見出し画像

なぜ〈あるタイプ〉の人と話していると疲れるのか?

A「大丈夫?」
B「全然大丈夫」(大丈夫でなく助けてほしいという表情で)

会うたびに、どうしても疲れてしまう人がいる。悪い人ではない。いい人だと思う。自分の気持ちをストレートに言わず、相手に気を遣ってくれているからなのかもしれない。あるいは自分でも分かってないままに、いだずらに相手を混乱させているのかもしれない。

そんな人とずっと居ると叫びたくなる。

「あなたは本当はどうしたいんだ!」
「わたしに何をしてほしいんだ!」

人は一つのメッセージに、 もう一つの隠れたメッセージ(メタメッセージ)を含ませてしまうことがある。というか、世間はほぼいつもそうなくらい。

発信側からは「ダブルメッセージ」とも言うし、受け手には「ダブルバインド」ともいう。

「ダブルバインドというストレス」

ダブルバインド(二重拘束)とは、米国文化人類学者のグレゴリー・ベイトソンが提唱した概念で、二つの違う矛盾した意味のメッセージを相手に命令することで、相手を混乱させ強いストレスを与えるといったコミュニケーションのこと。

矛盾する二つのメッセージとは、言っている言葉と、腹の中の気持ちが違うという、複雑なメッセージのこと。これで相手を混乱させ不安にさせ、心理的に拘束することをダブルバインドという。

例えば、次のようなメッセージ。

会社の上司に、「漏れがないよう、何でも報告しろ!」と言われ、部下が報告へ行くと「そんな細かいことまで報告するな!」と言われる、とか、
親が子どもに、「好きにしなさい」と言葉では子どもに自由を与えておきながら、子どもが親の意に反することをしたら、不機嫌になる、とか。

こういうメッセージには枚挙にいとまがないというくらい、日常にはごくごくありふれたことかもしれない。

しかし、これが人間関係を破綻させる。というか、このダブルバインドを受け続けていると、受け手は統合失調になることも多いとも言われている。

「素直になりたい」

とは言うものの、実際はこうしたコミュニケーションが日常では多々見受けられる。そうして私たちは互いに腹を探り合い、読み合って、矛盾まみれのモヤモヤせざるを得ないコミュニケーションをしている。

だからこそ、気持ちと表現が「一致」している人の言葉や態度が刺さるのだし、癒されるのだし、時に、本当に救われるのだ。

カウンセリングの基礎で学ぶ、米国の心理学者カール・ロジャーズの「自己一致」とは、まさにそういうことなんだなと。

ここから、宗教的な世界での神仏との対話の中での「自己一致」というテーマが浮かんできた。これもまた次の機会に書いてみたい。

「でも悪用したら」

ただ、このダブルバインドは、恣意的に相手を混乱させて自分の支配下に置きたいという悪用も可能なので、反社会的な人々には逆に狡猾に活用されている。

反社だけでなく、プレイボーイも小悪魔も、上司も権力者も、夫婦も恋人も。

でもそれは、一時の操作感や万能感と引き換えに、本当に大切な関係性を失うことであるし、そもそもそんな関係性など不要だという人にも、必ず自分自身に返ってくる悪作用があるので、滅裂的な生き方はやめたほうがいい。

そして何より、こういったダブルバインドを発する人とは、一刻も速く離れた方がいい。それが無理でも、物理的・心理的な「距離」を置くこと。自分を守るために。

最後に、我が師が晩年に私に言ってくれた言葉を

「人間、素直に、好きなことして生きるのが一番」

さて、この言葉をどう聞くだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?