2001.4.7 J1リーグ鹿島vs磐田

今日はジュビロ磐田のOB選手たちが磐田のベストゲームと語ることの多い試合。
名波選手が中心となる『N-BOX』と言われるシステムでサッカー界を席巻した2002年シーズンです。


鹿島1ー2磐田
国立競技場(観衆:35221人)
得点
4分 鈴木隆(鹿島)
8分 高原(磐田)
54分 藤田(磐田)

メンバーは、
『鹿島』
鈴木隆 柳沢
小笠原 ビスマルク
熊谷 本田
中田 秋田 ファビアーノ 名良橋
高桑

交代
61分熊谷→本山
64分鈴木隆→池内
68分本田→平瀬
退場
61分ファビアーノ

『磐田』
中山 高原
奥 藤田
名波
服部 福西
大岩 田中誠 鈴木秀
ヴァンズワム

交代
89分高原→川口


両チームのメンバーを見ると当時の代表クラスの選手がズラり。
次の年の日韓W杯や2006年のW杯に選ばれる選手が多いオールスターと言っても良いぐらいのラインナップです。


当時の磐田のシステムは名波中心の中盤をNボックス(5人の中盤を線で繋ぐとNになる)と言われ、
高原、中山含めてハイレベルな判断の出来る選手がポジションを崩しながら揺さぶり、
ボールを獲られても服部、福西が素早いプレスをかけて相手に自由を与えず他を圧倒するサッカーをしていました。

試合は前半開始早々から動き4分にセットプレーから鈴木隆が押し込み鹿島が先制。
これで面白くなるな~と思った矢先の8分に同じくセットプレーで隙をついて高原がワントラップから鋭いシュートで同点。
その後は鹿島に自由を与えず前半は磐田が押せ押せでしたが鹿島も気合いの入った守備で得点を与えず、
前半はそのまま同点で折り返し。

後半は開始直後は鹿島が押し込むも中盤でパスミスを拾った奥から藤田→中山とダイレクトで繋いで、
中山の落としを高原が難度の高いハーフボレーを打ち高桑が弾いてポストに当たって跳ね返ったボールを藤田が押し込み磐田が勝ち越し。
その後は磐田が鹿島を翻弄してさらにファビアーノが退場して鹿島は何も出来ず…と思いましたが、
途中から出てきた本山が躍動し鹿島が息を吹き返しました。
キレキレの本山は一人で2~3人を引き付け抜いてチャンスを作る。
最大のチャンスは71分に本山が3人抜いてオーバーラップしてきたフリーの名良橋にスルーパス、
名良橋はキーパーと一対一になりましたが枠を捉えることができませんでした。
そのあとは磐田がまた押し込むも追加点はならずそのまま2ー1で終了。

点差こそ最小得点差でしたが磐田が個人技も組織としても圧倒したと言える試合だったと思います。
高原の前に突き進むドリブル、奥・名波・藤田の展開力、福西・服部の守備力どれも印象的です。
名波がFKを意図して鹿島の壁に入った高原の股を抜いたグラウンダーのキックには度肝を抜かれました。


この時の磐田は当時数少ない強くて魅力的なチームで勢いそのままに2ステージ制の前期を圧倒的な力で優勝しました。
しかし、年末のチャンピオンシップでは後期を制した鹿島に負けて年間優勝はなりませんでした。
当時磐田のメンバーの服部がこんだけ勝ちまくって優勝できないっておかしい!
的なコメントをしてたのが印象的です。



おじゃ

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