1999年Jリーグチャンピオンシップ第2戦 清水vs磐田
Jリーグマニアを自称する私の記念すべき懐古第一弾は、
2シーズン制だった1999年Jリーグチャンピオンシップ。
1シーズン制になって久しいのでチャンピオンシップについて先に補足させていただくと、
Jリーグが開幕した1993年から2004年と2015年と2016年(こちらは変則)はリーグが前期と後期に分かれていて、
年間リーグスケジュールの最後に前期と後期のステージ優勝チームが、
年間優勝をかけてホーム&アウェイ方式で戦うシステムを導入していました。
毎年チャンピオンシップはその年のベストゲームといえるようなハイレベルで接戦になる試合が多く、
応援するチームが出る出ないに限らず年間で最も楽しみにしている試合の一つでした。
今回振り返るのはその中でも特に両者の意地と意地がぶつかる極度の緊張感を感じた1999年の静岡ダービーを懐古します。
磐田のホームで行われた第1戦を延長戦の末当時磐田のエースだった中山雅史選手のこの日2点目となるVゴール(※)で磐田が勝って迎えた第2戦、
清水のホーム日本平はオレンジの圧とサックスブルーの圧が入り乱れて真冬の夜とは思えないような熱気を帯びていました。
(※1993年から2002年まで90分で決着がつかなかった場合前後半15分ずつの延長戦があり、
ゴールが決まった瞬間に決着が着くVゴール方式を採用していた)
第1戦磐田が勝利したとはいえ延長戦での勝利だったので90分で清水が勝てば文句なしの年間優勝。
清水が延長戦で勝った場合は年間優勝を決めるためのPK戦を行って決着が着けられます。
前半は第1戦を落とした清水がやや優勢に攻めますが清水ディフェンス陣のパス回しに対し中山(磐田)がプレッシャーをかけ、
一度はピンチを逃れるものの再び中山に捕まった西澤(清水)がボール処理を誤り、
ボールを奪った磐田が丁寧にボールを繋いで最後はフリーの服部(磐田)が豪快なミドルシュートを決めて先制。
そこから清水も巻き返し抜群のキレを放っていたアレックス(清水)が相手ゴール近くでファールを受けて絶好の位置でフリーキックを獲得。
しかしこの場面でファールを受けたアレックスが三浦文丈(磐田)に報復の蹴りを入れて退場。
絶対絶命かと思われた清水でしたがこのフリーキックを澤登(清水)が直接決めて同点。
前半はそのまま1-1の同点で終了。
後半は夏に清水から移籍した安藤(磐田)の突破からのクロスが再三あって、
それを身体を張って跳ね返す清水守備陣という構図。
安藤がボールを持つ度に磐田はチャンスになり日本平スタジアムに緊張感が流れました。
それでも耐え続けて後半を持ち堪えて1-1のまま延長戦へ。
延長戦は清水が息を吹き返し途中出場の大榎(清水)からのボールをファビーニョ(清水)が絶妙の反転からゴールを決めてVゴール。
年間チャンピオンを決める試合の決着はPK戦に進みます。
PK戦は全員がきっちり決めた磐田に対し清水はサントス、ファビーニョが外し敗戦。
祈るようにPK戦を見ていた澤登と勝利後の中山と桑原監督(磐田)の抱擁が印象的でした。
この試合はNHKの山本浩さんが実況を担当されていましたがスタジアムの熱狂と試合の緊張感がダイレクトに伝わってきて良かったです。
おそらく今の選手の方が上手いだろうし戦術も洗練されていると思いますが、
ここまでダービーで熱くなれる試合を久しく見ていないような気がします。
2シーズン制の時は毎年チャンピオンシップを楽しみにしていたけど、
中でもこの1999年の静岡ダービー(日本平)と2001年の鹿島vs磐田(カシマ)の試合は特別。
当時学生で今よりもよっぽど時間があったというのもあるけど、
この2試合はビデオテープが擦りきれるほど何度も見ました。
コロナ禍になりNHKでこの試合の再放送をしていた時この試合にも出ていた福西さん(元磐田)がスタジオでゲストとして話していましたが、
この時ほど日本平が熱く燃えた日がそれ以来ないという話をしていて、
納得もしたけどそれほどの熱い試合がないということに寂しさを感じました。
一人の静岡の人間として日本平がこの時以上に燃える試合をまた見たいです。
おじゃ
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