国道6号/福島第一原発20キロ圏内をゆく(1)

画像1 東日本大震災から10年を迎えた2021年秋、新型コロナの感染状況も落ち着いてきたことから、福島から三陸へとつづく被災地を旅してみることにしました。
画像2 茨城県日立市から見る太平洋の日の出。
画像3 走っているのは国道6号、東京から千葉、茨城、福島を経由して宮城県仙台市に至る道です。
画像4 福島県楢葉町にある道の駅ならはにやってきました。
画像5 国道6号をはさんだ海側に、日本サッカー協会、Jリーグ等がトレーニングセンターとして使用している「Jビレッジ」があります。1997年に、東京電力が総工費130億円をかけて建設し福島県に寄付したという施設で、2021年の東京五輪の聖火ランナーのスタート地点となりました。福島第一原発事故で閉鎖され、2013年までは原発事故対応拠点となっていました。
画像6 国道6号をさらに北上していきます。南相馬、双葉、とありますが、原発事故のニュースで知ることになった町がこの先続きます。
画像7 富岡町に入りました。
画像8 双葉警察署前の交差点。前に見える洋風の建物は、東京電力廃炉資料館です。
画像9 国道6号から富岡町内へ道を入ると、たちまち通行止めになりました。この先は帰還困難地域です。
画像10 道沿いの草むら、もとは田畑だったのでしょうが、今は雑草が生い茂っています。入れないようにロープで囲われています。
画像11 除染廃棄物のつめこまれたフレコンバッグ置き場になっています。
画像12 除染廃棄物置場の向こうには、民家がいくつも見えます。
画像13 除染廃棄物の袋からも、雑草が生えてしまっています。置きっ放しで、除染した放射能廃棄物も、結局雨などで土壌に染み込んで、元も黙阿弥なのではないでしょうか。
画像14 この道も行き止まりでした。
画像15 人が住んでいて、暮らしのあったこの場所が、10年を経過した今、この有様。
画像16 まだ古びていない民家が見えます。
画像17 しかし、この先に行くことはできません。
画像18 この空き地も、やがて黒いフレコンバッグの山に覆われてしまうのでしょうか。
画像19 復興五輪だ!と盛り上がっていた夏でしたが、その同じ年に、まだ避難したまま帰れずにいる人々がいるという現実。
画像20 国道6号に戻って先へ進みます。この先は国道は通行できますが、沿線は帰還困難区域です。
画像21 道沿いに立ち並ぶ施設は、2011年3月11日から時間の流れが止まったまま。
画像22 看板が切れてしまいましたが、ファッションセンターしまむらです。
画像23 家電量販店も雑草に覆われています。
画像24 看板の下で伸びた植物の様子に、10年の歳月を感じます。
画像25 閉じられたままのお店、駐車されているのは警備員の車だと思います。
画像26 国道6号の交差点には、このようにバリケードが築かれ、右にも左にも曲がれないようになっています。
画像27 閉店したガソリンスタンド。ここは綺麗に片付けられていました。つづく・・・

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