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香水と絵画の話 ~PENHALIGON'S《Vaara》~

 初めての香りを試して(ああいい香りだ……)と思う時。
その『いい香り』はどの『いい香り』なのか。その『いい』の中には『好いけれど肌に乗せたら多分似合わない 』『使うシーンがなさそうだけど大変に好い』『とても佳く美しいけれど私向きではない』なども含まれる。
購入するとなるとその辺をよく見極めて『好きだし佳いものだし似合うし使う』を満たす必要が(個人的には)あり、見送ることも珍しくはない。
しかしそれでも忘れ難く、定期的に悶える羽目になる香りというのが幾つか存在する。

その1つがペンハリガンの《Vaara》だ。
この香りの正しい由来その他は調べるとすぐ出てくるのでそちらをご覧いただくとして、初めて試したのは多分4年前だったと思う。

香水を見に行くといつも、並んだボトルを片っ端から眺めてまず雰囲気に惹かれるかどうかで選び始めてしまう。(これは多分悪癖だが侮れない選定方法でもある)ヴァーラにはその時まで惹かれたことがなかった。
エキゾティシズム溢れた装飾と鮮やかで明るい色遣い。見る分にはとても好きな類のデザイン。でもどう見ても私が身に纏いそうな雰囲気を漂わせてはいない。肌に合うかどうか、そしてそれ以上に精神に馴染むかどうかは最重要なので、直感的に後回しにされていた。

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いまはなきVaaraね

それをどうしてその日はわざわざ試したのかもう憶えていない。
息を吸い込んだ瞬間、花と果物を含ませ、蜜をたっぷり溶かした甘い紅茶のようだと感じた。強い日差しと吹き抜ける乾いた風、揺れる花々、熟れる果実……
ペンハリガンはイギリスのブランド、となるとインドか?そうなのか? 
妄想の旅に引っ張り出されかけた辺りで、販売員の口から「マハラジャの要望で作られた」と聞こえた気がする。
ああこんな素人の鼻と脳にすら、ある程度限定的なイメージをしっかり伝えてくるのだから調香師というのは本当にすごい。ほぼ魔法使い。(蛇足だけどキャッチ出来ないこともままある。致し方なし)

次の瞬間、ある絵が私の脳内にバーンと現れて、そしてアニメーションのように動き始めた。

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なかなか会えないペリ

ギュスターヴ=モロー作 《聖なる象(ペリ)》1882年
水彩、グワッシュ、紙 57.0 x 43.5
国立西洋美術館 蔵

この作品に関しても詳しいことは調べたら出てくるので割愛するけれど、私は妄想ヴィジョン内で芳しさに満ちた浅い水辺に立ち尽くしていた。

辺りは夕暮れ。燃えるような茜色と鎮静のブルーのグラデーション。
この上なく神聖なものだとか言う香木を焚き籠めているうちに、異界と繋がってしまった。(よもや本物ではあるまい…と面白半分、気に入りの骨董屋で手に入れたのだ)
鳥が鳴き交わし、何処からか音楽はさざめき、よい香りに誘われて夢中で歩いているとこの河に出た。多分、日没までに引き返さないと戻れなくなる。優雅に耳を揺らしながらこちらへ向かって来る象の瞳は思慮深く、ゆったりと歩を進めるたびに大きな蓮の花の間で魚が跳びはねる。虹色の鱗がキラキラ輝く。有翼の聖なる存在に護られた美しいひとはその揺れに身を任せ、こちらを向いてはいるがどこも見てはいない。
守護者の翼が宙で翻るごとに、明るく澄んだ香りが湧き起こってこちらにまで漂って来る。祝福そのもののような香り。『人間よ、この出会いを他言してはならない。そうすればこの上ない瑞祥となろう』……

「お好みに合いますか?」

そうだった。私今、真顔の無言でムエットを吸い込んでいる客だった。
販売員もよほどの事が無い限り動じはしないだろうが、一瞬で妄想に潜り込んでしまう性分を流石に打ち明けられない。
恐らくいつものパターンからしてツルっと外向きの顔を作りつつ「いい香りですね。すごく」と力を込め気味に返事をしたと思うが、間合いを待てずにまた即座にムエットを近付けると、再び同じ情景が脳内にゆらりと立ち上がった。

そうか――
このパターンか――――
困ったねこれは―――――――!!

Not for meタイプの香りなので、普段なら割とあっさり忘れられるはずだったのに。いつでもあの絵の中に入れる装置になってしまった。
これは困ったな……謂わばBlu-rayディスク的な事じゃないか。お値段如何ほどでしたっけ? いやいやいや既に発想の気が狂っているぞ。そもそも“あの絵の中” などというもの自体が完全に文脈から離れているよ、ただの妄想だからね?『困ったねこれは――――!!』じゃないよ、落ち着けよ。

あわや纏うシーンを全くイメージできない香りを、即断即決持ち帰るところだった。その場は何とか踏み止まった。

今更だがモローは“推し画家”だ。
推しの事となると判断基準がおかしくなりがち。そしてたとえ120年前に亡くなっていようとも推しは推しなので、他ジャンルと同じように推し不足に陥ることがある。そのたび、よーし逢いに行くぞ!出掛けるぞ!となるわけだが、《聖なる象(ペリ)》は東京にあっても滅多に展示に出ない。タイミングも悪いのだろう。確か企画展以外で観られた事が無かった。
その日も国立西洋美術館の展示情報を検索していた。ああ今回も逢えないのかペリ…次いつ観られるんだろう。と思ったその時。
ヴァーラの香りが鼻の奥あたりをさあっと過って、守護者たちの翼がふわりと揺れた。

うわぁあ待って待って、何今の。ちょっと引くわ自分に。

……こんなことがその後も何度もあって、結局ヴァーラは小分けを手元に置くことにした。もし廃番になるようなことがあったら『正式な装置を備えるため』と自分に言い訳しようと思う。


PENHALIGON'S

国立西洋美術館

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