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読書録/椿井文書 日本最大級の偽文書

◼️椿井文書 日本最大級の偽文書 馬部隆弘著 中公新書(2020)

 ネットの紹介記事を見て少し興味を覚え、たまたま立ち寄った書店で手にとって「むむ、これは!!」と思い読むことにした。なぜなら、私の住む県内の事例も取り上げられており、以前観光パンフレットや情報誌を作る仕事に関わっていた私も、どこかで紹介したことのある話だったからである。

 椿井文書とは、江戸時代後期の大和出身の国学者、椿井政隆(1770~1837年)によって創作された偽文書をいう。中世の地図や寺院のの絵図、家系図から合戦に参陣した武将のリストまで、様々なタイプがあり、それぞれ、由緒ある寺院や旧家に伝えられ、偽文書とは知らないまま、郷土の歴史を物語る貴重な史料として郷土史の編纂や学校教育、まちおこしなどに用いられてきた。

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 大阪府枚方市の市史編纂のため非常勤職員として勤務していた著者は、この地域を代表する山城、津田城について調べるうちに、その地域に伝わる氷室の由緒などを記した文書が、敵対する二つの地域の支配権争いのために作成されたことが明らかになってきた。その作成者として浮かび上がってきたのが、椿井政隆である。
 中世の山城と考えられていた津田城に疑念を持つ流れが興味深かったのは、城の縄張図を検討して、それがどうしても城とは考えられない、というところである。そもそも、これは本当に城なのか、という疑念から、偽の文書が作成されるに至る経緯を探っていくプロセスに、一気に引き込まれる。そして、椿井政隆という人は、このように村と村との間で争いがあるところに出没し、争いに有利な判定がなされるよう、都合のよい由緒を記した歴史的な文書を、求めに応じて作成した、ということがわかってきた、というのである。

 しかも、それは一つや二つの話ではない。その活動範囲は近畿一円におよび、作成した偽文書は数百点にのぼる。特に山城と近江の湖北地方には多くの足跡が残されているという。その手口も巧妙で、古代から中世、江戸時代においても200年から400年前の時代の文書や絵図を見せてもらい、その写しを作成したという体裁を取っている。そのため、紙が新しいなど不審な点があっても気づかなかったのだろう。
 著者は、現代の歴史学者の多くも椿井文書が偽文書であることを見抜けなかったことについて、こうした椿井政隆の手法にも理由があるという。古代から中世の文書、絵図などの史料はもともと数が少ないため、写しであっても信憑性があると思ってしまうというのだ。

 さらに面白いことに、椿井政隆は闇雲に偽文書を作成していたわけでなく、偽文書を作ることで独自の椿井ワールドともいうべき架空の歴史を構築していたという。その手法は、まず注目した地域に「興福寺の末寺」を配置し、そのリストである「興福寺官務牒疏」に加えてゆく。その上で、社寺の縁起や史跡の由緒を記した文書を作成し、それと関連づけた系図や絵図などを作成し、流布させる。その結果すべての偽文書がこうして関連性を持っているために、より高い信憑性を持ってしまうということになる。

 偽文書の恐ろしいところは、作成した本人が亡くなった後も残り続け、それが真の歴史として定着してしまうことである。その事例の紹介は本書を手にとっていただくとして、なぜ椿井政隆という人がここまでして偽文書の作成に没入し、また、人々がそれを間に受けてしまったのかということに想いを致さずにはおれなかった。思うに、彼の生きた江戸時代は身分が固定され、生まれ育ちを超えて自己の能力を開花させたり自分を向上させたりすることの難しい時代だっただろう。そんな中で過去を捏造し「今はこうなってしまったけど昔はすごかった」と言い表すことで、自己充足感を得る、ということがあったかもしれない。

 とすれば、こうした歴史の偽造、捏造、修正は今でも、私たちの身近にある誘惑ということもできる。偽文書である椿井文書は、今も私たちの心を試し、挑み続けているのかもしれない。

ヘッダー写真は、琵琶湖から見た冬の比良山系。
(本書の内容とは関係ありません)

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