コロナを発端に価値観の違いを受け入れるとは、と考える
コロナが流行り出してから二年ちょっと。もう日常にこびりついてコロナのことを考えることが当たり前になってきた。その中で、コロナに対する考え方が人それぞれ全然違うことを目の当たりにし、そしてそれぞれ主張する人はそれを偽りなく正しいと思っているからその意見を耳にし続けるとどれが私の意見なのかわからなくなる。
その中で特に悶々とするのが親との関わり。世代が違うということもあるし、そもそもの考え方の違いというのもあるけれど、親のコロナに対する感覚はどうも私とは合わない。そしてその相容れない考えを言われるととても憂鬱な気持ちになる。
その中で今日の出来事。我が家は8月頭に一家全員コロナに感染した。それから二週間以上が経ち、今度の休みに久しぶりに両親に会おうかという話になったが、「抗体検査で陰性になったのを確認してからにしたい」、と言われた。会う日はもう感染してから20日くらい経っていて社会復帰も規定通り10日後からしていてそれでもやっぱり心配だからと。
これを言われて嫌な気持ちになってしまった。
心配になる気持ちは分かるし、本当にもう感染力を持っている人は我が家にはいないのかと言われればそれはわからないけれどでも、それでも嫌な感情が湧いた。
なんでなのか。こういう気持ちには今まで何度もあったから今回は理由を明らかにしようと色々考えた。
自分の意見と違うから私はそれを言われて嫌なのか。多様性を受け入れるって日頃から意識しているけれどそれは私には無理なのか。これを違う人から言われたらどう思うのか、義理両親だったら?友達だったら?これには何にも嫌な感情が湧かないことが分かった。
おそらく両親だけ。おそらく、両親は自分の一部、くらいに身近に感じていて自分のことを分かって欲しいし、自分の味方をいつもしてくれるし、そして今の私の年齢からしたら守らなくてはいけない存在だと思っていると気づいた。
だから、私の信じている意見とは違う意見を両親が言うと「いやそれは違うんだよ」と私の意見を通したくなる。私が正しくて、そっちは間違っているからと。これが他人だったらすごい冷たいかもしれないけれど、その人がどんな意見だったとしても自分には関係ないし、どうしても嫌なら関わらなければいいからと思ってしまうから気にならない(ことが多い)。
そうか、私は色々な意見を受け入れると言いながら自分とは違った意見の人を避けて、そして自分の意見を通そうとしていたのかもしれない。今は想像力が足りなくてこの考えは両親にだけしかしていないと思っているけれど、そのうち他人に対しても同じことを思うのかもしれない。
両親とは関係を断つことができないから、私がなんとかしなくてはと思ってしまうから。でも、両親であれ、家族であれ、他人は他人。コントロールできないことをわかっていてもできていなくて、それに今更気付かされる。
他人を私がどうにかできるなんておこがましい。
私は自分のことに集中して、私が幸せでいることが世界を平和にするんだと信じて自分がご機嫌でいられるように、みんな違ってみんなどうでもいい、を座右の銘にしてこれから生きていこうと再決心した。
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