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雑談:勉強の方法(二)

勉強というのは、言ってしまえば日常的にやっている「料理をする」みたいなもんです。「いや、私は料理なんか普段はしない。デリバリーか外食が基本だ。それと同じことか?」という人は、仕事とか趣味とか日常的にやっているけど何かしら「変化」がある行為を連想してください(笑)。とりあえずこの記事では日常的に料理をしている人を想定します。

日常的にする料理は、ほとんどのケースで自分か家族が食べるためのものを作る、という行為になると考えます。一汁三菜といったシンプルなものですむなら一定のパターンの繰り返しになるかもしれません。焼き物が目玉焼きから焼き魚に変わったり、汁物なら味噌汁の具が違っていたりするという状態でしょうか。あまり多様なバリエーションが求められず基本的には変化の無いルーティンではないか。まあ、大概の人の生活はそれでうまく回っていると思いますが、人間、たまには違ったものが食べたい、食事に彩りを添えたいと考えることもあると思います。さて、どうするか。
実際のところはスーパーで惣菜やレトルト食品を買う、という人も少なくないと思いますが(まあ、私もそうなんですが(笑))、「たまには違ったものを作ってみよう」と考えて書店やネットでレシピを漁る、という人も少なくないでしょう。ここで想定している「勉強」というものはそれです。

私達が「勉強」という行為に触れるキッカケになるのは多くの場合「学校の勉強」になりますから、勉強とは日常的ではあっても特殊なこと、生活から切り離された行動、と捉えがちですが、この発想だとどうしても「勉強する」ということを構えて捉えてしまうと考えるのですよね。勉強するとは特殊な行為である、と捉えるという話です。でもそういうものでもないんですよ。勉強するというのは、新しい知識や行為を通して自分の意識/知見をアップデートすることですから、本来は日常の中から起きる変化も勉強と言える。料理が特別なことになっている人は、たとえば日常業務の中でちょっとしたカイゼンを試みてみる、スポーツで新しいフォームを試してみる等を連想してみてください。何かしらの変化を通して自身をアップデートすると書くと「構えた」話に感じると思いますが、実際に行うことはそれです。

別の視点から見てみると、「勉強しようと思ったけど億劫だ/続かない/取り掛かったはいいがうまくいかない」という人は、日常の延長線上に勉強を置いていないということでもあります。特別なことってのはだいたいハードルが高いものですし、だからなかなか続かないものですよね。まず、御自分の日常生活を詳細に分割してみて、そこに何か変化を加えられる場所はないか、新しいものを取り入れる余地はないか、と考えてみるのが遠回りのようで近道かもしれません。企業にお勤めだったらわかると思いますが、いわゆるカイゼンです(笑)。会社のカイゼンだと「それは誰かが試してダメだったアイデアだ」なんてことが多々ありますが(笑)。自分自身の生活のものなら、はじめての試みになるんじゃないでしょうか。

ではそれを進めるのにはどうするのがよいか、という話は次回以降にまわしましょうか…

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