読書録/ゼロからトースターを作ってみた結果
「ゼロからトースターを作ってみた結果」
トーマス・トウェイツ著 村井理子訳 新潮文庫
イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートの大学院卒業制作として著者が行った「トースター・プロジェクト」の一部始終を記録した本人によるドキュメンタリー。
タイトルでは「ゼロから」となっているが、文中の説明によれば、トースター・プロジェクトは「一人で」「一から」トースターを作るという試みである。一からというのはどういうことかというと、トースターを構成している各種パーツの原材料から、という意味である。つまり鉄板は鉄鉱石から、銅線は銅鉱石から、カバーのプラスチックは原油から、という具合に。そして手始めにトースターを解体して構成する部品とその原料を調べ(なんとトースターごときでさえ400種類もある!)、意気揚々と鉱山へと出かけていくのである。「そんなこと、出来るワケないやろ」と目の曇ってしまった大人なら盛大にツッコミを入れるところだが、だがもしかして本当にやる気なの?出来るの?という興味が勝ってぐいぐいと引き込まれていってしまった。
その結果については推して知るべし。だがオチには爆笑させてもらったからよしとしよう。それよりも、「そんなのムリでしょ」と思えるようなことでも、実際に自分の手でやってみることではじめて分かることがやっぱりあるんだなあ、と感じられたのが大きな収穫ではないだろうか。トースターという、四角い食パンを、適度な焼き色に焼き上げるだけの機能しかない製品を、安価で大量に製造し供給し続けることのできる現代文明だが、そこに生きる私たちは、製造され供給されている道具なしには、食パンに焼き色をつけるために一から火を起こすことさえままならない存在なのだ。
著者はそのことを「僕らがどれだけ他人に依存しているか」と表現しているが、その「他人」とは誰なのか、ということを一つひとつ考えてみたり、依存によって何が起きているのかを検証してみることなど、改めて私たちを取り巻く文明、あるいは資本主義、消費文化といったものを考えるきっかけを与えてくれるという意味で、すごいプロジェクトになったな、と思う。
ところでもう一つ思ったのは、著者の暮らすイギリスは、さすが産業革命が始まった国だなあ、ということだ。日本と、少し距離感が違うと思ったのは、鉄鉱石から鋼鉄を作ろうと試みるところ。イギリスで産業革命が始まったのは1730年ごろからで、日本でいうと江戸時代の中期ぐらい。イギリスではその頃から工業化と近代化がどんどん進んでいくわけだけど、日本は明治維新まで、古代から連綿と受け継がれてきたたたらによる製鉄が主流だった。そんなわけで、著者は500年前に書かれた「デ・レ・メタリカ」という冶金学の専門書を教科書にして鉄鉱石から鉄を作るのだが、日本だと刀鍛冶など、実際に職人技で製鉄をしている人が今でもいる。つまり私が思ったのは、それだけイギリスは近代化が早く、前近代の職人による手工業の技術が失われて、さかのぼるのが難しいってことかもしれず、逆に日本は近代化してからの時間がまだ浅いんだなあということだった。
不思議なことだが、このように文明が進み、科学技術が進めば進むほど、人のもつ科学的な知識は増えていくが、衣食住にかかわる実践的な知識や技術は減っていく。毎日の食事でさえ、その大半は誰かの作った何かに依存しているわけで、様々なものの原料をたどっていくと、「一から」の「一」の部分に携わっている人の労働、賃金、環境は、出来上がって消費する最後の部分に携わっている人の労働、賃金、環境とどれくらい違っているだろうか、そしてこの巨大にしてグローバルな依存関係は、果たして適切な関係と言えるのだろうか・・・と、本書を読んだ結果、文明の行き着く先が心配になってしまった私であった。
ともあれ、大学生がこのような大胆なプロジェクトに、若さを武器に取り組めるって素晴らしい。日本だったら3年にもなればもう就活で、一番知的好奇心が旺盛で行動力があり、若いという理由で多少の無茶も許されるこの時期を、敷かれたレール、企業の望む鋳型にあう人間になることにに全力を注がねばならない。トースターを一から作るプロジェクトにアドバイスしたり応援してくれる人がいる国がうらやましい。せめて自分は「やるだけ無駄」ではなく「面白いじゃないか、やってみよう」と言える大人でありたいと思うのだった。
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