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ABOUT IT  −再掲バージョン −

■■再掲バージョン作成に当たって■■
2023.03.04

8年間、その時間感覚はどのようなものになるでしょうか。SNSに混乱を持ち込み、騒動が開始されてからずいぶん経ちました。収束の努力はしてきたつもりですが、実を結ばず、混乱を持ち越し大変失礼しています。そして、炎上の範囲こそがこの騒動の特異な点かもしれません。8年の間にずいぶん拡大されたとお見受けしています。
長期化とスケールの拡大に伴い、ご覧になっている方のなかには、初期のパートを知らない方も増えたと思いますので、あらためてここに再掲いたします。私にも不手際、愚行を重ねました。この騒動を見るにあたって、少しでもご理解の助けになれれば、うれしく思います。

これから過去に遡りますが、その前に騒動は現在、どのような状況になっているのでしょうか。集団ストーカーの被害にあっていますが、そのことは多くの方が認識しているかもしれません。少し前のやりとりになりますが、実例を挙げてみましょう。


私のツイートです。

(【スクリーンショット中の文字】「本日は、SNS上のあるメッセージに対して書こうと思います。この後起こりうることを考えると書くべきではないとも反芻したのですけど、これに反応しないのは「正常ではないよな」という判断に至りました。」)

(続き「といっても、数年前はしばしば、メッセージの文脈が明確なうちに記録し、アップするということは行っていましたので、同様のことを久しぶりにさせていただくということなのですが。」)

(以下のツイートは文字だけ提示します。
「そのことは「ABOUT IT」で記し、記載以降の経緯や不始末については、どのように総括すべきか、皆様のお知恵を参考にしながら、現在考えている最中です。」
「非がある一方、私の人権が損なわれていることを複数のかたにご指摘いただく状況で、その認識は目隠しの外から見てもそうなんだと自己認識に自信を得ることができました。」
「簡単に言えば、社会的には終わっている立場にあると拝察します。こちらから見えないところで、そうされてもおかしくないような、少なくとも進んでは助けたくなくなるような個人情報が公開されているのかもしれません。」
「ここでメッセージを紹介させてください。」)

↓ 以下をリツイート

内田先生のメッセージ

(スクリーンショット中の文字「『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ一家の最後のお嬢さんが亡くなったそうです。享年93。ということは映画公開の時はまだ36歳だったんですね。ご兄弟はもうおひとりご存命ですね」)

(「『銀行から、預金を運用しませんか』と営業の電話。『資産運用というものはしません』とお答えしました。懐手をしているだけでお金が増えますなんて話、僕は一切信じません。」)

(続き「僕のところにまで電話してくるくらいだから、よほど切羽詰まっているんでしょうね。電話をしてきた人も『内田様が資産運用されないことは覗っておりますけど』と言ってましたから。ちゃんと顧客カードに書いてあるんでしょうね。『銀行をタンスだと思っている人だから営業しても無駄』って。」)

私のツイート

(「私にも別のところで暮らす家族がいて、銀行にはわずかばかりの金額を預けた口座を持っており、また、このメッセージから複数のかたが共通の意味を受け取ったことを確認しました。」)

(「社会的関係性、公共の空間、影響のスケール…今まで書籍やネットで類似の案件を調べてきましたが、このようなメッセージがアナウンスされるケースというのを個人的には見たことがありません。」)

(以下は文字のみ提示します
「また、このことをリアルな世界で人に伝えて、事実であると信じさせる自信もありません。」
「SNS上で起こっている他の事件と比べて、どちらが酷いか、考えることはそれほど意味はないかもしれません。それ以前に、この文章自体、騒動に対してさほど効果がないのかもしれません。」
「しかし、こちらの想像を超えるやりとりが行われていることは、知ってもらいたいと思って書きました。」)

時期的には、まだ日本から情報が拡散される以前ではなかったでしょうか。時間的に言って、かなりの方が記憶されていると思います。胸が破れるような精神状態のなか、皆様に後押しいただいたことは忘れていません。


私はこの騒動を3つの期間に区分して整理しています。

  • 1期:騒動の始まり ~ ストーカーが登場するまで            騒動開始からいったん沈静化するまで。区切りの中では一番長期にあたるおよそ4年間となります。     

  • 2期:集団ストーカー登場 ~ 糸井さんの裏切り            「個人情報」が集団ストーカーによって公開され始め、それが騒動の継続・拡大の燃料になっていきます。

  • 3期:集団ストーカーのレベルの変更 ~ 現在まで                      糸井さんの裏切りを契機として、ストーカーのレベルが格段にアップ (「法を恐れないレベル」としてハッカーをカテゴライズする専門書もありましたが、それに該当すると思います)                                   

ここでは騒動最長の「第1期」に相当するパートのまとめを書いています。かつてこれを再掲する際、私は修正をいたしました。使用したスクリーンショットのお名前を隠すこと、そして“文意が通る程度に加筆修正します”と書きましたが、これがいけなかったと思います。ここに再掲したのは、修正された後のバージョンです。初めてアップロードした際のバージョンがもし公開されていれば(犯罪なのでやめてほしいです)、そちらと比較してくださればと思います。修正するうち、鬱の能力で書いた文章のひどさに耐えきれず、修正し個所を増やしてしまいました。元気であっても大した文章力ではないのが恥ずかしいのですが。事実関係については動かすことなく、そのままだと思いますので比較いただければと思います。

また、『ABOUT IT』では騒動を先導したかたを仮名で書いています。「佐藤先生」と記述しています。そして、スクリーンショットでは名前を伏せさていただいています。相手のかたが権力勾配から言えば筆者よりはるかに高位にいらっしゃれたこと、この時期にはまだ自分が匿名を守られていたこと、諸々の事情を考えた上での判断でした。あれから騒動も時間を重ね、範囲も拡がり、姿を変えました。SNS上のご要望もあり、ここでは実名で表記したいと思います。「佐藤先生」とは内田樹先生を指します。整理のために加筆すると、本文中に二つの名前が混在することになりますが、脳内で変換していただければと思います。実名の表記、どうかご容赦くださるようお願いいたします。

スクリーンショット中の文章は、再掲するにあたって、スクリーンショット下部に書き起こしを加筆します。とくにメッセージの理解に欠かせないと思われる個所については欠かさぬように付記いたします。また、前回の再記事、使用したスクリーンショットのアカウント名を伏せたために、リツイートとツイートの関係が分かりづらくなっています。その整理のために補助線として説明文、矢印を入れたほうがいいと判断しました。文章の加筆部分は文頭に「※」を入れます。
ただでさえ曖昧なほのめかしによるやり取りが伝わればと願います。それ以外の部分は、加筆・修正をすることなく掲載します。

前置きが長くなり失礼しました。下に本文を掲示いたします。



ABOUT IT

kw778

2018年4月13日 23:12


■はじめに
素人のまねごとで恐縮ですが、この拙文は小説の粗筋のようなものです。不自然な記述も出てきますが、ふだんの乱筆に加え、自分のための覚え書きだということをご了承ください。長文になり恐縮です。

動物の仕草が何を意味しているのかについては、客観的な判断がつかないといったことを考えながら、これを書いていました。結局のところ、理解できるのは、その意図ではなく、引き起こした効果や発生したやりとりだけです。この文もできるだけ出来事ややりとりに注目して書くことにしました。

言い訳から入ってはいけない、という文章表現の作法を聞いたことがあります。しかし、周りを見て、必要だと思ったので話しておきます。躓くのは、対話でも駆け引きでもなく、いつも同じポイント、つまり、表現形式によるものです。

※内田先生のリツイート

(※セクハラは「相手が嫌がることをさせることで、自分の力を確認する」ことに醍醐味があるので、「こういう行動は、異性には苦痛ですよ」は無意味。受け手が苦痛だから、やり手は楽しいのだ。「こういうことをすると社会的制裁を受けますよ」という流れが必要である。)


(これを受け)※内田先生のメッセージ

“おっしゃる通りだと考えます。権力は「他人がしてたら処罰されることをしても自分は処罰されない」ことで確かめられるので、権力を持つ人間は自らの地位を確かめたくなると(不安になると)必ず「そういうこと」をするようになります。そして、ある日ついに罰される日が来るまでそれをやめることができない。”

前回の交渉で“人を陥れようとするウソではないか”と音速で非難を浴び、退くきっかけになったメッセージです。何を読み取るかは各人にお任せします。過去、何が行われていたかを再現する試みの中で提示したものですが、今後も起こりうる失敗例として、サインの証拠能力を計るサンプルとしてお見せしました。前回、わかりやすい発言だと思って提示したものです。今回は意図や心証にはできるだけ踏み込まないようにしようと思います。
(光速のブーイングが入った際は、このパートは削除します)

また、意図が証明できないことに加え、文脈による表現という特徴があります。元ある場所や時間から引き剥がされたときの説得力の弱さ。記録文書と異なり、客観性までには至らず、1枚出して、これが決定的証拠だと示せないことに過去2回の交渉で苦しまされてきました。証拠の提出が第3者をスッキリさせるどころか、むしろ懐疑の念を強めかねません。以下の資料もこんな微弱なサインによって本当にやりとりが行われていたのか、とピンと来ないものが多いことも知っています。また、資料の不備に対する批判も否めません。

ただ、以下の文章は反証を意識して書いています。ウソだという具体的な指摘があった際、証人がいれば検証できることを想定したものになっています。


■騒動発生前

佐藤先生という方から私宛と思われるサインを見かけるようになったのは、映画の感想コメントを書き直している最中のことです。

“チクセントミハイの本で楽しかった話。ベトナムで長期、捕虜になっていた軍人が解放されたときに同僚に「何がしたい?」と尋ねられ、「ゴルフ」と言いました。牢から出されたばかりでガリガリに痩せていたので、大丈夫かと不安に思いながらプレイしたら素晴らしいスコアでした。”

“彼は幽閉されている間、毎日頭の中でクラブを選択し、ショットを工夫し、18ホール回ることを日課としていたのでした。”

オリジナルの感想コメントを見ていただいたのか、こちらに向いたサインを励ましのメッセージだと受け取ります。恐縮しつつも、謝辞を、そして、旅行者である先生の立場になぞらえ、沈黙の行をしているのでしばらくお待ちくださいと返して、初めてのやりとりが生まれます。

■発端
リライトはオリジナルの文章にポリティカルなメッセージ加えて長文化しました。発端です。後に長期に及ぶ騒動を生むことになります。

×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××× 本作はまずは圧倒的にライドするためのアクション映画です。観客と映画の情熱的なハネムーン・ロードの邪魔にならないことを願いつつ、本作の謎について個人的に感じたことを書きました。文の長さだけはもう何かです。

当初、無声形式を目指して編集されたという本作は、なぜか口にまつわる表現にあふれています。セットアップ部分のイモータンの砦では、スカルマーク、酸素マスク、拘束マスク、銀のスプレーが飛び交います。今作は口、つまりことばをモチーフにした作品として説明できるかもしれません。イモータン・ジョーの砦からワイブスとフュリオサが脱出する劇は、暴力と格差に満ちた男の声が支配する世界から女たちが逃れるストーリーです。女たちは自分たちのことばに満ちた世界を獲得しようとします。

マックスたちを加えた一団は、マックスとフュリオサを父母とし、他を子どもとする疑似家族のようです。ここにひねりを見ることができます。
フュリオサは髪を丸刈りにし、顔を黒く塗るなど女性らしい身体的特徴を打ち消しています。家族を守り、新しい秩序を求めて闘う兵士です。対して、マックスは亡き子どもへの思いに囚われ、不安定な情緒性を見せ、暴力の決定的な瞬間を迂回しようとします。「血液バッグ」に象徴されるとおり、自分の肉体から栄養を分け与え、サポートをする役割を担います。
男女で記号がひっくり返っています。この父母はフュリオサが「父」でマックスが「母」だというサインが刻まれています。フュリオサの隻腕とマックスの拘束マスクが記号的に意味するものもそれと一致し、イモータンの酸素マスクとセットで三者の関係を暗示も読みとれます。

あのエグい兄貴がオカンになって帰ってきた。……わからない、マックス自身もそれを認めることができない、そのように見えます。自らの女性性にはおびえ、受け入れ、ラストには名前という同一性を取り戻す——男が自分の中に女性的な性格を認めるということは、むしろ普遍的なことと言えるのでしょう。

論がバイオレンスになってきましたが続けます。アメリカ映画に特徴的な形式、二つの水準での表現に従えば、本作には女性の解放をテーマとした通常バージョンの他に、レイテッドな過激バージョンも書き込まれていて、よりラジカルな性意識の解体が読みとれる、ということになります。
この角度で光をあてたときテーマに新たな展開が浮かび上がります。ひとつの支配的な声に対してカウンターにあるは、女の声だけではなく、七色の多様な人びとの声だということです。

口にまつわるまた別の表徴、銀のスプレーを吹き付けるウォーボーイズについては、女性解放と併走するもうひとつのポリティカル・コレクトネスが注目されます。日本の大戦時の特攻隊をモデルだと監督は明言しています。本作はあくまでフィクションですが、いま、日本で鑑賞することとのリンクも示しておきます。
「戦争は人間の霊魂進化にとって最高の宗教的行事」。
本作公開と同年、現政権の次期首相候補と目される政治家のことばです。多くの方が指摘するとおり、
この一年間は歴史に繰り返し問われるような、決定的な年になるのだと思います。

ラストの解けない謎、プロット上の伏線もなく、イモータンの砦に戻り、下克上することへの引っかかりについて思うことは、現実と映画との抜き差しならな関係から放たれたエール(しかも緊急の)、今も世界中のどこかで大きな声に対抗している人たちへの理屈を越えた祝福のはずだということです。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

…このまま飛び立っていったんでしょうね、彼は。と冷静ぶらずには続けられません。映画の感想コメントを載せるコミュニティーで書いたもので、その後、大変な酷評、激しい悪評を買ってしまいます。しょうがない。「扇情的」「終末思想」「ポピュリズム」「上滑り」「イデオロギーの偏り」「無理筋の解釈」「押しつけ」「危機感を煽っている」……。自分なりに何かに貢献できればと考え、混乱を意図したものでありませんでしたが、結果としては騒ぎを引き起こします。騒動はこのリライトのまずさに端を発したものです。

そして、感想コメントを掲示して数日後、先生のメッセージに私宛と思われる内容を読み取るのですが、この日から現在と大きくは変わらない状況が生まれます。頻度や程度に違いがあり、小休止も挟むみますが、基本的にはこちらに向いたサインが覗える日が常態化します。そこに私が盛大な粗相でもって反応するといった事態が繰り返されることになります。

■騒動への対処
発生した事態に対しては、感想コメントの前書き、後書きをつける形で、評価の定まらなかった1度目は反論、それ以後は、2度ほど正面からお詫びしたと記憶しています。その3度目は後書きに

「この作品評に関しては、○○や○○○の方々との応答関係が見られたので、畏敬と感謝を込めて紹介したいと思います」

と佐藤先生を加えた3名のテキストを書き添えて最終稿としました。3名のテキストはリライトに対しての反論で、私の文に欠落していたものや、過剰だったものについて書かれていました。もっともな批評であり、私の感想コメントと合わせて読むことが理想的な扱い方だと思えたのでそうしました。

最後に、新しく映画の感想コメントを書き、その中で謝罪の意志を伝えました。

×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××× ●『マンハッタン殺人ミステリー』

「バカしか出ていない映画を」と思ったのですが、いい加減にして、という勾配からロマンチックなものを見ることになりました。ウッディ・アレンに関しては、アレン演じる主人公が幼い息子に“いやな先生の話は耳をふさいでア~~ッて言いなさい”というセリフでもっていかれて以来、そこそこのファンですが、本作の存在は知りませんでした。

「夫婦の倦怠期」というのがテーマになっています。ファム・ファタールものの伏線がよく効いていれば、「倦怠期にあっても、パートナーに対する十全の理解は幻想と甘えにすぎず、その心は今もミステリーのまま」といったラインが浮上したのかもなどと夢想しつつ、imdbで検索した時、落ち着かない気持ちになりました。

“養女との男女関係がスクープされ、同棲相手ミア・ファローが出演拒否、元恋人のダイアン・キートンが代わりに出演。公開は親権争いの泥沼の最中”。アレン・スキャンダルのただ中の作品だったようです。どのような現場だったのでしょうか? 養女と関係を結んで「夫婦の倦怠、刺激」を撮るアレンの気持ちは? その元恋人を見るキートンの心は?

ボロボロの低調期だったはずですが、いま海外サイトを見ると高スコアをとっていて、本人もベスト・ムービーの一本に挙げているようです。ダメな男は落ち込んでいる時の方がセクシーに見える、という格言を考えましたが、ないです。スカスカの髪をしたカサカサの肌のおっさんです。そのおっさんが都市をバタバタ行き交っているのがうれしかったりします。

以降、スキャンダルを吹っ切るようにアンダーなネタへ傾斜し、カメラ嫌いを極めていく、なんてこの頃は想像もしませんでした。それから、何度目かの「絶頂期」を経て、あれほど執着したニューヨークというホームさえ離れ、いまも世界をバタバタ行き交ってます。やはりすごいです。人も未来もほんとうにわかりません。ホテル・シーンでの死体の謎は解けていないのですが、パート2がまだ出ていないので私が理解していないだけだと思います。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

佐藤先生の私宛てと思われるサインはそれでも止まらないので、1か月過ぎたところで書いた文章すべてを取り下げます。

翌日、佐藤先生は言います。

“悪夢で目を覚ました。「サトウの話を聞くな」と叫ばれ、「そういうことは自分の持ち場で言っていただけませんか」とお願いしても無視されて、カッとなりひどいことをしてしまい、手を見つめる夢”

“ふだん抑圧された暴力性が夢の中で解放されてしまうのかな。”

新しく書いた感想コメントの中にそれに対応する箇所がありました。「ウッディ・アレンに関しては、アレン演じる主人公が幼い息子に“いやな先生の話は耳をふさいでアーッて言いなさい”というセリフでもっていかれて以来、そこそこのファンです」と言う箇所です。もちろん他意はなかったのですが、お怒りの理由はそれだったのか、とその部分を削除して、取り下げた文章を再び掲示します。

しかし、私宛と思われるサインは止まりません。これ以上できることはなく、あとは沈静化するのを待つだけと考え、退場します。ここまでが映画コミュニティーでのやりとりの全容で、およそ1か月半の出来事です。

■約5か月間の不在
いない間も佐藤先生の私宛と思われるメッセージは継続されます。サインの内容については、少なくない人が認めるものとしては“バカ”“殺人者”“精神病者”“剽窃”“狩り”“鬱病”“監禁”“怪物”“排除の呼びかけ”……といったイメージのものです。批判については、騒動の大元となる文章を書いた人間ですから、返されるものを受け取るのは当然だと考えました。揶揄や嘲笑はそのコミュニティーの発言形式に則った一般的な表現ですので、自分だけが逃れられるわけはないという認識です。ただ、謝罪を重ね、削除をしても、毎日のように提出される先生のサインはよく理解できませんでした。騒ぎを起こしておいて、被害者ぶるなと思われるかもしれませんが、上記のやりとりを含め、佐藤先生との当事者間のやりとりは当惑するものでした。先生が話される寛容や呪い、イジメ、民主主義、コピーライトなどについての考察と私宛のサインとの関係に戸惑いを感じていました。

※内田先生のリツイート

(※「だからもう一人の「日本のシンドラー」は日本では触れられることは少なくなる。」)
(※「絶対に労働者を殺してやるという熱意にあふれています」 >「殺してやる」)
(※「今世紀一番救ってあげたいと思いました…」)


(※「絶対に外さないゴミ箱」)
(※「The Mental Hospital That Inspired Arkham Asylum Is Somehow Even More Terrifying 」【Googleによる英語からの翻訳】アーカム・アサイラムにインスピレーションを与えた精神病院は、どういうわけかさらに恐ろしい)

※内田先生の文章

(※「『魔性の女』ですな。」  注、私の当初のアカウントは女性名でした)



※「剽窃」の件は、別項で書きました。文末にリンクを貼っておきます。

■匿名からの攻撃
騒ぎ開始から半年以上、文章を取り下げてから約5か月後、上記の状況が続く中、私は匿名で登場します。佐藤先生がいじめ問題を切りとった発言に対して、放ちます。私の記憶です。

“イジメの小旗を振っていた担任を思い出した。イジメをしているのは自分じゃないか”

嫌われている手を使いました。以前、そのコミュニティーには4か月ほどいたことがあり、これが2度目の参加になりますが、このような行為は初めてでした。表だっての謝罪を繰り返しても収まらず、手詰まりの状態からの訴えでしたが……最悪手、この時点で決定的にダメですが、後にも匿名で顔を出してしまいます。

■3度の謝罪+1度のお願い
●匿名からの攻撃に対して、佐藤先生からマイナンバーに託された謝罪要求のサインを受けます。

“この社会の最悪の欠陥は「過失を認めないこと」です。過失を認めれば自分の力で、すぐ補正できます。過失を認めなければ誰も責任は問われないけれど、そのコストは制度全体の破綻として、つまり他者の痛みとしてペイされるしかない。”

“「ミスしました」と言ったら「いいんだよ、理解したなら」と笑顔で応じる文化を再興する必要があると僕は考えます。過失に対して寛容な文化圏でしかイノベーションは生まれませんから。人の失敗に対する非寛容が創出する社会は厳密でクールなものであるよりむしろ憂鬱で不毛なものです。”

“政府が「マイナンバーは設計制度にミスがあったので中止します。お手間とらせてすみませんでした」と素直に謝ってくれるなら、僕はにこっと笑って「理解してくれればいいんだよ」と応えます。「出て来い。腹切れ」など言いません。「マイナンバーのミスを許す国民の会」を作りませんか?”

●問題を解決する上でも好機だと捉え、謝罪します。3度目の交流。

“自分が匿名で暴言を放ったこと”“騒動を起こしたこと”を全面的に謝罪しました。また、騒動に関わった、佐藤先生を含めた3名に謝意として、具体的に著作を上げて、ファンであることを伝えます。実際に3名のお仕事は敬愛しながら拝見していました。佐藤先生からの剽窃のサインが頻繁に出ていたので、その著名を挙げ“大いに借りがあります”と伝えました。ベッタリと頭を下げた謝罪のつもりでしたが、後に「媚び」という声が挙がります。
(以後、「私」の資料はありません。映画コメントは保存しているのですが、現在もコミュニティーでの発言は保管してなかった……。アンフェアの謗りは十分理解しますが、ないです。できる限り記憶に忠実に書きます。)

翌日、保留。
次の日、佐藤先生からのサインは“不合格”といったサインが出されます。

※内田先生のリツイート

(※「ダース・ベイダーのつまようじディスペンサー、一本もまともにくれない。」)


●それを受けて、立場の違いや面識のなさから遠慮していたのですが、手紙での直接的なやりとりを願い出ます。半年以上という期間の長さ、反復されるやりとりから考えて、個人的なわだかりまりがあるなら、直接話し合うことが最良の解決策だと思いました。“連絡は夜分になるかもしれません”という断りを添え、その旨を伝えました。(周囲からの“遅い”という声はこの日から挙がりました)

翌日の夜、許諾してくださったようで、閉じていた回線が開きました。急いで手紙を書き終えたときには閉じているという状況でした。(資料には現れない反応ですが)。先生のサインを見ると

“このところ「家族の話」とか「結婚の話」とか「離婚の話」とか個人的な話題に踏み込んだ質問が続きます。相手のあることですから、あまり乱暴なことは言えませんが、今日驚いたのは25年前くらいのマンションの隣室にいた人がブログで僕たちのことを書いていたという話。”

“「サトウさんはエプロンをつけて、こまめに用事をこなしていたので、近所では『よい旦那様ね』と噂されていた」のだそうです。誰がどこで何を見ているのかわからんですなあ。近所に愛想よくしていてよかった~。”

●次の日、謝罪文を書きます。不遜な話ですが、自分の否はお詫びしつつ、同時に、騒ぎの長さは別の問題ではないか、お詫びは騒動当初からし続けている、というようなことを謝罪文の体裁で書きました。いい加減にしてほしい、という気持ちを強く込めたものと記憶しています。その結果、先生からも周囲からも批判を受けます。後に「手のひら返し」というはワードが広がりました。

●再度の謝罪を求められ、今までのことをまとめるような長文で謝罪を書きました。社会的立場の差を考えると生意気なことですが、形式的には謝罪、でも、和解というより、互い別のところでやっていきましょう、という内容だったと思います。素直な謝罪に加えて、“ナルシスティック”な感想コメントの成り立ち(当時の“自分を愛せない”という私に対する批判への対応でした)を書いたと思います。自分なりに「カウンター・カルチャー」を目指し、「悪趣味」な作品を嗜好し、その表現に「一線を越えた」ということを述べたと記憶しています。

翌日の先生のサイン。

※内田先生のリツイート

(※「ネコ 3匹にはもう夕ごはんやったから だまされないように」)


ここで退場となりますが、8日間のやりとりです。

■3か月後の謝罪
●次にコミュニティーに登場するのは約3か月後です。
継続する佐藤先生のリードを止めようとする方がいて、その方の制止が厳しさを増す日がありました。翌朝の佐藤先生のサインです。

“おはようございます。一夜明けて、少し脱力してます。年間最大イベントですから。今日はこれから東京へ。Aさんと古典の現代語訳をめぐって対談してからBさんの忘年会に駆けつけます。Cちゃん来るかな。”

気になる書き方でしたので、C先生の方を見ると、ボブ・ディランのノーベル賞受賞に関して、次の文章が書かれていました。

(※「名スピーチだよね、さすが。」)

(※「名スピーチだよね、さすが。」)

問題の収束には最良のタイミングだと考え、すぐに謝罪文を書き、コミュニティーに掲示しました。騒動を起こしたことの責任を認めて、原因とこれからの考えを加え、ストレートに謝罪した文章です。当然、その日のうちに先生から「ええやろ?ええやん!……I'ts good、It's OK、That's OK」といった“合格”のサインが出ます。しかし、なぜか、翌日には覆されます。「打ち合わせ終了。待ってろ大泉洋!」といったサインが出され、騒動の牽引が再開されることにまります。さらに、数日後には、「あ、ええよええよ俺が全部罪背負うからwwwwwwww」といったサインが出され、謝罪は両先生のケンカを止めようとした私のスタンドプレーだったという文脈が共有され、この件は終わります。

その日のうちに先生から“合格”のサイン。

※内田先生のリツイート

(※「ええ」(良いの方言)の様々な活用形)


しかし、翌日には覆され、指揮の開始。

※内田先生のリツイート

(※「打ち合わせ終了。待ってろ」)


後には(資料リンク切れ。まとめ画像より)
※内田先生のリツイート

(※「あ、ええよええよ俺が全部罪背負うからwwwwwww  注、「w」=笑い)


●「待ってろ」の指揮開始から2日後。先生のサイン。

“お歳暮の買い物してからラルフ・ローレンでお年始用にセーターとシャツをまとめ買い。年に2回、盆暮れにしか服買いません。昔はスーツとかコートとかネクタイとか買ってましたけど、もう「出勤」しなくなっちゃったので、そういったものはなんにも要らないのであります”

“外出前にメールを見たら仕事が4つ増えてしまいました。たった15分の間に・・・人から「いい人だと思われたい」病が治らないと仕事はまったく減らせないなあ。でも、それは「俺はいい人じゃない」って自分で知ってるからついやっちゃうんですよね。はじめから善人ならこんなことには。”

ここから先の資料がなくなっていて、探しても見つかりませんでした。なので、それが引き起こした現象のみを書くと、“仲間の中に「生活保護」がいる”という情報がコミュニティーに拡散されました。もちろん面識はありません。確かに私は裕福な生活はしていませんけど、それはデマです。

2日後、「生活保護」の件を多くの人から“人権の剥奪”といった趣旨で批判を受け、佐藤先生は言います。

“領土の問題でプーチンが歩み寄ってくるという予想が官邸にあったようですけれど、いったいどのような根拠があってのことだったのでしょう。交渉において「主観的な願望をもって客観的な状況判断に代える」というのは100%禁じ手のはずです。頭の中で考えることは止められないけれど、口に出さないでしょ、ふつう。”

私はしばらくして退場します。

以降、先生からは“生活保護”“ホームレス”“無職”“貧困”などを示す記号が提出されます。文脈を共有しない人たちには社会福祉のメッセージです。後に先生のこの発言はコミュニティー全体に「キモくて金のないオッサン」などのイメージに結ばれます。

※内田先生のリツイート

※リツイート内の引用リツイート「排除アート(路上や駅、公園などのパブリックスペースにおいて、その場所があらかじめ想定された用途以外に使われることを防ぐアーバンデザインを指す。)」
「これらの行政のやり方は、悪意があるように見せないことが大事で、排除アートだということを市民に気が付かせないようにするのが“芸”だという。」


※内田先生のリツイート

(※「アタシね、この公園気に入ったから帰らないよ」)


※内田先生のリツイート

(※「ホームレスにクリスマスに欲しいものを聞き、サプライズでもっていったら感動的な結末に。。。」)


※内田先生のリツイート

(※リツイート内引用リツイート「生活保護目的の転入なし、受給世帯を再調査」        

リツイート「根拠のない憶測をもとにして生活保護者受給者バッシングをしてきた維新の大阪市長に対して、大阪市議がファクトチェックしたのね」
注、この頃は、ストーカーが登場して、公的機関の不正アクセスにより私の「生活保護」という立場を明かす以前です。)

※内田先生のリツイート

(※「仕事なさそう感がすごい」)



■再び、匿名からの攻撃

騒動から1年以上、私が退場して3か月後、先生の扇動がエスカレートします。扇動に対する多くの同調と、それに対して、“生け贄”や“根拠なき熱狂”、“中身のない騒動”といった批判も挙がっていた時期です。他の方がその熱狂の理由を問うという事態が起こります。

佐藤先生。

“匿名性に隠れて人を傷つけることが容易になりました。「罰される恐れがない」と知った人間がどれくらい卑劣で破壊的かなれるかについて僕はかなりの事例を知っています。そういった「ダークサイド」を開いてしまったことはたしかにこのコミュニティーの罪のひとつだと考えます”

前回と同じパターン、匿名で現れ、「自分じゃないか」と批判するという形を繰り返してしまいます。先生の発言に対して放ったわけでも、先生の名前を直接添えて言ったわけでもありませんが、

“呑気だな”から始まり、“それは真の説明でない、人は見たいものしか見ない、左翼の伝統的なリンチではないか、相互了解のある体に歌えばいい、暴力衝動に依存したまま沈んでいけばいい”

といったことを自分の中でも最高度の口汚さで放ちました。騒ぎ以来、もっとも感情的になっていた時期です。よく覚えています。はっきりと不快な気持ちにさせたいと思って発言しました。発端から1年以上経ち、先生の扇動は更に激しさを増していました。自分とは比較にならないような巨大な人物が連日、様々な回路を通して、“狩り”や“排斥”といったメッセージを拡散していると言っていい状況で、私はそれに足る人物像を追認するような幼稚で汚い放言を放ちました。「手も足も出ず、悔し紛れ 笑」といった声も聞きましたが、確かにその通りの行為でした。

■約7か月間
●以後、佐藤先生の呼び出しを受けるまでこのコミュニティーから消えます。
先生のサインの高ぶりに合わせて、他の方から制止を受けるという状況が繰り返されます。それに対して先生が反応を返すという以下のサイクルが複数回ループします。

 私宛のサインの頻度が激しくなる
 →他の方からそれを諫められる
 →“私からの攻撃”のサイン
 →“私との和解”のサイン

後に周囲から「Jアラート」と揶揄されますが、私はこのコミュニティーにはいませんでしたので、“私からの攻撃”“私との和解”は先生のウソです。以前のように私の姿を暴露するということもなかったはずです。ですが、ただ1回を除いて、とさせてください。1回分に関しては私のことだろうと思います。


“私からの攻撃”のサイン

※内田先生のリツイート

(※「強い(確信)」)
(※「にゃんだと?」(筆者訳「なんだと?」))
(※「もう一回やって!」)


“私との和解”のサイン

(※「ハグ」)
(※「抱きしめる」)
(※「やる気がないお手☆」)

●きな臭い話になりますが、この点も明らかにしておくべきかと思います。また、資料の消失が多いパートでもあります。

私が消えてから約4か月、騒動開始からおよそ1年と4か月。
佐藤先生からのサインが出されます。

 “私の出現”→“逃亡”→“死亡” 

私はこのコミュニティーには現れていません。姿の暴露もなかったはずです。しかし、“死亡”はウソですが、“出現”は私のことを指していたのだと思います。この時期、他のコミュニティーには顔を出しました。

翌日、先生から“身元特定の指示”(資料は消失)が出されます。周囲からは「国家犯罪」や「イリーガルな手段」という声が挙がります。


“私の出現”のサイン

(※「【またイナダだ】」)

→“逃走”のサイン

(※「逃亡中」「逃亡中」「逃亡中」「逃亡中」「逃亡中」)

→“死亡”のサイン。(資料は消去、同じ写真をディグ)

数日後、“謝罪要求”のサインが出されます。

“おはようございます。本日はこれから朝の稽古。○○○○の成果をどうやってふだんの稽古に展開するか、○○先生から「必ずやるように」と指示されたことから始めます。それからお中元の買い物(国外にいたので今頃になってしまいました・・・)。”

“その場合は、「聞き慣れた言い訳」をされればされるほど怒りが増してきます。安倍政権がもう少し維持生存したいのなら「これまで聞いたことのないタイプの言い訳」を考えつくしかないのですが、官邸にはそれを思いつくだけの策略家はいなさそうです。”

この要求を無視していると、3日後、“ウソ”というサインが出されます。

 〈※「皆様に大変おめでたいお知らせです! 
エイプリルフールに大きな話題になった、あの! 
結婚お祝い用接着剤「メデタイン」(筆者訳、「めでたい接着剤」)〉

私側からの報告になりますが、実際には、“個人特定の指示”が出された日、私がベースにしているところに“別のロケーションから侵入しようとしている”という不正を知らせる通知が届きました。

4か月前、匿名から先生に放言した翌日も同様の通知が複数届きましたので、2度目です。そういったことに詳しい知人やさる所に相談し、様々な対策をして、突拍子もなく聞こえるかもしれませんが、最悪の場合、監視の可能性も視野に入れていました。

試験も兼ね、生まれて初めてになりますが、ある匿名コミュニティーに参加しました。公的機関からの要請がない限り、個人情報が流用されることがないとされる交流場所です。そこで佐藤先生のことを語りました。先生が自分を批評した言葉を借りて“最近は昔の繰り返しが多いこと”、あと他の方の発言を2、3引用したと記憶しています。つまり、個人の特定が絶対不可能なことを言いました。その後すぐに、上記の“登場→逃走→死亡”、“個人特定の指示”のメッセージが提示されます。

私の立場で匿名コミュニティーに先生の批判を書く行為は、倫理的に非難を受ける行為だと自覚しています。書いていて、試験を兼ねていたとはいえ、不毛さにげんなりします。一方で、私の身元を探る行為や「公的機関からの要請がない限り、個人情報が流用されることがない」コミュニティーで私を見つけ出す行為と比較した場合、どちらの罪悪が大きいのか、私には判断がつきかねます。現実と似て異なる世界でのことなので、こちらの理解を超えています。先生については、監視の可能性と、なぜ私だと特定できたのかという疑問は今も消えていません。


●その後、

 私宛のサインの頻度が激しくなる
 →他の方からそれを諫められる
 →“私からの攻撃”のサイン
 →“私との和解”のサイン

この一連のサイクルのうち、ある方が“私からの攻撃“のメッセージがウソだという指摘をします。対して、佐藤先生がそれを認めるという応答が成立します(資料は消去)。
(後にも私と交流したときに、ウソであったことはサインの上で確認を取りました)

この「ウソ」の指摘をきっかけに、再び、先生は騒動牽引の「丁寧な説明」を求められます。そこで、先生は「1対1」と私を呼び出します。


この“私からの攻撃“のサインがウソだと指摘を受けます。

(※「足元をすくわれる」)

後にも、私と交流したときに、ウソであることはサインの上で確認。
※内田先生のリツイート

(※「ドライブレコーダー必須だわ」 
注、私が提示した証拠画像に対して内田先生のメッセージ)

■2回の交流
後のことは、そのコミュニティーの資料にも残っており、知る人も多いかもしれません。「1対1」の呼び出しの後、私はそこに出て行き、佐藤先生と対話、と言うにはあまりに、私がお粗末でしたが、そこでは先生に対して主に3点、それといくつかの細かい点を確認、または提示しました。この方法が闘争的、それ以上に稚拙だったという理解ですが、それによって最終的に非難を浴びて退きます。
再度、登場した時には、表現形式との戦いでした。多くの方から怒りや失望を招いてしまったのは、自分の愚かさゆえだと認識しています。


■ここ最近について
私宛と思われる記号のひとつに“監禁”のイメージがあります。

(※「Horrible Accidents On Set:Sometimes,Movie-Making Turns Tragic」
注、当初、私のアカウントは女性の名前でした)
(※「ミッシェル・フーコー『監獄の誕生』 説明 監獄の誕生です。」)
(※「検閲は全部するのはめんどくさいので伝家の宝刀を抜くぞ抜くぞと脅して委縮させるのがよい。検閲主体を新聞雑誌の書き手の心の中に内部化させて自粛させるのが効率的」
これはあれですね、一望監視施設で「常に見張ってるぞ」という威圧をもって監獄を運営するパノプティコンですね  
「パノプティコン(一望監視施設)とは 監視者の姿は見えないが、囚人は監視者不在時でも監視を意識する」)

この文章をトロく書いている最中のものです。


以前、「共謀罪」の強行採決時、先生はこの監獄システムを比喩として使っています。
その比喩とは、市民が市民を監視するシステムのことで、隣人を敵とみなすことを政府が奨励するものと説明されます。市民の排除、暴力行使、国民同士がお互いを疑うような分断国家を作り出す、どんな非道なことをしても処罰されるリスクがなければ、際限なく卑劣で暴力的になることができる人間が一定数いて、彼らにもっと恐怖を感じるべきと警告を発します。

また、政府批判する者を一人罰することで多くの人の戒めとする「一罰百戒」で来ると予想し、「あの程度のことでも、政府ににらまれると、あんな目に遭う」という不条理感をメディアに醸成すると語ります。

このような共謀罪の強行採決を行う安倍首相に権力者の全能感を覚える、基本的人権を制限し、立憲デモクラシーの空洞化をめざしていると指摘しています。

感想コメントの失敗や乱暴な発言は自覚し、罰も受けていると考えています。その上で疑問を言わせていただくと、先生の言動は監獄システムの比喩に見るような「民主主義」「基本的人権」侵害の感覚に反するものではないでしょうか。表だっては、この国の民主制度の破壊に抗議し、安倍首相の全能感に不快を表明しつつ、同時にサインの上では、民主制度の棄捐をめざす権力者に同一化する、といった屈折したものです。少なくとも、私に対する言動はそのように見えます。

著書を拝見したことがあり、騒動を牽引され続けている身からすれば、“排除”“盗用”“イジメ”“寛容”“社会福祉”といった考察にも同様の関係が見えます。してはいけないということをして、なってはならないというものになる、そういった構図です。


■最後に
小説のあらすじの主題としてですが、騒動の経緯を書くことを目的にしていました。「佐藤先生」というキャラクター側から見た真相もあるかと思います。

始めに「混乱を意図したのもではありません」と言いましたが、リライトしたひとつの文章がコミュニティーにどのような現象を起こすか、など想像もつきません。今後のことも、匿名と顕名、それぞれの二重性の違い、風評や虚偽、ゲーム性と真実性といったことを考えると、何が起こり、またどのように責任を切り分けられるのか、見当が付きません。合法と違法の境界も分からない世界でのできごとです。わからない尽くしの中で、騒動がコミュニティーの秩序にダメージを与えたのは確かだと思っています。以前よりも粗悪になった状況はわかります。その発端を作り、悪手を重ねたのが自分であることは自覚しています。少数の応援も、私というよりもむしろ、自分たちの仲間のため、仲間がいるコミュニティーの浄化のためだと言うことも忘れていません。もちろん、場のために排除、積極的に嫌悪という方が多数いることは熟知しています。それらすべての方々に対して、やはり謝罪したいと思います。ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした。

佐藤先生におかれましては、実社会での立場の違いを考えれば、あまりに身の程をわきまえない、非礼の数々お許しください。2度の非難、更にもう1度別のコミュニティーでの発言、交渉における不手際を振り返りますと、感情に走った子供っぽさ、愚かさにもへき易しております。乱暴な言葉遣いであったことも含め、お詫びいたします。大変申し訳ありませんでした。

一方で、記号を送られ、騒動を牽引されていることについては、大筋は説明してきましたが、いまだ現在進行中の話でもあります。

下は、佐藤先生の私宛のサインが激しくなり、他の方たちがそれを抑えようとした際に出されたものです。

※内田先生の記述

(※「『魔性の女』ですな。」 注、当初、私のアカウントは女性の名前でした)

そこからおよそ1か月後、私との交渉の中で、先生は“もうしない”“生まれ変わる”といったサインを出します。対して、私が“何度も繰り返しているので信用できない”と言うと次のサインが出されます。(結局はウソでしたが)

(※「CoCo Chanel 1910」)

上のようなやりとりも含め、面識のない方からサインが毎日のように出される状況は、はっきり申し上げて、本当に気持ちが悪いです。2年以上にわたり……。被害者ポジションから一方的に犯罪的行為と決めつけるような書き方は、立場上、倫理上、最大限避けていますが、一連の行為は明確にその手の域に入っていると考えます。

90年代、こういった問題に関しての本もそれなりに読んだはずですが、速すぎる忘却の波に耐えている記憶は、関係性への執着が支配欲に根ざしているということ、そして、狙われる側にも類型があるということです。自分の対応のまずさも一助になったことは問題視しています。しかし、それでも気持ちの悪さは止まりません。何なんでしょうか、この文章は……笑。

もっとも唖然とするのは、これらのやりとりが衆目の中で行われているということです。極端な例を除けば、実社会においては、こういった行為は秘密裏になされるのものだと思います。実際、騒動当初、私宛ての記号が出されたときには、その上に大量の別のメッセージが積み重ねられていました。しかし、現在では、紛れもなく国民的と言っていい権威が日々、道徳的なメッセージの中に混ぜて公然と発信し続けていているという事実にあらためて感慨を覚えます。生身の人生で2度ほど、○○○○○○行為を体張って阻止しようとしたことがあるけれど、まさか、いい年のおっさんになって、自分がこんなこと言うことになるとは思いもよらず、想像力が乏しさを実感します。やめてください。

これに加えて、“バカ”“殺人者”“優生思想”“精神病者”“狩り”“生活保護”“鬱病”“監禁”“怪物”“排除の呼びかけ”といった、これまで書いてきた記号が出され続けています。

“「呪いのことば」とは、人を記号化したり、類型化したり、一つの面だけを切り取ってその人間全体を表現してしまうことばです”

先生の発言です。この考え方を適用すれば、私に対する一連の行為も「呪い」と言って差し支えないと考えています。

“それは人間の破壊を目指すものであり、破壊を覚えた人間その全能感から逃れられなくなる”“言論の自由には呪詛する自由は含まれない”

誰の言行にも不一致は容易に見つけることができます。しかし、上の矛盾は枝葉の問題ではなく、本質的なものだと思います。

専門とする学派では、人が記号として扱われ、迫害を受けた歴史を統合するため、慈愛と正義のうちにとどまる倫理を唱えていると説明されます。暴力的な記号を送り続け、生け贄として祭り上げ、時に政治的な活動に結びつけながら、騒動を扇動する行為は、教えに背くものではないでしょうか。

私には加害も被害もあると考えています。そして、騒動に巻き込まれた人たちの決着を望む気持ちをそろそろ分け合っていいときだとも思います。

“「責任論」といえば、僕の師の最大のテーマであります。ということはつまり、僕は四半世紀の間ずっと「責任」について考え続けてきたということになります。”


リライトと同じように、この拙い文章もどう受け取られるのか、今後の展開が読めませんが、すべてが回復することは望めなくても、結果的には、この場を沈静化させるものだ、と願いつつ書きました。

といった小説のための粗筋、自分のための覚え書きです。

「剽窃について」


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