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現代を「鬼滅の刃」で読む(拾壱):惜しみなく与える強さ

私の知っている研究室の博士課程の学生はほぼ留学生です。あまり好きな言葉ではないのですが、その出身地は「開発途上国」です。

彼らは博士論文を大学に提出するための条件として、(インパクトファクターが付いている)有力な国際誌に3報以上の論文を掲載しなくてはなりません。

研究室では夜な夜な勉強している学生を見かけます。彼らは色々な論文を読み込んだり、統計ソフトの使い方を磨いたり、新しいツールの活用法を試したりしています。

そして、彼らの目標はそれぞれ違う国から来た留学生が全員博士号を取得すること、彼らは自分が身に付けた技や知識を仲間たちと共有し教えあっています。私が知る限り、これまでに全員、博士号を取得していました。

さて、「鬼滅の刃」の中でも、蟲柱の胡蝶さんと炭治郎の会話に似たような話がありました。

炭治郎が夜な夜な一人で練習していると、胡蝶がそこにやってきます。

胡蝶:「一人で寂しくないですか?」
炭治郎:「いえ!できるようになったらやり方教えてあげられるので」

炭治郎は、自分がその難しい技術を身に付ければ、一緒に学んでいる善逸と伊之助にやり方を教えることができると言っています。

胡蝶:「君は心が綺麗ですね」

実は、自分が身に付けたことを誰かに教える人の中には、その後とびぬけて成長する人がいます。

彼らにとって、その技術は秘密にして抱え込むものではないんですね。彼らの目標はずっと先の方にある

情報や知識を与える人には情報が集まるのです。あげる人はもらえる

また、炭治郎は自分より格上の柱と手合わせしてもらい、コテンパンにされることも前向きに捉えています。

先生に「わかりやすく教えてください」「丁寧に教えてください」「どうやったらできるか最短で学べる方法を教えてください」ということを求める学生もいます。

わかりやすくというのは、良く聞こえますが、大切なところをこそぎ取っている場合もあります。

わかりやすい「入門書」や「ノウハウをまとめただけの本」を何冊も読んでいるだけでは、何年やっても入門の域を越えられないことにもなりかねません。原書から自分自身でノウハウを抽出できるように進化していく必要がります。

実は後々になって役立つのは単純にスキルではないのです。何か意味が分からない中に自分自身で意味を見つける作業が大事なのです。

炭治郎:「自分よりも格上の人と手合わせしてもらえるって上達の近道なんだぞ 自分よりも強い人と対峙するとそれをグングン吸収して強くなれるんだから」

古今東西、師匠との修業はそんなものです。師匠は「そんなことに何の意味があるの?」ということをわざとさせます。

弟子がすることは「何か意味があるはずだ」と考えることです。実際、意味なんかない場合があります。意味がないところに意味を見出すことが「奥義」を極めることですから。

中国前漢の劉邦に仕えた張良子房もそうですね。師匠(黄石公)が蹴り飛ばす草履を何回も何回も拾わされます。その中で悟りをえます。京都の西本願寺の唐門に彫られている彫刻はそのお話です。

ベスト・キッドなどの空手やカンフーの修行もたいていは掃除をひたすらさせられたりするのです。

忍者や剣豪が「奥義」の巻物を巡って戦いあったりするじゃないですか。でも、あの巻物に筆で書けるくらいの薄い内容ですよ。「奥義」の書を見ただけで素人が強くなれるはずはないです。

つまり、それまでの間に、自分で色々考えたことが「奥義」です。

そんな、炭治郎はまだペーペーの鬼殺隊士でしたが、柱から夢を託される存在になっています。

例えば、教授に「君に夢を託そうと思うんだ」と言われたら、それはうれしいことですね。本や研究室での実験だけでなく、フィールドで実践している炭治郎の成長に期待しているのですね。

胡蝶:「それから、君には私の夢を託そうと思って。鬼と仲良くする夢です。きっと君には出来ますから」
甘露寺:「実際に体感して得たものはこれ以上ないほど価値がある。5年分、10年分の修行に匹敵する」

エリートの柱も悩みます。そんな時、若者のまっすぐなエネルギーは周りを癒します。

胡蝶:「だけど少し疲れまして。鬼は嘘ばかり言う。自分の保身のため。理性も無くし剥き出しの本能のまま人を殺す」
胡蝶:「自分の代わりに君が頑張ってくれていると思うと私は安心する。気持ちが楽になる」

(コミック第6巻)



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