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第21話|「そもそも創世神話が違うんだよな」またしても荒唐無稽な閃きにノックされてしまった

記念日募集してます。いい記念日が閃いたらほいっと登録しておいてね。

最近ちゃんと喋ろうとしすぎていたのか、普段脳内の自分がいつも暴力的に野放図状態で話しすぎているのかわかりませんが、ちょっと砕けたい気分なので、砕け散りながら話します。どうも、サカキです。

今回は、頭の中を必死で書き留めているので、ちょっと雑記っぽい内容かも。

フィクション!フィクション!フィクション!ノンフィクション!!

世界に物語を書くのってとても楽しいです。ストリートアートのように壁にスプレーで奔放に描きましょう。

どうやら自分は物語を物語として作品にすることは苦手のようで、音楽を作ったり小説を書いたりもしてみましたがどうもうまくいかなくて、物理世界側にフィクションを埋め込んでいくことばかりしています。


今、令和市で遊んでいるのですが、令和市というフィクションの上に、令和市の暦というフィクションが構築されていき、その暦上の記念日にまつわるイベントが生まれ、そのイベント内の会話で次の日の記念日が決まり、暦が更新されていく。

こんなふうに、物語が自ずと転がっていくのを楽しんでいます。

さあ、どこからどこまでがフィクションでしょうか!?どこからどこまでがノンフィクションですか?これは現実世界で起こっていることですか?それとも虚構?

そもそも、今日という日にまつわる様々な制度、習慣、出来事はフィクションではないんですかね。じゃあ、なんなんでしょう。

畳みかけてすいません。いま、とても面白いところです。


こんなふうに錯覚が現実と交錯してグラデーションで溶け合って、「よくわかなくなってきた。まあ、とりあえず楽しかったからいいんじゃない?」

もしくは、その時は楽しいとは思わなかったけれど、自分の知らないところで、この時考えたことが/このとき出会ったことが/1年後伏線回収のように効いてくる。

そんなしくみが好きです。生活に溶け込みすぎてなかなか認識されないのですが、その人の1年後・2年後を眺めながら、わたしはとても楽しんでいます。

令和市はそういう意味では、いい感じで機能している市だなと思ってみています。

ひとつのルール設定だけで、リサイクルエコロジーを作れるか

色々コミュニティを作ったり、プロジェクトを立ち上げたりしてきた中で、自分が理想とするしくみがあります。

それは、参加者がコンテンツとなってそのコンテンツを享受するのも参加者という形です。

ニコニコ動画や5ch、discord上では当たり前に行われていることなのですが、

・「主催者だあれ?」といったときに、よくわからない状態。

・とある場があって、そこに設置されているシンプルなルールに沿って人が動くとき、勝手に人々の活動の流動性が生まれ、誰かの今日に作用していく流れ。

そんなしくみを発見すると「美しい」と感じます。


主催者がコンテンツやイベントを企画して、全体の士気を上げたり、参加意欲が湧き出すための働きかけを考えたりするコミュニティ運営をしていたこともありますが、これって全然持続可能な状態じゃない。

SDGsを掲げている時代において、持続可能じゃないものってどうなの?と思っていましたが、最近コツがつかめてきました。

どんなルールの遊びを設置するのか。

自分が美しいと思えるそれを思いつく能力を上げていけばいいようです。

閃いちゃった

こんなことを考えていたら、つい最近閃いちゃいました。また、何言っているかよくわからないと言われる日々が訪れるのでしょうか。本望です。楽しんでいきましょう。

実は令和市は自治体と名前が付いていますが、実は全く自治体ではありません。

自治体とは、法にのっとって「国の領土の一部、そしてそこにいる住民を支配・統治する日本の行政機関」である地方公共団体のことを指すのですが、これには全くあてはまりません。

第一、オンラインなので領土がないし、日本にあるのかどうかも定かではありません。そして、今のところ誰も支配や統治をしようという気はないと思われます。


じゃあ、令和市はこれからちゃんとした自治体になっていきたいのか?

これもNoです。


「コミュニティじゃないものを作りたい、コミュニティの枠をとっぱらって、相互に人が行き来して世界観を広げられるような」そんな思いで閃いたのが「市」という形だっただけなので、市を作ることは目的ではなくて、手段すらなく、きっかけです。


■関連リンク:令和市の市民大学の学長をしている北氏の記事

そもそも、オンライン上の人の集まりに自治の必要ってあるんでしょうか?管理って本当に必要なの?

令和市のこれからについて考えるときは、そんな疑問から始めることがふさわしいように思えます。


そうか。憲法があるのか、人権があるのか、それを保障する必要があるのか、予算の配分か、こういう歴史の流れがあって、そしていま自治は当たり前に行われるようになったのか。

色々調べながら考えていくうちに「オンライン空間とオフライン空間を一旦切り分けて考えてみた方がいいんじゃないか」という考えにたどり着きました。

つまりこういうことです。

まず、人間を二重の存在としてとらえます。オフラインに存在する人間としてと、オンラインにただよう思念体のような存在として。

そしてこの二つを切り離します。

その二つは別々の世界に生きています。オフラインの世界から見た時に、オンラインの世界はパラレルワールドといってもいいくらい関係ないものとして一旦分けます。


そうすると、オンライン上の自治体って何?→自治って何するの?→自治って必要ある?→じゃあ、何が必要なの?と問いが進む気がしませんか?


そもそも創世神話が違うんだよな

そもそも、今の世界の創世神話はこの世界を作ったなにかからはじまります。

そこから繋がって物語が展開されているから、支配する人と支配される人に分かれちゃうのは仕方ないなと思いました。

それでは、切り離されたオンライン空間はどうか。こっちの世界は始まりが明確ではありません。作った人もいません。発見した人がいるだけです。

そうなると、オンライン空間には、生まれながらの不平等という概念は存在するのでしょうか?

そこにどんな仕組みを実装したら、何が起こるのでしょうか?

そんなところから考えてみたら、新しい発見がありそうです。そんな閃きが突然やってきて、わたしの頭のドアをノックしてきました。


オンラインとオフラインを切り分けて考えてみる。連綿と続いてきた歴史の延長線上の議論は続けます。だけど、オンラインをオフラインの現世(うつしよ)にしようとすると、全ての設定が相続されてしまうので、まったくもって面白くない。ビットコインの初期ブームの時の失望にも似ている。そうか、誰にでもチャンスがあるなんて幻想だったのか。


「令和市には税金がないよね、市なのにすごい!」という話も以前出ましたが、これも無意識のうちにオンラインとオフラインを切り離して考えていたからこうなったんだと思いました。

オンラインの市に「Q:税金もなしに、道路や公共施設はどうやって作るんですか?福祉は?」という質問をするとこうなります。

『A:LINEオープンチャットかdiscordで作ってください。費用ゼロです。福祉はそれがこちらの世界に必要であるのかどうかから考えていきましょう』

Q:生きていくには家に住んで光熱費を払って食事をして、固定費はかかるでしょう。それをどうするんですか?この世界には経済活動はないのですか?

察しのいい皆さんなら、なんとなくここでの回答は想定できると思いますが、

『A:オンラインの思念体たちには、住居は必要ありません。領地もないし存在もないですから。お金はどこで払うんですか?みんなやりたいことをやっているだけなのに。経済活動ってなんなんですか?』

こんな具合です。

オンラインとオフラインを切り分けると、大抵のあたりまえの質問が前提条件からひっくり返るので、

『A:それは、オフライン世界の話です。その話はそっちでしましょう。』

そう切り分けて、枝分かれした新しい可能性が見えてくるような気がします。

暴力的で稚拙な発想ですが、一旦そうやってオンライン世界とオフライン世界を切り離して、神のいないもしくは全ての主観が神の立場になるオンライン空間と、そこに設置したら面白そうな美しいルールについて考えてみようと思っています。

「人と人の間を行き来するのは、イメージだけ」という想像経済に一歩近づけそうですね。

それでは、また令和市で。


著:サカキ

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。