頭取との再会。人生には気持ちの区切りも必要だ。

忘れもしない、2003年5月17日の土曜日の朝、あの日、自分の銀行の国有化をテレビで知った。

そのあと、あの週末をどう過ごしたか、今でも覚えていない。


当時私は大手町の旧あさひ銀行個人部の調査役だった。
月曜日に出勤して、監査法人から繰延税金資産の5年の組入れが否認され、結果、過小資本となり、預金保険機構を引受先とした2兆円の
第三者割当が行われ、実質国有化される旨の説明が淡々となされたのは、覚えている。

誰よりもこの銀行を愛していた自信があった。
あの金融危機の時、ボロボロになりながら、秋葉原支店の窓口で、

「当行は安全です。信じてください。」

と、
お客様の定期預金解約を必死に食い止めたのは、
いったい何だったのか?

「国有化だと?」

誰よりもこの銀行を愛していたからこそ、
国有化という事実を受け入れられなかった。

結局自分は、あの時の敗北感に耐えられず、
当時担当していたQBハウスの社長から
「上場準備を手伝って欲しい。」と誘われ、
その6月に最初の退職者の15人のうちの1人として、銀行を辞めた。

それから6年くらい経っただろうか、
当時私は日系証券の投資銀行グループの
M&Aチームヘッドだったが、ある日、オリックスのIR説明会に参加する機会を得た。

どうしても会いたい人がいた。梁瀬頭取だ。

「頭取に会える。」

それだけで気持ちが穏やかでなくなるのがわかった。

当時、オリックスの社長は、
旧あさひ銀行最後の頭取だった梁瀬行雄氏だった。
国有化になるまで、頭取は本当に身を粉にして働いていた。人望もあった。

テレビ東京の「ガイアの夜明け」の第1回目は梁瀬頭取である。

あの頃の日経平均は7000円台だった。

大和銀行と統合した時は副社長で、
2003年の株主総会後に社長就任の予定だったが、この国有化で銀行を去った。
その後、オリックスの宮内氏に見染められ、
オリックスの社長を務めていた。
いずれにしろ、私がいた時の頭取とは、梁瀬頭取のことだ。

IRが終わった後、ほんの5、6メートル先に頭取がいる。

「あの時のことをどう思っているのか。」

どうしても頭取と話がしたかった。

梁瀬氏のところまで行き、名刺交換をした。

「私はりそな、元あさひ銀行員です。」

梁瀬氏の顔色が変わった。

「そうでしたか。最後はどちらに?」
「個人部です。その節は本当にお世話になりました。」

梁瀬氏は深く頷き、
「そうですか。あの頃は、本当に行員の皆さんに辛い思いをさせて、申し訳なかったと思っています。すみませんでした。」と、梁瀬氏は頭を下げた。

その瞬間、自分は何を話そうと思っていたか、全て忘れてしまった。

当時、私は一介の調査役(係長クラス)である。
頭取を行内で見かけることはあっても、
話すことなど、もちろんあるわけがない。
その頭取が今、私ごときに頭を下げている。

「頭取、お顔をお上げになってください。」


私は思わず、頭取と言ってしまった。
目がしらが熱くなった。

「今はどの様な仕事をされているのですか?」
「M&Aのアドバイザーをやっています。」
「そうですか。これからも頑張ってください。
期待しています。当時の行員がいろいろなところで、活躍していることが、私にとって一番嬉しいことです。」

おそらくこれは梁瀬氏の本心だったのだろうと思う。

結局、自分は頭取と何を話したかったのだろうか?

おそらく恨み辛みではない。
外で頑張っている自分を、見て欲しかったのかもしれないし、あの時の敗北感に負けた自分の言い訳を、したかったのかもしれない。

でも、梁瀬氏と話すことが出来て、全ては済んだ気がするのだ。

ただし、一つだけ確かに言えることは、
梁瀬氏と会えたことで、自分の銀行員としての人生は、この時、気持ちとしても確実に区切りがついたということだ。

そして令和。ようやく銀行員を辞めてからの社会人生活の方が長くなったことを、感謝したい。


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