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ありがとうを言わないおじさん。

さて、「より良いおじさんライフ」の考察シリーズのお時間です。

色んなおじさんがいますが、私が好きなタイプのおじさん(人)はありがとうと言うおじさん。些細な行動でも、ありがとね。っていう人はとても好感がもてます。

いくつか例をあげていきます。

たとえば職場でコピーをお願いされ、その人に持っていった時、どんな感じで受け取る人が多いでしょうか?無言で受け取る人、目も合わさず「置いといて」で済ます人、「んー」とか言葉じゃない反応する人。

ランチや飲み会(最近はないでしょうが)などで同席した時、お水やお酒を注いだ時や、食べ物を取り分けた時、どんな反応をする人が多いでしょうか?もちろん礼を言う人もいますが、無反応の人、なにげに多くないですか?

他に身近な場面では、電車での出来事。自分は座っていて隣に一つ席が空いています。次の停車駅で人が入ってきました。何となく隣に座るなってわかりますよね。ちょっと狭いかなって事で少し腰をずらしたり、コートをすっと手前に引いたりする事があると思います。そういう時に軽く会釈したり、あ、すみません、ありがとうございます。って何かしら意思表示をする人。これってすごく些細ですが、「狭くてすみません。混んでて嫌ですね。」っていう相互理解が共感を生み出す行動なんですよね。逆に何も意思表示ない人は座り方にもデリカシーにもかけ、少し腰をずらしたにも関わらず、グイグイ押し広げてくる。もっと深く座りたいからもっと寄れ。みたいな・・・・

飲食店でもよくありますよね。お店の行っているサービスに「ありがとう」って言う人、言わない人。会計済ませて、無言で退店する人とご馳走様と一言ある人。

たくさん例を挙げましたが、こういう時に、自然と「ありがとう」と言える人が好きです。おじさんってくくりじゃなくもう人間性の話ですが(笑)

ただこれ、ありがとうを言わないおじさんの場合、危険な考え方の人も結構いるんです。

「やってもらって当たり前」って素で思ってる人がいます。

「俺は上司だから」「俺は男だから」「お金を払っているお客だから」「そんな事考えた事もない」「俺の事好きだからじゃないの?(笑)」「礼を言うと何か負けたみたいになる」「いちいち言うの面倒」などと、もう思考が結構ヤバイんです。

夫婦の間柄でもあるかと思います。礼を言わないご主人。その裏側にはすべて「やってもらって当たり前」という観点があるからです。

奥さんだから当たり前って言いたいでしょう(大将、世の中はもう令和ですぜ・・・)確かにご主人を支えるのは奥様の役目かもしれません。奥様も義務を感じて役目を果たしてくれていますが、ただその行動には目に見えにくい「善意」なる部分がかなり含まれています。

料理一つにしてもそう。たとえば最近飲みすぎぽいから、料理の味を少し薄くしようとか胃に負担がかからないように・・・とか。義務の前に健康を気にする「人間としての善意」が加味されているのです。

その善意を見ずして礼を言わないどころか、味が薄いと文句をいったり、なんだこの飯は。と怒ったりする。いただきますもごちそう様もない。

「そんなの一家の大黒柱(自分)が病気をしたら稼ぎはどうなる?だから気を使って当たり前だ!」って言いたい人、いるかもしれません。

でもね、栄養士と結婚したワケじゃないでしょう。そこに愛はあるのかって話なんですよ。愛情の上に成り立つものだと思うので、当たり前理論を強制しているんじゃないかって事なのです。安易にハラスメントという単語は出したくないですが、この考え方自体がモラルハラスメントにつながる思考だと考えています。

なんだか、「ありがとう」と一言ないだけで、大悪党や罪人みたく書いてしまいましたが(笑)、何が言いたいかと言いますと・・・・

言わない人は、自己中心的な方が多く、人の事を深く理解できない(しようとしない)「疑い」がある人だという事を言いたかったのです。※あくまで私の主観なので疑いにしておきます。

あとは「ありがとう」を言いましょうって事が言いたかったのです。とても重要で魔法の言葉です。コミュニケーションの基本の基本で小さい時に一番最初に習う言葉かもしれません。なのに言わないって、感情の欠如か余計な思考が入りすぎです。

シンプルに…

人の行為、行動にはほぼ「意思」があります。それに対して笑顔で「ありがとう」って言えるおじさん。人に好かれる第一歩かと思います。




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