そろそろ本音で”クリア後の”『DEATH STRANDING』を批評をしよう【ネタバレ】
2019年、恐らく最大の話題作となった『DEATH STRANDING』のリリースから1ヶ月が経過した。その間、「触った程度」の感想やレビューがSNSなどで散々に飛び交ったが、この30~50時間もあるボリュームの作品をしっかりクリア後に語るテキストは未だ少ない。
もう皆語り尽くし、満足してしまっているのか?
とはいえ、この話題作をその程度で語り切るには惜しい。私も本作をとことんプレイして、気づけばプレイ時間は70時間と平均を大幅に越えてしまった。そこで今だからこそ、本音で『DEATH STRANDING』というゲームを語りたいと思う。
本音で批評すると言うからには、世辞もリップサービスもなしだ。両手を挙げて大絶賛でなければ承知しないということなら、この記事を読むことは勧めない。また部分的にネタバレになりえる記述もあるので、それが気になる方にも勧めない。
そして最後に、『DEATH STRANDING』を理解する本当の鍵についてもここで公開しようと思う。そう、私は『DEATH STRANDING』を理解したのだ。
Chapter1~2について
ここからChapter7までで完結していたなら『DEATH STRANDING』は紛うことなき傑作である。GOTYはおろか2010年代でも随一と評価されても不思議ではない程に完成度が高い。
まず情報が凝縮されたカットシーンから本作は始まる。バイクに跨るサムが時雨の中を駆け抜けていく。厳しい地形に阻まれ、やむを得ずバイクを放棄したノーマンの上からはカラスの死体が落ちる。それは全てを一瞬にして風化させる「時雨」の仕業だった。時雨から逃れるため洞窟で休むノーマンだが、そこでは「ビーチ」を操るDOOMSの「フラジャイル」が謎めいた言葉とともに出迎え、そしてあの世の使者である「BT」の襲撃……。
それから流れるように次の配達を受け、ネクローシス寸前の死体を運ぶことになる。そこでBTの真の脅威を見た上で、この世界の絶望の根源である「対消滅」を目の当たりにする。そこで「帰還者」として死ねない身体であることが明らかになった後、「BB」との運命の出会いを果たす。
この1時間あまり、ノンストップのカットシーンは正に映像にこだわる小島秀夫の面目躍如と言わんばかりの凄みがある。ゲームの複雑な世界観を具体的な言語を介さず、ある程度の行間を残しながらも的確に説明しつつ、バイクを阻む岩山、迫りくるBTの恐怖、そして対消滅という結末など、ゲームプレイにも重要な要素を「ゲームプレイ以上の誇張」を用いながら写し、一気に没入させる。
あらゆるゲームのイントロ部分において、恐らく『DEATH STRANDING』のChapter1ほど素晴らしいものは中々ない。
初期の『DEATH STRANDING』評には多数の「ムービーゲー」という誹りがあったが、これは限りなく的を外している。まず、本作のカットシーンは本作を全力で楽しむ上で必要なものである。最初のカットシーンがあるからこそ、中盤のアメリカを横断するゲームプレイに説得力が増すからだ。次に、一言にムービーと言っても良いムービーと悪いムービーがある。このムービーはおよそ情報量を詰め込んだ上質なムービーであり、そこが凡百のAAA級タイトルと異なるのだ。
ゲームプレイにおいても、恐らく「ストランドゲーム」としてのオリジナリティが最も発揮されているのは、マップがポートノットシティまで限られたこの序章だ。
まず本格的な任務が自分の母親であるブリジットの遺体を運ぶ、というのがいい。このゲームにおいて死体は極めて不安定な荷物で、かつ焼却炉までの道も激しい岩山に遮られている。プレイヤーは慎重なコントロール捌きと、的確なルート判断を同時に求められる。この難易度の上げ方はかなり急だが、下手なチュートリアルを挟むより余程ゲームの魅力に飛びつける。合間にNPCが設置した梯子を使える所も、「いいね!」の繋がりを早々に認識する上で都合が良い。
小島秀夫は「ストランドゲーム」をアクションゲームと解釈している。ポイントAからBまで荷物を運ぶ上で、サムは常に重心を左右にずらしながら、天然の地形に合わせたルートを的確に選択していく。『MGSV』時代から更に進化したズバ抜けたキャラクターのリアルな挙動を、監督の言葉を用いれば「レースゲームで車を操作するように」、コントローラーで操作していく。自動で何でも動くより遥かに直感的で、正に自分が操作しているのだという実感が湧いた。それでいて、むき出しで過酷なアメリカの大地を踏みしめるのは、正にどのゲームよりも原初のアクションゲームと言えるかもしれない。
その後、すぐに敵となる「BT」と「ミュール」が現れる。この対称的な敵を2種類用意したのも、本作の「ストランドゲーム」を見事に強化している。
「BT」はあの世の亡霊である。普段は不可視で序盤はまともに攻撃する手段さえない。被捕食者に過ぎないサムは通り過ぎるしかないのだが、このBTはステルスゲームの敵にあるまじく盲目である。よって息を止めれば簡単に出し抜けるが、今度は息を止めればスタミナが保たない。「視界の奪い合い=ステルスゲーム」だった『MGS』の常識を覆すような素晴らしい敵である。
一方「ミュール」は古典的な人型エネミーだ。視界良好で彼らを出しぬくのは大変むずかしい。一方でBTと異なり火力は低く、何より倒せば荷物を奪える。ここがBTとの違いで、ミュールは明らかにBTより面倒な敵である一方、ちゃんと殴れば倒せるし、倒せば副収入が稼げるのである。この辺はゲームとして非常にわかりやすい、リスク・リターンだ。
BTもミュールも、サムにとっては同じ敵だがアプローチは全く異なる。BTは盲目だが無敵、ミュールは鷹目だが脆弱である。加えてBTは接敵すること自体がリスクだが、ミュールとの接敵はチャンスになりえる。またBTは乗り物を拘束する力があるが、ミュールは乗り物があれば容易く突破できる。また倒す手段でも、BTには各種グレネード等の擲弾装備、ミュールにはボレーガンなどの銃型が有効だ。この2種の敵は、本作のゲームプレイに大きな多様性をもたらしている。
ここまで見れば、正にChapter1~2までの3時間程度のゲームプレイは『DEATH STRANDING』というゲームの醍醐味を見事に反映させていることがわかる。ここまでなら新規性がありながらも、非常に練り込まれた傑作なのだ。
Chapter3~6について
フラジャイルと出会い、プレッパーズたちが居を構えるアメリカ中部に上陸した後から、『DEATH STRANDING』のゲーム性は序章から大きく変化する。だがそれは決して評価を下げるものでなく、むしろ味付けを変えながらも面白さはほとんど変わっていないのがスゴい。
具体的には、これまでアクションに近かったゲーム性がRPG寄りになってくる。サムの操作やルート選択といったマイクロな意思決定に費やしていた脳内エネルギーを、リソース管理や建築物開発といったマクロな意思決定に注ぐようになるからである。
具体的にはChapter3から、次々にとんでもなく便利な装備が開発されていく。最たるものがバイクである。バイクに乗っている限り、サムは一切の重心を気にする必要がなくなり、更に持ち歩ける荷物量も倍近く増える。これは本来の重心を維持して道を歩く「歩荷アクション」を台無しにしうる強力な兵器だが、これをあっさり解禁する所に本作の慧眼がある。
即ち、いかにストランドゲームが革新的と言ってもひたすら歩くだけでは絵面が地味すぎるのだ。そこでバイクという全てを無にする兵器を与える。これまでの地味で過酷な道中がグッと楽になることで、とてつもない万能感が味わえる。更にこれまで手も足も出なかったミュールやBTに対する兵器も次々に解放され、さながら産業革命のヨーロッパの如き無双を楽しめるようになる。
まさにアクションからRPGへの転換である。限られた装備でどう戦うかという詰将棋から、次々に湧いて出てくる装備でどう敵を殴るかという軍人将棋へとゲームが様変わりする。しかも単に数値が低い高いでなく、「見えないBTを倒す」とか「地形をある程度無視して移動する」とか、目に見えて「不可能だった障害物」を突破する手段が与えられる。だからこそ、次の装備の解放が楽しみで仕方なくなるのだ。
そこに加えて、ついにここから醍醐味である「緩いオンライン」ことオンライン要素が活性化する。具体的には建築物が多数解禁され、オンライン越しに彼らの建築物を利用させてもらったり、逆に自分が建築物を作って誰かから「いいね!」をもらえるようになる。
単純に孤独感が紛れるだけでなく、この「緩いオンライン」は非常にポジティブながら奥深い戦略性を孕んでいる。要するに、通信量や資源などのリソースを管理する経済ゲームだ。どこに配置すればより「いいね!」が貰えるのか、逆に他人の設備をどう組み合わせれば自分の世界がより快適になるのか、常に「遠い他人」を意識したゲームプレイがここら辺から始まる。特に「ジップライン」は本作最高の発明と言ってもよく、他人のジップラインと組み合わせて最も効率よく輸送するにはどうルートを作ればよいのか考えてるだけで、何時間も過ごせてしまう。
荷物の輸送という特異なゲーム性も、このRPGと絡み始めると俄然楽しくなる。アクション性の強い序盤ではあくまで他人のために運ぶだけだが、この辺から「プレッパーズたちの信頼を獲得して、より強力な装備をもらう」「国道などを建設して、快適な輸送網を構築する」など明確に自分のリターンも見えてくるからだ。
このようにゲームプレイだけなら「RPG化」「オンライン経済の導入」を鑑みても、100点どころか150点は付けたいぐらいの楽しさなのだが、95点としたのはこの辺りから物語と実際のゲームプレイとの間で、乖離が生じるように思えたからだ。
Chapter2までは流れるような世界観の説明に加え、表題どおり「ブリジット」や「アメリ」といった主人公サムに親しい人間との関係性が描かれていく。ノーマン・リーダスの演技と相まって、寡黙な男サムの内情が少しずつ見えてくる点から物語もよく楽しめた。特に親代わりであったブリジットの遺体を運ぶシーケンスは、物悲しいゲームプレイとカットシーンが見事に組み合わさった作中屈指の名シーンと言えるだろう。
一方でChapter3からは、フラジャイル、ママー、デッドマン、ハートマン、ダイハードマンなど、(一部を除く)ブリッジズメンバーの依頼をサムが受けることで、対人恐怖症だったサムが少しずつ「赤の他人」である彼らに心を開く様子が描かれるのだが、この辺がかなり微妙だ。
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