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尾張一宮大神神社

諏訪大社を訪問してから、古代史の流れが見えてきた。

諏訪大社は上社、下社に分かれ、上社は前宮と本宮に分かれ、下社は春宮と秋宮に分かれていた。4つの神社に分かれているのだ。

複雑に入り組んでいる。色々な人たちや文化が入り混じっている感覚を覚えた。

上社付近と下社側で商店に立ち寄ったが対応が全く違う。上社側は人懐こく気持ちよくお話を聞かせてくれる。下社側は、やや無愛想で「用が済んだら帰れ」という対応だった。

これは一部であって、全部では無いことを想像できるが、それぞれに全く違う文化が育っているように見える。

出雲を国譲りしてこちらへ移動してきたとされる建御名方がここで、地元の縄文系の洩矢族と壮絶な戦いをしていると感じられる。

建御名方は出雲国を譲ったのではなく天孫族に強奪されたのだ。仕方なく諏訪の地に落ち着こうとしたのだが縄文系の洩矢族との戦いが待っていた。

どうにか折り合いをつけて、お互いに住み分けをしたのだが、それぞれがお互いの文化を少しずつ取り入れた。

そこへ南方から追撃して来た天孫族、というか大和族に侵略され、上社、下社が分断され4つの神社が存在するようになったのだと理解した。

先日、美濃市の喪山を参詣した時にも歴史を感じた。

出雲族である大国主神の子、阿遅志貴高日子根が天孫族の天若日子の墓を蹴って美濃まで飛ばした、という伝説から、出雲族の勢力圏は美濃まであったと解釈した。

尾張も複雑である。尾張一宮として真清田神社、尾張二宮として大縣神社、尾張三宮として熱田神宮が存在する。さらに調べてゆくと、尾張一宮はもう一つあると言われる。

尾張一宮大神神社(写真)である。祭神は大物主神。出雲系である。

尾張一宮真清田神社。祭神は天火明命。天孫系である。

さらにもう一段複雑なことに尾張の国の惣社として国府宮が存在する。

尾張大國霊神社国府宮。祭神は尾張大國霊神。(不明)

国府宮では儺追神事(裸祭り)が行われる。古くは街角から人をさらい神となして祭りの際に生贄にする。

これは全く諏訪の縄文族が行っていた生贄の儀式に比定できる。

つまり、尾張地区も出雲族、天孫族、縄文族の激戦地域だったと思われる。


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