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雑談:ネットの議論は「めんどくさい」

SNS等では「議論」ができない、とはよく言われる話で。実感としてもそうで「なぜこの人には話が通じないのか。私の書き方が悪いのか/なぜこの人はこんな物言いをするのか。これでは対話にならず喧嘩になるだけではないか」と感じることは多々あります。これを読んでくださっている方にもそうした経験をお持ちの方は多いんじゃないでしょうか。こういう悩みは古くパソコン通信の時代から語られてきていますが、いまだ良い解決策は見つかっていません。ネット議論の宿痾みたいなものですかね。だから「議論ができない」という話になる。

つらつらと「これは何故なんだろう」と考えていたときに思いついたのが、タイトルにもある通り「めんどくさい」で。案外議論が出来ない、続かないという理由はシンプルなもので「根気が続かないから/時間が取れないから/余裕がないから」なんじゃないか、と思います。色々と面倒で、真面目な話だと検索等も利用して調べ物が必要だったりするけど、その見返りは少ないか多くのケースでは無駄な努力に終わったりする。まあこれでは「出来ない」と考えるほうが人間として当然の判断になりますわね。

私達は「議論をする/真面目な話をする」と設定されたときに、それと同時に「それに相応しい時間と場所を与えられる」からそれを為せるんじゃないか、と思うんですよ。会社の会議を廊下で立ち話としてすることは、まず無いでしょう。ブレストがいいとこで。会議ともになればやはり会議室で、多少カジュアルになっても休憩室で車座になってとか「会議をするための場を準備する」ことからはじめると思います。当然、時間も割り振りスケジュールを合わせる。

でもネットの議論には「それ」が無いじゃないですか。少なくないケースでなし崩しにはじまってしまうことがある。なし崩しのほうが大半なんじゃないですかね。それで「議論を建設的に進められるのか」を考えたら「無理ゲー」と考えるのが当然じゃないですかね。そもそも「めんどくさい」じゃないですか。最初から議論をするためだけにネットを利用しているジャンキーでも無い限り、避けたいと感じるほうが自然ではないか。

ただ扱うテーマが下手に真面目なものであった場合、なかなかそれ、つまり「めんどくさい」が言い出せないから私達は「議論」を早々に切り上げようとして強硬な姿勢で挑んでしまう。早く結論を出して「めんどくさい」から離れたいと望む。案外「ネットで議論ができない」の正体はこれなんじゃないか、と思います。

どうでしょうね。皆さんも胸に手をあてて正直な気持ちで考えてみてもいいんじゃないでしょうか…

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