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学童野球と親の負担。連盟の通知について思う事。

親の手伝いについて全日本軟式野球連盟から通達が出ていました。野球離れの深刻さよ…。

通達の要点まとめると
①共働き世帯の増加に伴い、親の手伝いを敬遠する家庭が多くなってきていて、野球人口の減少の一因となっている。
②チームで求める親の役割は入団前によく説明し、周知を行うこと。
③親の負担が原因で退団者が出る場合、改善点を模索すること。
④子供が試合に出る・出ないの参考に親の頑張りを査定に入れてはいけない。そういった選考基準があるかもしれないと疑念を抱かせててもいけない。
⑤「うちは昔からこうだから!」と思っていても一度見直すべき。もしどうしても親の手伝いが不可欠ならば、とにかくしっかり説明をするべき。

こんなところでしょうか…。なんだか道徳の教科書を読んでいる気持ちになりました。

②と⑤は一部重複していますが、私自身も「体験ではこんな仕事あるなんて聞いてなかったのに!」と思うことがありますし、曖昧な説明は一歩間違うと「騙された!」という気持ちを抱かれてしまうかもしれないので、しっかり徹底すべきなのかもしれません。というか徹底して欲しい!

少年団を辞め、今や野球アンチ気味の自分が言うのも説得力皆無なのですが、親の手伝いありきの手作りチーム感っていうのも学童野球の魅力の一つだとは思うんですよ。同じフィールドで親子が同じ目標持って、努力して…きっと苦労すれば苦労した分だけ、最後には全部が感動と達成感になるのでしょう。それに何より親が自分の好きなものを一緒に好きでいてくれる幸せって言うのは意外とレアですよね。大人と子供じゃ好きなものって違いますし…。同じ趣味を親子で共有できるってとても素敵なことだと思います。

とはいえ、どこまでやるべきか難しいところもあります。善意でやっていても他の親から「媚を売っている」と思われるという体験談はよく聞きますし、うちもコーチから「知識もないくせに審判やるなんて、素人がしゃしゃり出やがって」と思われた節がありました。指導陣も一枚岩ではなかったので、この辺の読み合いは本当に難しい…。というか何ならハッキリ言って欲しかった。

もちろん指導陣に媚を売る、とか親の努力を考慮してもらおう!なんて事は勿論論外なんです。けれど、試合に出てない子の親も出ている子の親も一律に労働力を求められるのはちょっと酷なんじゃないかな…とも思います。

監督やコーチは無給で仕事をこなしているのだから、せめてお茶汲みで感謝を伝える…すごく理解できる理由です。
お休みの時間を子供達のために割いてる監督やコーチ、すごく偉いです。とてもじゃないけど真似できません。

けれど、無給であることは決して無報酬であるということと同義ではないのです。
例えば、よい成績や結果を納めれば指導陣にとって、野球人生のキャリアになります。もっと単純に子供の笑顔が好きだから、とか子供の成長を感じるのが好きだからという理由の指導陣もいるかもしれません。いずれにせよ、なんらかのやりがいを感じているのではないでしょうか?

私も主人も聖人君子ではありませんので、ハッキリと申し上げるなら「我が子が頑張っている姿を見逃したくない」というのがモチベーションになっていました。なので単純に子供が試合に出ていればやる気が出ましたし、「ベンチもっと声だせ!試合をちゃんと見ろ!!」とどやされている姿を見るのは、精神的報酬を得られないのみならず、更に情けない気持ちになりました。子供がずっと試合に出ず、親ばかりが動いていた日は特に疲労感が強く「親ばかり働いてみっともない」と自己嫌悪のような思考になりました。(親がクタクタなのに子供は体力持て余してるので帰宅後の体力差が余計にしんどい!)

もしかしたら他のチームでは違かったかもしれませんが、なんとなく「子供たちのため」と言われたら我が子の活躍に関係なく奉仕するのがあたりまえという、どこか清貧を讃えるのに近い空気があったように感じました。

親の子供への愛情は無限で無尽蔵ですが、労働力は有限です。親の負担が野球を忌避する理由の一つになっていのは、労働に対して返ってくる見返り(精神的報酬)があまりにも少なすぎると感じている人が増えてきているからではないでしょうか?

かといって、レギュラーの親だけが手伝いをすべき…というのも、それぞれの家庭が抱える事情は違いますし、「手伝いができないからレギュラーをおろして欲しい」などという発想もでてきそうで歪な構造になりそうです。

結局、チームの方針を入団前に徹底周知し、納得できるところ、自分たちが継続できそうなところに入るというのが一番無難…でしょうか?

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