見出し画像

リーグタイトル初帝冠を後押しした「鬼門克服」(2004.10.23 Jリーグ2ndステージ第10節 鹿島アントラーズvs浦和レッズ)

「鬼門突破」
Jリーグの長い歴史の中で特定のチームが思わぬ大躍進を遂げたり、
タイトルを奪取した際にセットで語られることの多い言葉。

スポーツの世界ではその時の順位や好不調の状況に左右されず、
相性のようなもので勝敗が決着することが多々ある。
それは得意(苦手)な相手と一言で済まされることもあれば、
何か別の力が作用しているのではと疑ってしまうレベルのものまであり、
Jリーグの30年の歴史の中でもそういったことは度々あった。

古くは2年目にJリーグに参入した磐田が同じ静岡県内のライバル清水にリーグでの初対戦では負けたものの2回目の対戦以降しばらく勝ち続けていたり、
横浜マリノスと横浜フリューゲルスのJリーグ初代ダービーでは同じ三ツ沢球技場を本拠地としていながらホーム扱いのチームが勝利するジンクスめいたものがあった。

サッカーの世界ではなかなか勝てない相手や試合会場のことを「鬼門」と表現するが、
とりわけ鹿島アントラーズ(以降、鹿島)の本拠地『カシマサッカースタジアム』を鬼門とするチームが目立つ。
鹿島自体がこれまで獲得してきたタイトルの多さを見てもわかる通り強かったのもあるがその中でもホーム『カシマサッカースタジアム』では無類の強さを誇る。


カシマサッカースタジアム鬼門の歴史

カシマサッカースタジアムが鬼門となりタイトルを逃したチームを思いついた限り挙げてみる。

1994年1st 清水(●2-3) 開幕から好調だったチームが初黒星、最終1stステージ2位。
1996年 名古屋(●2-4) 鹿島、名古屋ともに優勝争いをしてた中での終盤戦。この試合で名古屋が敗れたことにより鹿島の実質的な優勝が決まる。
1998年2nd 横浜M(●1-2) 鹿島、横浜Mともに優勝争いしてた中での終盤戦。この試合で横浜Mが優勝争いから脱落。最終的に鹿島が優勝。
2002年1st 横浜FM(●1-2) ここまで無敗で来ていた横浜FMが1stステージ前半戦終盤のカシマでの試合を落とし首位陥落、磐田に逆転優勝を許す。
2002年2nd 浦和(●1-2)2ndステージ初のタイトルを目指し無敗で来ていた浦和に鹿島が初黒星をつける。浦和はここから失速し磐田に逆転優勝を許す。

とJリーグ開幕から最初の10年を振り返っただけでもカシマで辛酸を舐めタイトルを逃している。
また、名古屋に関してはリーグ戦ではJリーグ開幕した1993年から2007年までカシマサッカースタジアムでの勝利はなし。
(鹿島ホーム扱いでの国立競技場では一度勝利あり)

Jリーグ開幕当初はカシマサッカースタジアムの芝が他のスタジアムより芝が長く、
適応できずに敗戦を喫するなどと言われていたこともあったがそれだけでは言い表せない何かがあるように感じる。


リーグタイトル初奪取の浦和が成し遂げた「鬼門克服」

前置きが長くなったが本題の試合についてここから書く。

2004年2ndステージ浦和はかつてない好調を維持していた。
エースFWエメルソンが得点王争いを爆走、3トップの永井、田中達也も好調で両翼には天才山田暢久と三都主、チームのかじ取りは若い鈴木啓太と長谷部誠が絶妙のバランスを保ち、守備は闘莉王中心に鉄壁を誇っていた。
前々年の2002年2ndステージも近い状況ではあったが、この年は同じ2ndステージ第10節に鹿島戦を落としそのままズルズルと順位を落とした。

この日のメンバーも鉄壁のメンバーを揃えた。


「鬼門克服」に向けてベストメンバーを送り込む
引用:https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=7922

2年前の苦い思いを知っている選手も多かったのか、この日の浦和は立ち上がりから「鬼門克服」に向けて積極的に攻めに出る。

実を結んだのは開始から10分、ペナルティエリア外で永井がボールを受け取ると裏に抜けるであろうエメルソンへ。
呼吸が合わず、永井も「あれ?なんで走ってないの?」みたいなジェスチャーを出していたがそこに田中達也が走り込み先制点を叩き込む。
こういった運もあり流れは完全に浦和かと思ったが鹿島も反撃を見せセットプレーから岩政が叩き込み同点。
それでもこの日の浦和は動じることなく攻め続け28分にセットプレーのこぼれ球を田中達也が押し込み勝ち越し。
浦和の勢いを見せつけたかと思いきや前半終了間際にセットプレーの二次攻撃から小笠原が決めて同点、これだけの勢いを以てしてもカシマでは勝てないのかと思いたくなるような前半は2-2で終える。

点を取り合った前半から一転後半は、じりじりとした我慢比べの試合となる。
潮の満ち引きのように上がったり下がったりの展開に満員のカシマサッカースタジアムは異様な雰囲気に。
このまま引き分けも考えられた84分に一人の若手の勇気あるプレーが追加点を産む。
のちに日本代表のキャプテンまで上り詰めた長谷部誠が鹿島DFに亀裂を入れる思い切ったドリブル。
長谷部の推進力と迫力のあるドリブルに2人3人の鹿島DFが警戒し進行方向のブロックを固める。
鹿島DFの注意を十分に引き付けた長谷部はフリーのエースFWエメルソンにラストパス。
ゴールまでの距離はあったがフリーのエメルソンは十分な時間を与えられコントロールショットを放つ。
きれいな放物線を描いたシュートは鹿島GK曽ヶ端が一歩も動けない素晴らしいコースを辿りゴールに吸い込まれる。
こうして試合終盤に鹿島からリードを奪いそのまま勝利を収める。

最終結果

浦和は鬼門カシマでの勝利を収め勢いと自信そのままに2ndステージ制覇。
ステージ優勝ながらリーグでの初タイトルを手にするシーズンとなった。


この試合で浦和が「鬼門突破」を成し遂げる伏線はあった。
上記の2002年シーズンは2ndステージ優勝を鹿島に阻まれただけでなく、ナビスコ杯(当時のリーグ杯)も鹿島に阻まれていた。
決勝まで進んだ浦和は初のタイトルを目指し国立競技場で鹿島と戦ったが0-1の敗戦で初タイトルを逃す。
それでも、翌年2003年も同じようにナビスコ杯を勝ち進み再び決勝国立競技場で鹿島と再戦。
一進一退の攻防を繰り広げていたが山瀬のゴールを皮切りに浦和が得点を重ね、4-0で鹿島を下しクラブ初タイトルを獲得。
これによって浦和のタイトル及び鹿島アレルギーのようなものが解消されたように思う。
2003年のナビスコ杯優勝のメンバーがタイトルによって自信を深め、2004年優勝のかかった鬼門の試合で経験と自信を発揮し優勝に近づけることに成功した。

近年、以前ほど鹿島がカシマサッカースタジアムで勝負強くなくなっているように感じるが、それでも対戦前は今でも嫌な予感のしてしまう不思議なスタジアム。
今後、これほどの「鬼門」らしいスタジアムは出てくるのであろうか。
出てくるのであればそれはマリノスの本拠地であってほしいと切に願う。


おじゃ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?