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誠実さとは?

先日の記事でぼくのことを「誠実」だといってくれた人が何人かいた。

ぼくは誠実から最も遠いところにいる人間だ。そんなぼくのいったいどこが誠実なのだろうと不思議に思った。そのことを一日中考えていたのだけど、最後に思い当たったのが、ひょっとしてぼくの書く文章に関係があるんじゃないかという結論に至った。

ぼくはなるべく(ぼくにできる限りの)美しい文章を書きたいと思っている。それは美辞麗句を並べた文章ということではない。

前に一日で消えてしまう文章(たまに書くんです)で述べたけれど、哀しみをやさしさとユーモアと希望で支えた文章がぼくの美しい文章の(ごく個人的な)定義だ。もちろん、この定義に賛同されない方もいるだろうし、美しい文章とはそんなものではないとプロの物書きなら怒鳴り散らすかもしれない(ほんとうに個人的な定義なのでそこのところはご勘弁ください)。

本来なら、そのために自分の書いた記事をなんども手直ししたい。昨晩書いた記事も、今朝少しばかり手直しした。

本当のことをいうと、昨日は記事を書く予定がなかった。夕方、妻と「シンウルトラマン」を見に行く予定があったからだ。しかし、三男坊の野球部が春の大会に勝ち進んでいて、こまごまとした用事が午後も続き、結局映画は見にいけないことになった。

ぼくは基本的にいつも記事を夕方6時過ぎから8時までの間に仕上げることにしている(その間しか時間が取れない)。朝の間に構想を考え、仕事の合間を使って構想を練り、夕方の約1時間の間でさっと書き上げる。

昨日は、夕方から急に思いついて記事を書こうとしたので構想にまごついた。そして何ともちぐはぐな文章が出来上がった。

初めに書いた文章は「覗くのをダメと言われても」という題名だった(その次に考えたのは「ひ・み・つ」だった)。書き出しに「ぼくには癖(へき)がある・・・」とあるように少しだけエロティックな味付けをしつつ、出雲神話のイザナギイザナミの黄泉比良坂につなげていこうとした。

しかし、まくらの基本部分は犬の散歩であることから、エロティックな味付けが余分なものとなってしまった。そこでその部分をカットし、題名も「ぼくの癖」というシンプルなものにした。これでようやく(あくまで自分の中では)すわりがよくなった。

このように実はなんども文章をちょこっとずつ手直ししている。そうなると、一番はじめのほう(改定前)に読んでくれた方に申し訳なく思う。特に昨日のような文章は申し訳ないを通り越して、謝罪したいくらいだ。

こうやって、ぼくは何度もじぶんのなかですっきりするまで文章を書きなおしている。ひょっとして、そういうところが誠実にみえるのかもしれない。だとしたら、ぼくは全く誠実な人間ではないのだけど、文章にだけは誠実でありたいと思っている。



出雲神話の中で何度もなんども書きたいと思う神様は、大国主命を別にすれば、スクナヒコだろう。ひょっとして大国主命よりも愛しているといってもいいくらいだ。スクナヒコは大国主命と一緒に国造りを行った神様で、最後は粟に飛ばされていなくなってしまう。

先日、スクナヒコに関連する神社に行ってきた。スクナヒコが最後に粟の上から飛ばされていなくなったという故事が由来の粟島神社だ。

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標高36メートルの明神山の頂上に粟島神社は建てられている。かなり急勾配の石段を上ったところにあるので、ぼくのようなおじさんは息が上がってしまう(ここをランニングや練習に使っている方も何人かいらした)。

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粟島神社に上る途中、すごいものをみつけたが、今日は長くなるので、この辺で終わりにしたい(後日、必ず書きます)。もうすぐ、いつも楽しみにしている「鎌倉殿の13人」が始まるので、ごめんちゃい。


これが誠実な文章を紡ぎたい人が書く終わり方だろうか・・・。





今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。  

よかったら粟島神社にもいらしてください。

くれぐれも粟に弾き飛ばされるのことないようお気を付けください。

では、お待ちしています ♪



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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