はありませんでした。お腹空いた。】

※ならびだいみょう【並び大名】 歌舞伎(かぶき)の殿中の場などで、大名に扮(ふん)して、ただ並んでいるだけの役者。転じて、ただその場に居るというだけで、何の役にも立たないこと。そういう人。 ーgoo辞書より

【See also】
Six hours later on the same day 【Board meeting. Almost all of them were personnel, so I was a "Narabi-Daimyo" without a chance to speak. Now, I'm going back to Musako. We didn't have time to eat lunch after all. I'm hungry.】

※Narabi-Daimyo In kabuki, an actor who merely stands in a line dressed as a feudal lord. In other words, a person who is merely present but does nothing of any use. A person like that. From goo dictionary

●アメリカに取り憑いた病(『ソフト/クワイエット』パンフレット)

なぜ、人種差別の廃絶がアメリカでは遅々として進まないのか?
人間はしばしば非道で残虐であるが、それにしても程度の差というものがある

 けれども、アメリカではその壁が低い。非常に低い。だから、もののはずみで人はこの壁を越えてしまう。
 本作は、差別意識がいささか過剰だけれども、ふつうに市民生活を送っている人が、もののはずみで殺人を犯す話である。その日常から異常へのあまりに容易な切り替えがこの映画が観客にもたらすショックと恐怖の根幹部分をかたちづくっている。

(※【ふつうの人】…「ふつうに」「常識的に」というのは私が一時期よく訴えていた主張で、私の主張や騒動を語るキーワードとしてよく用いられます。
【殺人】…この頃は、先生が「故人の死」をはじめ、私に対して「殺人者」のレッテル張りを扇動していた真っ最中です。)

 でも、怖いのは、別に誰からも差別されていないし、その人種属性によって社会的不利益をこうむってもいない「ふつうの人」の中に育つ差別意識とマイノリティへの憎悪である。彼らは何か具体的な被害をこうむっているわけではない。その差別意識と憎悪は幻想的なものである。
 現実的根拠を持つ偏見なら現実的政策によって矯正可能である。だが、幻想に養われた偏見は現実をどれほどいじっても矯正できない。この映画の怖さはそこにある。
 

(差別主義)(シナリオのメカニズム)

彼らは「社会的公正」とか「平等」を端的に悪であると見なす。そんなものは近代西欧が生み出した「イデオロギー」に過ぎない。生得的な差異や能力差によってヒエラルキーが形成されることのどこが悪いのかと言い切って、「政治的正しさ」を一蹴し、民主主義より個人の自由を優先する過激なリバタリアン(今では「新反動主義者」とか「加速主義者」と呼称されるらしい)が今アメリカには簇生している。

(加速主義)
(※ 【リバタリアン】…前述『○○○リバタリアンという怪物』をご参照ください。「加速主義」とともに騒動のキーワードのひとつです。)
(※ どこまで端的に語っていいのでしょうか…
【バタリアン】=【加速主義者】=(ここでは)【アメリカ】=…そして誰のことを指しているでしょうか。)

 でも、こういう確信犯的な差別主義者がアメリカで大量発生するのは、ある意味で当然なのである。それはアメリカでは「自由は平等に優先する」ということが国是のうちに埋め込まれているからである。あまりそういうことを言う人がいないので、私が代わって説明する。
 そもそも合衆国憲法には「平等の実現」は政府の目標としては掲げられていない。

そして、観客サービスの行き届いたホラー映画でもある。「人間はモンスターより怖い」という(太古から知られた教訓を語る)恐怖譚である。

(差別主義)

●維新と加速主義

(※ 【加速主義】…「加速主義」とともに騒動のキーワードのひとつです。)

 ある講演会で大阪の維新政治15年の総括を求められた。行政、医療、教育、どれをとっても大阪市府の現状は高い評点を得られるものではない。だが大阪での維新の人気は圧倒的である。なぜ政策が成功していない政党を有権者は支持し続けるのか。

 公務員は減らせるだけ減らす。行政コストは削るだけ削る。社会福祉制度のフリーライダーは一掃する学校教育では上位者の命令に従うイエスマンを創り出す。これらはアメリカの「加速主義者」たちが主張し続けてきたことといくつかの点で重複する最新の政治的主張なのである。

(※【フリーライダー】…とは誰でしょうか)

 加速主義というのは2010年代アメリカに登場してきたホットな思想である。資本主義はすでに末期を迎えている。人類は「ポスト資本主義」の時代に備えなければならない。だが、「民主主義」や「人権」や「政治的正しさ」のような時代遅れのイデオロギーがブレーキになって資本主義の矛盾を隠蔽し、資本主義の終焉をむしろ遅らせている。そのブレーキを解除して、資本主義をその限界まで暴走させて、その死を早め、資本主義の「外」へ抜け出そうというのが加速主義である。
 映画を倍速で観る人たち多数派を占めつつある時代にふさわしい思想だと思う。結果の良否はどうでもいい。結果を今すぐこの目で見たいという欲望のあり方は私にも理解できる

(※【映画を倍速で観る人たち】…私の不正アクセス画面で倍ではないですが、映画の速度を上げて見ていたことから)
 

 加速主義的傾向が支配的な社会では「スピード感」がすべてを押し流し、浮き足立った気分を煽る人たちが世間の耳目を集める。そうして焦燥に駆られて採用された政策がいかなる結果をもたらしたかの事後的検証には人々はもう興味を示さない。未来を早く知りたいという焦燥感は私にも理解できる。だが、過去を振り返り、失敗から学習する習慣を失った人たちの前に明るい未来が開けるということがあり得るだろうか?

(加速主義)


●豊かな社会とは

 これまでずいぶん長く生きてきたけれども、日本の国力がこれほど低下した時期は過去になかった。

 だが、まことに不思議なことだが、そういう穏やかな未来図を描く人は、政官財にはいない。メディアにもいないし、学術の世界でもまず見かけない。見かけるのは目を血走らせて「起死回生の大博打」をねらっている人たちばかりである。

「生産性のないやつは生きている価値がない」と揚言する学者やコメンテイターがいる。

 そして、一方には、低賃金に喘ぎ、ブルシットジョブで疲れ切り、ハラスメントでメンタルを壊されて、暗い顔をして職場に通う労働者たちがいる。どうして「豊かなはずの国」で、人々はこんなに「貧乏くさい」のだろうか。それについて考えてみる。

(差別主義)

(前タイトル【維新と加速主義】をご参照ください。

「貧乏」についての考えた…以下をご参照ください
拙稿『ABOUT IT』https://note.com/xr448/n/n92c59ebc6c36

・『内田樹先生と騒動との関係、近頃のメッセージ』内「貧困系」の項目 https://note.com/j_oot/n/nc09258af8bcb#6fae818d-599b-4946-a263-d6f74a45ce1e

 貧乏と「貧乏くさい」は違う。まずそのことを明らかにしておきたい。
 貧乏というのはクールでリアルな経済状態のことである。精神状態とは直接にはかかわりがない。だから、貧乏でも心豊かに暮らすことはできる。
 
 でも、そんな気楽な時代も不意に終わった。自分のパイの取り分が減り出すと、急に人々は貧乏くさくなり、他人の取り分についてあれこれ言い出した。「働きもないのに取り過ぎているやつがいる。社会的有用性に基づいて、資源は傾斜配分されるべきだ」と。そうやう理屈をこねながら日本人はどんどん貧乏くさくなっていった。公務員の既得権益を剥がせとか、生活保護のフリーライダーを許すなとか、生産性のない人間は去れとかいう言葉づかいは、私の記憶するかぎり、この時期にはじめて登場したものである。それまでは聞いたことがなかった。

  私はもうこの貧乏くささにうんざりしている。貧しくてもいい。「貧乏くさくない社会」に暮らしたい。

公共をかたちづくるためにまず身を削るのは「おまえ」ではないし「やつら」でもない。それは「私」である。
 そう思い切ることからしか豊かな社会は生まれない。同意してくれる人はまだ少ないけれど、私はそう確信している。
(2023年5月10日『診療研究587号』)

(差別主義)
(※「私」…日本語で「わたし」という主語の表記も私との関連をほのめかす記号として多くのかたが使用)


●憲法の主体とは誰のことか

人間は自由で権利において平等なものとして生まれる」という人権宣言の言葉も、「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という独立宣言の言葉もどちらも空語である。現在のフランスにも米国にもそんな現実はないからだ。

「現実と乖離しているから憲法を書き換えろ」という人たちがいる。
「では、現実のありのままに叙した憲法を制定した後、彼らはどのような世界を築くために、どういう努力をする気なのか。ただ現状を肯定し、現状を追認してゆくことを「国是」に掲げた後、何をする気なのか。
(信濃毎日新聞 2023年5月6日)

●『怪物』公式パンフレット解説

怪物を制御する主体
 人は誰でも自分の中に一匹の「怪物」を飼っている。
 私がそのことを知ったのは半世紀ほど前の学生運動の渦中においてである。当時、キャンパスはしばしば「無警察状態」になった。どのような非道なふるまいをしても刑事罰を受けるリスクがないという状態になると、暴力性を自制できない人がいる。それも少なからずいることを私はそれまで知らなかった。

(集団ストーキング、騒動)
(※ 【怪物】…ここでは誰を指しているでしょうか…)

 ふだんは「ふつうの人」のような顔をしている学生の形相がいきなり変わって、すさまじい暴力をふるった。しばらくしてキャンパスですれ違った時にはまた別人のように「ふつうの顔」をしてすたすた歩いていた。

 あの頃、たくさんの学生が同じ学生によって殺されたり、重い傷を負わされたりした。多くの場合、犯人は捕まらなかった。だから、若い頃に人を殺したり、生涯残るほどの傷を負わせた人たちの多くは、その後就活して、勤め人になり、今ごろはもう年金生活者になっていると思う。でも、家族も友人も誰もそのことを知らない。

 先の戦争の時も同じようなことがあったのだろうと思う。ふだんは穏やかなおじさんや内気な青年であった人たちが、何をしても処罰されないという状況に投じられた時に「別人のような形相」に変わって、略奪し、放火し、強姦し、殺害したということを私は信じる。彼らは復員した後、まだもとの穏やかなおじさんや内気な青年に戻ったのだろう。

(騒動のご説明)(騒動のシナリオ)(暴力性)

(※今日のテキストも騒動を古くからお知りになる方にその当否について客観的なご判断を後ほどいただければと考えています。ご面倒おかけして本当に申し訳ありませんが、ご協力いただけますよう何卒よろしくお願い致します。)

(※ 【何をしても処罰されない】…頻出されるメッセージです。
・セクシャルハラスメントについて【権力は「他人がしてたら処罰されることをしても自分は処罰されない」ことで確かめられる】
【処罰のおそれも報復のおそれもないと知るといくらでも卑劣にも暴力的にもなれる人間がこの世には一定数存在していることを僕は経験的に知っています】)

 子どもは「ふつうの自分」がどんな人間であるかについて、いまだ確たる自己像を形成していない。わずかに場面が変わり、人物配置が変わっただけで、子どもはまるで別人のようになる。その可塑性こそ「子どもらしさ」の本質なのだが、そのせいで子どもたちは「怪物」を解き放った時にも自分がその起源なのだという自覚を持つことができない。それは「見ず知らずの誰か」なのだ。だから、子どもが解き放つ「怪物」は怖い

●テロリズムについて

(※「集団ストーキング(ギャングストーキング)」は欧米ではテロ指定された行為です。『テロリズムについて』は、日本で起こった首相襲撃事件について書かれれています)

(※『内田樹先生と騒動との関係、近頃のメッセージ』より【ギャングストーキングについて】の項目
内田先生のメッセージです。

>「日本で革命ができるのは極道だけじゃい」というセリフが出てきてもおかしくない)

 一連の襲撃事件は「民主主義の破壊行為」「民主主義を揺るがす暴挙」などと批判されています。しかし、これらは自民党政権を批判する際に使われる言葉でもあります。

内田 その批判は原因と結果を取り違えていると思います。テロが起きると民主主義が壊れるのではなく、民主主義が壊れるとテロが起きるのです。
 
 少数派の意見が、民主的手続きを経て、部分的にではあれ実現するプロセスがきちんと機能していれば、政府に対する暴力行動が頻発するというようなことは起きません。

 この10年間、自公連立政権が自分たちの支持層の利害だけを代表し、それ以外の国民の要望についてはほとんど「ゼロ回答」で臨むようになった。ふつうは政府が強権的・圧政的になると、民心は離反するものですが、日本ではそうならなかった。政府が独裁的になるほど、国民は萎縮し、少数派は腰砕けになった。この「成功体験」が政府を増長させたのだと思います。

(権力の私物化、騒動の動機)

(※【独裁】…本稿でも頻出のワードです。)

―なぜ日本では民主主義が機能しなくなったのですか。
内田 日本の為政者たちがこの「成功体験」に居着いて民主主義の基本原則を忘れたからです。民主主義の原則とは、オルテガが道破した通り、「敵と共に生き、反対者と共に統治する」ことです。為政者はおのれの反対者や政敵を含めた全国民の代表として、「公人」としてふるまうように要請される。

 それよりはトップに全権を委ね、そのアジェンダに賛成する者だけで政府を形成して、反対者は全部排除する。そうやってトップの決定が遅滞なく末端まで示達される仕組みの方が「効率がいい」ということを言い出す人が出てきた。
 
「少数派の意見に耳を傾けなければならない」
というのはきれいごとではなく、民主主義国家を維持するための政治的リアリズムです。

(※【少数派】…【弱者たたき】は本稿でもたびたび現れるキーワードです)

― しかし、今の日本ではそういう恐怖心や緊張関係が失われています。
内田 政府と国民の間の対立関係は深まっていますが、政府の側には国民を恐れる気持ちがない。それより政権を支持する人たちの主張をどんどん汲み取ることで、コアな支持層を固めている
― 戦前の歴史が繰り返されないならば、日本の未来はどうなると思いますか。
内田 現在、日本の民主制は崩壊過程にあります。このまま政府とその「取り巻き」たちが公権力を私的目的に用い、公共財を私財化するネポティズム政治が続くうちに、日本は後進国に転落するでしょう。

(騒動の結末)(ネポティズム)

(※【ネポティズム】について
騒動で頻出されるメッセージのひとつです。
ご参照に
・『内田樹先生と騒動との関係、近頃のメッセージ◆【●ネポティズム】
もちろん、そんな国は国力が衰微して、遠からず先進国グループから脱落して、「独裁・ネポティズム」国家になるわけですけれど、既得権享受者たちは「それでもいい」と思っている。これまで蓄積してきた国富は自分たちの懐にねじこんでもおつりがくるくらいあるから。】)


●関東大震災から100年 朝鮮人虐殺について考える

(※本稿『福田村事件』でもご紹介していますが、内田先生がアラートの意味について、しばしばご返答として提示していただいた事件になります。)

― 今年は朝鮮人虐殺100年の節目の年です。内田さんはこの歴史をどう受け止めていますか。

内田 朝鮮人虐殺は「わが国の歴史の暗部」です。関東大震災の地震や火災で多くの人々が亡くなり、生き残った人々もパニック状態にあった。そういう状況で「朝鮮人が井戸に毒を入れている」「放火している」などという流言飛語が飛び交った。そして、自警団を組織した人々が朝鮮人や中国人や日本人を寄ってたかって刀や竹やりで殺した。混乱の中での出来事ですので、犠牲者の正確な数は分かりませんが、おそらく千人から数千人に及ぶと言われています。

日本に出稼ぎに来た朝鮮人たちにも日本人は非人道的で差別的な扱いをしてきた。ですから、日本人は「朝鮮人は日本人を恨んでおり、機会があれば復讐するに違いない」という不安を抱いていた。自分たちがこれまで朝鮮人たちに向けてきた憎々し気な顔を鏡に映して、それを他人の顔だと思い込んで恐れをなしたのです。これまで穏やかな共生のうちに暮らしていたら、「朝鮮人が襲ってくる」というような妄想が生まれるはずがありません。

 排外主義における憎しみの対象は具体的な「個人」ではなく、抽象概念としての「集団」です。
関東大震災でも、固有名を持った朝鮮人たちとの人間的かかわりがあった人たちはしばしば彼らを守る側に回りました。虐殺に加担したのは、「朝鮮人」というものを集団としてしか扱うことを知らない人たちです。
 排外主義的暴力が発動する条件は二つあります。一つはどれほど暴力をふるっても相手から反撃される可能性がないこと。もう一つは攻撃される対象が有徴的であること。

(差別主義)(アラートのデマ)

(※ご参照に
●次は現在、記録を録っていますお三方のコメントです。「痰壺」(不特定多数の人間が痰を吐くための壺)、「いくら殴っても殴り返してこない最高の悪役」、先生のコメントは「なんでも入るゴミ箱」となります。

●本稿『月刊日本インタビュー「ウクライナとパレスチナ」』より【ネタニヤフ首相はハマスを「新しいナチス」と呼び、演説では「私たちは光の民であり、彼らは闇の民だ」という善悪二元論的な理解を示しました。イスラエルの国防大臣は「私たちは人間のかたちをした獣(human animals)と戦っている」とまで言い切りました。イスラエルによれば、今回のハマスとの戦闘は、二つの国家がそれぞれの国益を守るために行う「ふつうの戦争」ではなく、人間が悪魔と闘っている「神話的な戦争」だということになります。それではイスラエルのガザ攻撃に歯止めが利かなくなって当然です。相手は人間じゃないんですから。】 

― 昨今の日本では嫌韓感情や排外主義が高まり、韓国人をはじめとする外国人差別が表面化しています。
内田 朝鮮人虐殺について、たしかに現代人に直接の刑事責任はありません。しかし、私たちにはかつて日本人が犯した罪については、それを償う倫理的な責任がある。責任を引き受けるとは、ひとりひとりの死者たちが、どういう歴史的文脈の中で、どのように死んでいったのか、それをできるだけ具体的に詳細にわたって語り継ぐということです
 
 近年の日本社会では「歴史の暗部」を直視するどころか、自国の歴史には恥ずべき過去などなにもないと言い募る歴史修正主義がはびこっています。

 でも、「正論」や「一般論」なんて、極端な話、どうだっていいんです。どうせ、誰かが同じことを言うんですから。言う価値があるのは、自分が身体を張ってでもここで言わなければ「他の誰も自分に代わって言ってくれない言葉」です。一般論や大義名分は言葉としては「軽い」んです。だって、自分が身体を張って言わなくても「誰かが」自分に代わって言ってくれるはずだから。自分が身銭を切ってまで言い続ける必要なんかない。簡単に捨てられる言葉だからこそ、言葉が軽くなる。

(シナリオの歴史修正主義)

(※ご参考に
・拙稿『疑問』より
以前、私の周知に対して、先生からご確認をいただきました。その2日後から「嘘」「フェイク」といったワードが
先生のアカウントに埋め込まれるということがありました。
私は解決を試みようと“どこがウソに相当しますか”と先生にお尋ねします。

先生のメッセージです【ホロコースト虚偽説を描いたDenial という映画があります。歴史修正主義はどんな妄説も、その正否にかかわる論争に持ち込みさえすれば、それなりの学問的根拠があるように見えることを利用する、という実話の映画化。歴史修正主義は「両論併記に持ち込んだら勝ち」なんです。】)

〇「超能力」アラートにおける回答としてこの『福田村事件』(朝鮮人虐殺)が提示されたとき、先生にご質問をしました。
”映画ですので様々な見方があると思うのですが、
「人間は時に愚かなことをすることがあり、そういった負の歴史を映像として残すことで二度と悲劇を繰り返さないためのリマインダー」を大きなメッセージとして製作されたと見ることができると思います。先生のテキストにもその旨を窺うことができるのですが、なのになぜ悲劇を繰り返そうとするのですか”

内田先生からご返答をいただきます。
(お答えとして、優生思想を扱った時事問題に付して、二つの記事をご指定になられます)

●【一つ目。http://blog.tatsuru.com/】
(※ 掲載が昨日の日付になっている記事です)

フリーライダーの効用』2024-03-11 lundi
【でも、使えないやつは有害無益だから、集団から追い出すべきだという論には同意しない。】
組織に寄生して、何も価値を生み出さず、むしろ新しい活動の妨害をする「フリーライダー」はどのような集団にも一定数含まれる。この「無駄飯食い」の比率を下げることはたしかに集団のパフォーマンスを向上させることにある程度までは役立つだろう。ただし、「ある程度」までである。というのは「無駄飯食いの排除」作業に割く手間暇がある限度を超えると、その作業自体が集団のパフォーマンスを著しく低下させるからである。】  
(本稿においては、『生産性の高い社会のゆくすえ』の内容にも相当します。)

●2本目【もう一つ、もうちょっと長いもの。これは『街場の成熟論』に採録されました。http://blog.tatsuru.com/】

本稿採録の『パワークラシーの国で』をご指定いただきました。以下抜粋。

社会的禁忌を嬉々として破ることで熱狂的な視聴者を獲得してきた日本の扇動者の一人
【わが国が「パワークラシー」の国だと考えると、当今の権力者たちの異常な言動が理解できるはずである。
【彼らは自分たちが「法の下の平等」から除外されていること、「非常識」という評言が自分たちには適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。】

●ご参照に 
本稿『リバタリアントという政治的奇形物について』より
際立つのが片山さつき議員で、生活保護受給者は「実質年収4百万円」の生活をしているという無根拠な都市伝説の流布に加担して、生活保護叩き発言を繰り返してきたが、最近も捏造投稿に基づいてNHKのニュース内容にクレームをつけて、生活保護受給者が社会福祉の「フリーライダー」だという世論の喚起に励んでいる。もちろん、本人がそう「信じている」という信憑の問題もあるのだろうが、「そういうこと」を公言すると選挙で票が集まるという現実的な打算も同時に働いているはずである。

●朴先生からのご質問シリーズ「言語の生成について」

(※こちらは本稿の「新しいナチズム」というテーマとは直接に強い関係はないのですが、本稿の資料の読み解きに必要かと判断しました。ひょっとしたら後に別のテキストに移動させるか、場合によっては削除も考えていますが、試用として掲載したいと思いますので、皆様もご一考ください。)

(※Q)
(先生の知己であれらる質問者のかたが、騒動に関連するキーワードである黒人差別(差別主義)、憲法に保障された権利の侵害、ナラティブの問題、民主主義と先生のとの関りについて述べられた後、こちらも騒動での論点「盗作」問題に関連したご質問をされたと注目することができます。

(事実の参考に…と思ったのですが、自分の非難を軽くしたいという気持ちから発した余計な記述かもしまれませんね。削除しておきます)

私が騒動の焦点の一つとなった盗作問題とは、僭越ながら、先生が出版された研究書が海外の研究の翻訳であるという内容でした(これに関しては、皆様のご協力の上、先生の同意をいただいいたものです。深くお礼申し上げます)。

(※A:内田先生)
 第一の質問にお答えします。僕は物を書く時に一番たいせつにしていることは「正直」です。頭の中に浮かんだアイディアをできるだけ加工しないで、単純化したり、定型化したりしないで、「そのまま」出力する。
 
「既知の定型」という「罠」はそこらじゅうに張り巡らされています。もちろん「既知の定型」と言っても、もとはと言えば僕が自分で考えだしたものですから、「借り物」ではありません。「オリジナル」な知見なんです。でも、「既製品」なんです。

(この点に関して、先生からの新しい論点かと拝見しました。)
【「僕が書きたいこと」とか、さきほどから「アイディア」とか言っていることって、それをどういう文体で叙するかという「スタイル」も込みだということになります。】

(※ご参照に『剽窃について ー再掲バージョンー 』より
https://note.com/xr448/n/n1e55d7316f45
英訳バージョン『Plagiarism -Reposted version 』
https://note.com/j_oot/n/n043ecb96f01f

〇内田先生のメッセージです“
「コピーライトという考え方はよくない」ということをしばしば発作的に申し上げているが、それはロラン・バルトやジャック・ラカン以来の、「私が語っているとき、私の中で語っているのは〈他者〉である」という「現代思想の常識」テーゼを反復しているにすぎない。”

〇内田先生のメッセージです
“私はどんな論件に関しても、自分の知見に独自性があると考えていない(今回の本も、ほとんど先人からの受け売りである)。なので、真似するなとか著作権が蜂の頭とかややこしいことは言わない(というより言えない)。”)


●『福田村事件』

(※「福田村事件」…集団ストーキングにおいて先生が多用するキーワードです。

〇【『福田村事件』】…別名「朝鮮人虐殺」。
>1923年(大正12年)の日本で発生した関東地震・関東大震災の混乱の中で「朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れた」や「朝鮮人が放火した」などのデマが流れ、それを信じた官憲や自警団などが多数の朝鮮人や共産主義者を虐殺した事件である。
ウィキペディアより】

騒動との関りにおいて、先生は、何度か『福田村事件』の記号を提出されています。2度はアラートに対して、記号の意味をお尋ねした際のお答えとしていていただきました。

この映画が描く事実そのものを否定する歴史修正主義者が大手を振っている今の日本社会で、この映画が無事に上映され、商業的成功を収め、映画として高い評価を受けているという事実は大きい。

(※ 【歴史修正主義】…先生から提示されるシナリオの指示においては、「反知性主義」(妄想的な陰謀論)とともに頻出されるキーワードと見ることができます。日々の「私の個人情報」「家族のストーリー」に関しては本当にやめていただけないでしょうか…

 定住民が遊行する人を差別し、迫害し、排除するということは、これまでも繰り返し行われてきた。それは定住民から見て、遊行の人々が「異物」だからである。「異物」は嫌悪の対象であると同時に激しく欲望をかきたてる対象でもある。行商する人々はその「異物」性をある種の商品として売ってもいる。そういう意味では危険な仕事である。

(※【異物】とはだれでしょうか…)

 この映画を観て、若い人は「自分はこんな状況になっても虐殺には加担しない」と思うかもしれないが、それはわからない。誰でも虐殺の加害者になり得る。60~70年代の学園紛争を経験した世代として証言するけれども、ふだんおとなしそうな学生がいきなり節度のない暴力をふるうということは「よくあった」。  実際に、外から見ると区別もつかないようなわずかな政治綱領の違いから違う党派の学生同士が殺し合いを演じた。鉄パイプで人の頭を殴って、頭蓋骨を割るというようなことを、さしたる心理的抵抗なしにできる人がいるということを私はその時に知った。
 ある人が、「何をしても罰されない」という環境に置かれたときに、どこまで非人間的になれるか、それは平時にはなかなかわからない。だから、できるだけ「何をしても罰されない」状況を作り出さないように私は今も個人的に努力している。

(※『怪物』公式パンフレット解説をご参照ください)
(※【何をしても罰されない】…最初期から騒動頻出のメッセージです。 内田先生へのご批判のリポスト悲しいですが、本邦は古から「いじめればいじめるほど、成員は言われるがままになる」という手段が効果的なんでしょう。

内田先生【政治家がどれほど理不尽なことをしても「この人は理不尽なことをしても罰されないほど権力があるからそうしているに違いない」と国民は推論してくれる。だから「威張れる立場になるためには威張ってみせるのが一番効果的」という経験則が通用してしまう】)

 私たちが内蔵している潜在的な暴力性を抑制するために必要なのは「感情教育」だと私は思っている。感情が深く、豊かで、複雑になれば、怒りや憎しみや屈辱感のような「負の感情」に流されて、感情を制御できなくなるということは起こらない。起こらないとまでは言えないけれども、少なくとも起こりにくくはなる。

暴力をふるう側にも、振るわれる側にも、想像的に身を置くことで、人は暴力を制御する装置を内面化してゆく。本作もまたそのような「感情教育」のすぐれた機会となると私は思う。

(翻訳を未見で、また皆様のご反応もわかりませんが、こうしたダブルスピークはどこまで伝わっているのか、補足は付けなくとも理解できるレベルなのでしょうか…気になるところです。大丈夫でしょうか…)

(※「超能力」アラートにおける回答としてこの『福田村事件』が提示されたとき、先生にご質問をしました。

”映画ですので様々な見方があると思うのですが、「人間は時に愚かなことをすることがあり、そういった負の歴史を映像として残すことで二度と悲劇を繰り返さないためのリマインダー」を大きなメッセージとして製作されたと見ることができると思います。先生のテキストにもその旨を窺うことができるのですが、なのになぜ悲劇を繰り返そうとするのですか”というご質問内容でした。

この質問に対してはまだお答えをいただいていなかったと思います。)

(本日の作業は終了したいと思います。皆様にはお付き合いいただき、ありがとうございました。

最後に本日の作業について、騒動を初期からご存じであり、先生のメッセージにも精通している方にご確認を請いたいと思います。
毎日のように、大変なご面倒をおかけして恐縮の至りですが、何卒ご協力いただきますようよろしくお願い致します。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです)

(※ ↑作業終わりにお断りしたご確認について
昨日の作業分に関してはご確認いただきました。毎日、お力を拝借してしまい恐縮しております。かつ、厚く感謝申し上げます)

(拝見しましたところ、多くの文章で私、および騒動に関係する記述は見つけることができるのですが、影響の濃淡のどこま濃いものをご紹介するかで、悩んでいます)


●「維新的民主主義」

(※【維新】…日本の政党です)

 ある雑誌から「大阪でどうして維新(※加速主義としてご紹介される日本の政党)はあれほど支持されているのでしょうか」という取材を受けた。同じ問いは10年以上前から繰り返し受けている。そのつど返答に窮する。
 
 どの施策を見ても、市民府民にとっては行政サービスの劣化をもたらすものばかりである。にもかかわらず大阪の有権者たちは維新に圧倒的な支持を与え続けている。なぜなのだろう。
 
「民衆はしばしば権力を託する人間の選択を誤る」とトクヴィルは書く。でも、それでいいのだ、と続ける。重要なのは、支配者と被支配者の利害が相反しないことだからだ。「もし民衆と利害が相反したら、支配者の徳はほとんどの用がなく、才能は有害になろう。」
 
逆に、「こんなことをしてもろくな結果にならない」とわかっていても、やると有権者が喜ぶことならやる。
 これはポピュリズム政治の本質を衝いた卓見だと思う。
 大阪の有権者たちはトクヴィル的な意味ですぐれて「民主主義的」なのだと思う。
 利己的であったり、嘘をついたり、弱いものいじめをしたりするのは「誰でもすること」である。「誰でもすることをする政治家」こそが民衆の代表にふさわしいというのはロジカルには正しい。

(加速主義、騒動のメカニズム)

(※【支配者】【民衆の代表】とはだれでしょうか…

ご参照に 本稿で同政党を扱ったてテキスト『●維新と加速主義』

【「民主主義」や「人権」や「政治的正しさ」のような時代遅れのイデオロギーがブレーキになって資本主義の矛盾を隠蔽し、資本主義の終焉をむしろ遅らせている。そのブレーキを解除して、資本主義をその限界まで暴走させて、その死を早め、資本主義の「外」へ抜け出そうというのが加速主義である。】


●2024-02-07 mercredi

「救難信号を聴き取ってくれそうな甘さ」

A:割りと切実なご質問でした。
 他者からの救難信号を聴き取る人のところにじゃんじゃん「助けて」という支援要請が集まってきて、キャパシティーを超えた場合はどうしたらいいんでしょう。
 これはまさに僕の現状みたいですね。いろいろな人から「ちょっと手を貸してください」ということを言われます。

 僕は人間が生きてゆくためには相互支援共同体というものがどうしても必要だと考えています。そのような共同体に帰属していないと、個人では人は生きて行けません。
 その共同体の制度設計の基本ルールは「最も弱い人が自尊感情を持ってメンバーでいられること」です。
 ですから、そういう共同体では「フリーライダー」というものは概念上存在しません。

「フリーライダーはいない方がいい」
というふうに、多くの人が思っています。
 思っているどころか、「フリーライダーを根絶する」ことが政治的正しさだと信じて、「生活保護受給者」をいじめたり、undocumented な在留外国人を「国に返せ」と言ったりする人の方があるいは多数派かも知れません。
 
でも、僕はこれは端的に間違っていると思います。共同体は、「標準的な個体」ではなく、「最も弱い個体」を基本に制度設計されるべきだと思っているからです。最も弱い個体でも気持ちよく暮らしてゆけるように制度を調える。その方が共同体は強靭なものになるからです。
 
だって、フリーライダーがもたらす損失なんて、たかが知れているんです。 


フリーライダーを組織のフルメンバーとしてにこやかに迎え入れ、オーバーアチーバーには好きにさせておく」という「メンバー全員が気分よく過ごせる」組織を設計するのが、いちばん賢いということになります。

 君が受け取っている救難信号が具体的にどんなものか僕にはわかりませんけれど、「助けて」とひとに言われるというのは、とても「よいこと」なんです。それだけは覚えておいてください。
 そのときに君がした努力への「お返し」は、別のときに、まったくおもいもかけないかたちで戻ってきます。贈与のシステムはそれくらいには信じても大丈夫です。

(差別主義、優生思想、加速主義)
(※【フリーライダー】…とは誰でしょうか。
騒動で頻出メッセージです。

ご参照に
・『ABOUT IT』
(内田先生のほのめかし)【それが引き起こした現象のみを書くと、“仲間の中に「生活保護」がいる”という情報がコミュニティーに拡散されました。もちろん面識はありません
多くの人から批判を受けます。】

【以降、先生からは“生活保護”“ホームレス”“無職”“貧困”などを示す記号が提出されます。文脈を共有しない人たちには社会福祉のメッセージです。】

・本稿で前述した内田先生のポストです。
【2010年代から「組織マネジメント」というのが「トップダウンの組織を作ること」「トップのアジェンダに賛成する人間を重用し、異議を申し立てる人間を排除すること」「給料分の働がない人間、制度のフリーライダーを見つけ出し、処罰すること」】)


●コミュニズムのすすめ

(このテキストは、私のご質問に対して、先生がお答えとして提示していただいたものになります。

私のご質問
【昨晩、痛みに耐えかねてご質問させていただきました。 なぜ、現実とは逆に、私の方が【呪い】の主体で、【「日本社会に存在させてはならない」】となるのでしょうか… というご質問内容でした。これまでの経緯を反復し、代表するものとしてお問いかけ致しました。】)

先生のご返答になります

 現代日本の際立った特徴は富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである。

 いや、ほんとうにそうなのだ。現代日本の辞書では、「権力者」というのは「公権力を私用に使い、公共財を私物化できる人」のことなのである。そういう身分になることを目標にして、人々が日々額に汗して努力している以上、国があげて「貧乏くさく」なるのも当然である。
 私はもうこの貧乏くささにうんざりしている。貧しくてもいい。「貧乏くさくない社会」に暮らしたい。
 それなら、どういう社会が「貧乏くさく」ないのか。とりあえず私が敗戦後の日本で見聞した「共和的な町内」はそうだった。他人の富裕を羨まない、弱者を見捨てない、私財を退蔵せずに分かち合う、公共財ができるだけ豊かになるように努力する。言ってみればそれだけのことである。現に大人たちがそのようにふるまい、それが「ふつう」なのだと子どもたちが思うなら、その社会は、たとえ物質的に貧しくても、「貧乏くさく」はない。私はできるならそのような社会に暮らしたい。

(差別主義、優生思想、加速主義)
(※ 【】内の言葉が連呼されています。)

(※私は、8年ほど前のある日、突然内田先生から「待ってろよ」というお言葉をいただき、そのあと「この中に生活保護を受給している人間がいる」とご指摘を受けました。ー拙稿『ABOUT IT』に詳述。
それ以来、先生は頻繁に排除アートのベンチなどに代表される差別主義的なメッセージや、「生産性」「フリーライド」など優生思想的なメッセージを提示されています。
ー拙稿『◆内田樹先生と騒動との関係、近頃のメッセージ◆』【●差別主義】に詳述)

公共をかたちづくるためにまず身を削るのは「おまえ」ではないし「やつら」でもない。それは「私」である。
 そう思い切ることからしか豊かな社会は生まれない。同意してくれる人はまだ少ないけれど、私はそう確信している。

(※ 日本では人称代名詞の表現が英語に比べて複数あります。「おまえ(omae)」(=you)、「やつら(yatsura)」(=they)もその一部です。そして、自分が使用し、自分を指す表象として騒動初期から一般に流布したのが「私(watashi)」(=I)です。)


(長くなりました。長時間執筆することについて、ゲームとの兼ね合いというのは、あるのでしょうか。完走を目指して行いましたが、区切った方がよろしかったでしょうか…とにかく長時間、長文になったこと失礼しました。

作業を進めるうちに、物理的に完走することが第一義になってしまいましたが、もっとまとめたほうがよかったかもしれません。情報量をコンパクトにして、振り返りやすくするというのが大きな目的だったのですが、そちらはもっと手を入れたほうがよかったかもしれません。

お付き合いいただきありがとうございました。とりあえず区切りとしたいと思います。



▢権力の私物化


●国葬について

国葬についてはいろいろな媒体に寄稿した。これは「赤旗」に求められたコメントだったが、没になった。岸田首相が「安倍元首相ほどの悪ではなかった」というあたりがお気に召さなかったようである。
 
 安倍元首相のふるった強大な権力はある種のループ構造になっていた。どれほど国民が反対しても、野党が反対しても、合理的根拠がなくても、彼はやりたいことを強行した。すると、国民は「そんな無茶ができるのは、それを裏付けるだけの強大な権力を有しているからだ」と推論した。そして「それほど強大な権力者であるなら抵抗しても無駄だ」という諦めの境地に至った。つまり「あれほど権力的にふるまえるのは、ほんとうに権力を持っているからだ」という人々の思い込みが彼の権力基盤だったということである。よくできた仕組みだ。

(※【国葬】…集団ストーキングによる私の処刑に対してよく譬えらた記号です。 【安倍元首相】とは誰でしょうか…

〇【ご参考に】
・拙稿『ABOUT IT』より
騒動開始時、繰り返しご主張されていた内容のメッセージです。「セクシャルハラスメント」についてです。私の映画コメントのアカウント名は女性名(昔飼っていたペットの名前です)でした。

その通りだと思います。権力は「他の人がしたら処罰されることをしても自分は処罰されない」ことで確証されるので、権力を持つ人は自分の地位を確認したくなると(不安になると)必ず「そういうこと」をするようになります。そして、ある日ついに処罰される日が来るまでそれを止められない。

・本稿、共謀罪をめぐる先生のコメントです。この記事から6年前。
共謀罪について、『権力者の全能感が見える』の文章。
権力者が全能感を覚えるのは、不合理で、不適切なことをしても誰もそれを咎(とが)めない時である。だから歴史上の独裁者たちはまったく無意味な苦役をその臣民に強いることで、おのれの全能を確認しようとしたのである。】)

【抜粋】
・(騒動のメカニズム、権力の私物化)安倍元首相のふるった強大な権力はある種のループ構造になっていた。どれほど国民が反対しても、野党が反対しても、合理的根拠がなくても、彼はやりたいことを強行した。[…]「あれほど権力的にふるまえるのは、ほんとうに権力を持っているからだ」という人々の思い込みが彼の権力基盤


●国葬という政治的失着

(上のテキストと同じ社会的事象がテーマになっています。)

 法的根拠のない安倍元首相の国葬を国会の審議を経ず強行したことで一気に支持率は下がったでも、国民はこのルール違反を咎めたわけではないと思う。政府の「ルール違反」はこの10年もう日常化していたし、それは安倍時代には内閣支持率に影響しなかったからである。
 
 そのようにして、10年にわたって、法律も憲法も無視し、国民の反対も無視することが「できた」のは、逆説的だけれども、安倍晋三という政治家に「他の総理大臣たちに卓越した力」があったと認めざるを得ない。
 民意を得るための最良の方法は民意を得るためにまったく努力する様子を見せないことだというのが安倍政治の「教訓」であり、続く二代の政権はそれを愚直に踏襲して、短期間のうちに支持を失った。

(※【安倍】とはだれでしょうか…。
〇ご参照に
・本稿内『パワークラシーの国で』より
「パワークラシー」は違う。権力者の正統性の根拠が「すでに権力を持っている」ということだからである。】
「【パワークラシー」の国では、権力者批判が許されない。】
【「パワークラシー」の社会では、「権力的にふるまうことができる」という事実そのものが「権力者であること」の正統性の根拠になるのである。なんと。】 
だから、彼らは自分たちが「法の下の平等」から除外されていること、「非常識」という評言が自分たちには適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。】

【抜粋】
・(※権力の私物化、騒動のメカニズム)(安倍元首相は)10年にわたって、法律も憲法も無視し、国民の反対も無視[…]民意を得るための最良の方法は民意を得るためにまったく努力する様子を見せないことだというのが安倍政治の「教訓」

(現場ではご批判いただいたようにお見受けします。情報ありがとうございます。助かります。私自身は文章を加えていませんので、抜粋箇所に問題があるのではないか、という疑義だと解釈しました。今日の夕方の件と同様の手はずで他のかたにお尋ねしたいと思います。確かにどこを使用するか、というのは周知につきまとう問題です。どうしても悪意を読み取る気持ちもわかります。ただ、強度に関して言えば、夕方に紹介したポスト含め今まで紹介してきたテキストに比べると、内田先生のクリアな告白は、これでもまだ柔らかい方かと思われます。なぜでしょうね…過去に何度も周知してきた文章と意味合いは同様のものばかりなのですが(だからと言って騒動に触れた文章とは限りません)、ここでは嘘に思えるという現象がなぜ起こるのでしょう。外部からの異化効果みたいなものがあるのでしょうか…。疑問ばかりで、ひとり授業に取り残され、覚えの悪い子供になった気がします。ストーカーの報道内では、こちらから発信された情報は蓄積されていないということでしょうか…

今日はここで止めたほうが良いということでしょうか。)
(先生、だんぞくてきにやめていただけないでしょうか…)


●日本の研究力の低下

  2015年に学校教育法が改定されて、大学教授会の権限が大きく殺がれた。大学は学長・理事長に権限が集中する「株式会社のような」トップダウン組織になった。それによって大学の組織運営は画期的に効率化するはずだった

だが、その結果がこの底の見えない研究力低下である。教育改革を主導してきた人々はこのみめな結果をどう総括するのか。
 というのは修辞的な疑問であって、私は答えを知っている。それは「改革が足りなかった」というものである。政府の政策は100%正しかったのだが、頑迷固陋な現場の教職員がその実現に抵抗したせいで所期の成果が得られなかった。だから、さらにトップの権限を強化し、現場から自己裁量権を奪い取るべきだ。トップのアジェンダに忠実に従うイエスマンだけを重用し、反対する者は排除すれば、日本の研究力はV字回復する。そう信じている人たちが政策決定の要路にとどまる限り、日本の研究力低下と大学の非民主化は止まらないだろう。

(※ ご参考に

・拙稿『◆内田樹先生と騒動との関係、近頃のメッセージ◆』『大学関係者への恫喝』より

内田先生のメッセージです
(政権が大学の学外委員に強力な権限を与えようとしているという記事に)【彼らが教育を管理したがるのは、たぶん株式会社が組織の理想だと信じているからでしょう。CEOが全権を握って、アジェンダに従う従業員たちを重用し、逆らう者は解雇するのが「世界標準」だと信じて、それを大学にも適用できると信じている。どうしてそんなに愚かでいられるのか分かりません。】

同日の6時間後 【理事会だん。ほぼ全部人事でしたので、発言機会なく「並び大名」でした。さ、ムサコに帰ります。結局お昼ご飯食べる暇はありませんでした。お腹空いた。】

※ならびだいみょう【並び大名】 歌舞伎(かぶき)の殿中の場などで、大名に扮(ふん)して、ただ並んでいるだけの役者。転じて、ただその場に居るというだけで、何の役にも立たないこと。そういう人。 ーgoo辞書より

(なお、上記参照の【大学関係者の恫喝】は、私は他のかたに教わった情報です。ご職場と騒動、同じ方の同じテーマが目指されたものとしてとりあげさせていただきました)

【抜粋】
・(権力の私物化)2015年に学校教育法[…]。大学は学長・理事長に権限が集中する「株式会社のような」トップダウン組織になった。
トップのアジェンダに忠実に従うイエスマンだけを重用し、反対する者は排除すれば、日本の研究力はV字回復する。そう信じている人たちが政策決定の要路にとどまる限り、日本の研究力低下と大学の非民主化は止まらないだろう。



●無意味耐性の高い人たち

日本では、当初から騒動を語るうえで「無意味」というキーワードでしばしば語られてきました。比較的わかりやすいキーワードの例示としてご紹介したいと思います。)

「意味のない言葉を口にしても気にならない」人のことを私は「無意味耐性の高い人」というふうに呼んでいる。無意味な言葉を朗々と読み上げることができ、無意味な仕事に必死に汗をかくことができる人たち、それが「無意味耐性の高い人」である。これは現代日本ではある種の「社会的能力」として高く評価されている。
 
 上意下達組織において最も重んじられるのは「イエスマンシップ」であるが、これを考査するための最も簡単な方法は無意味なタスクを課すことである。トップが下したまるで無意味な命令が、途中で「ちょっと待って。これ何の意味があるの? オレはそんな無意味な仕事はやりたくないぜ」というタイプの抵抗に出会うことなく、末端まで遅滞なく示達される組織は「完璧なトップダウンが実現されている」とみなされる。そして、現代日本ではそれが組織の理想なのである。
 組織が上意下達的になればなるほど、「ブルシット・ジョブ」が増えるのはそのせいである。今、日本人は「無意味な言葉と無意味な仕事」という「おろし金」で日々すり減らされている。

(※ご参照に

本稿【●維新と加速主義】より
【公務員は減らせるだけ減らす。行政コストは削るだけ削る。社会福祉制度のフリーライダーは一掃する。学校教育では上位者の命令に従うイエスマンを創り出す。これらはアメリカの「加速主義者」たちが主張し続けてきたことといくつかの点で重複する最新の政治的主張なのである。】

●以前のご質問
先生のアラートに対して、攻撃をしているのは先生の方であるのになぜそのようなことをなさるのか、ご質問します。

内田先生【Business Insierというお媒体に『福田村事件』(朝鮮人虐殺…震災時、デマにより多くの虐殺が引き起こされた歴史的なヘイトクライム)について寄稿しました。どぞ。】

さらにその理由をお尋ねしますと…
〇内田先生のメッセージです。
上意下達組織では上位者への忠誠が能力より優先的に配慮されるので、上から下までイエスマンばかりになります。イエスマンは「上におもねり、下には威圧的」という二面性を特徴としますので、日本中の組織は「おべんちゃら使いのハラスメント野郎」に満たされてしまったのでした。😭】


【抜粋】
・(騒動の目的、メカニズム)上意下達組織において最も重んじられるのは「イエスマンシップ」であるが、これを考査するための最も簡単な方法は無意味なタスクを課すことである。

●パワークラシーの国で

若い経済学者が高齢社会対策として高齢者の「集団自決」を求めた発言がニューヨークタイムズに大きく報じられた。

(※ 上記コラムと同様のテーマです)

日本のSNSでは、その極端な見解のせいで、老人支配で割りを食っていると思っている不満な若者たちを中心に数十万のフォロワーを獲得し」、「社会的禁忌を嬉々として破ることで熱狂的な視聴者を獲得してきた日本の扇動者の一人」と紹介していた。

(※  拙稿『ABOUT IT』より。先生の騒動の出発点、セクシャルハラスメントについてのコメント【権力は「他人がしてたら処罰されることをしても自分は処罰されない」ことで確かめられるので、権力を持つ人間は自らの地位を確かめたくなると(不安になると)必ず「そういうこと」をするようになります。】)

 では、どう呼べばいいのか、しばらく考えているうちに「権力者支配(powercracy)」という言葉が思い浮かんだ。
 むろんそんな政治用語は存在しない(今私が思いついたのだから)。

(※「権力者支配(powercracy)…『内田先生と騒動、最近のメッセージ』でも騒動との関連でご紹介いたしました。
【powercracyの語り口です。「今の権力の座にいるということはすべての政策が正し」い】。
比較的最近ですが、騒動の文脈を知る方から"今の与党が正しいわけがない、批判を受けている”といったご批判をお受けされていたと拝見しました。)

「パワークラシー」の国では、権力者が権力者であるのは、政治的に卓越しているからでも、知的に優れているからでも、倫理的に瑕疵がないからでもない。すでに権力を持っているからである。これが「パワークラシー」である。「パワークラシー」の社会では、「権力的にふるまうことができる」という事実そのものが「権力者であること」の正統性の根拠になるのである。なんと。
 
 だから、彼らは自分たちが「法の下の平等」から除外されていること、「非常識」という評言が自分たちには適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。
 まことに困ったことに、「パワークラシー」の国では、権力者だけでなく、権力を持たない一般市民までがその影響を受けて、「権力者であるような顔つき」を競うようになる。
 
 どうも最近、非常識で、傲慢で。攻撃的な人が増えてきたなと思っていたが、あれは別に日本人の人格が劣化したわけではなく、彼らなりに社会的上昇めざして、「いやな野郎」になるべく努力していたのである。そう気づいて、腑に落ちた。

(※太字は本文に対して私が加える形をとっていますが、本文のものも活かしています。「」と同様、騒動と関連を示すケースが多々あります)

(※「一罰百戒」や「イエスマン」もそうですが、ことの起こりから立ち会ってきた方には、なじみの深いロジックかと思われます。どうか明日になっても記憶に残っていますように。中心をなす理論がセンセーショナルな「個人情報」に吹き飛ばされませんように)

【抜粋】
・(優生思想)(高齢者の「集団自決」発言がニューヨークタイムズに)「社会的禁忌を嬉々として破ることで熱狂的な視聴者を獲得してきた日本の扇動者の一人」と紹介していた。

・(権力の私物化、騒動の動機)「パワークラシー(powercracy)」の国では、権力者が権力者であるのは、[…]すでに権力を持っているから

・・(権力の私物化、騒動の動機)(権力者は)「法の下の平等」から除外され[…]、「非常識」[…]には適用されないこと、他人に無用の屈辱感を与える権利があることを繰り返しアピールすることになる。

・(騒動のメカニズム)権力を持たない一般市民までがその影響を受けて、[…]社会的上昇めざして、「いやな野郎」になるべく努力していたのである。






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