コンプレックスをかかえて生きる

子供の頃、好きだった番組に「お笑いオンステージ」というNHKの番組があった。日曜の夜7時半ごろ(正確には7時20分から7時59分)からやっていた番組で、その中に「減点パパ」というコーナーがあった。

三波伸介さんが司会で、お父さんの顔を子供たちに質問しながら、その特徴を伸介さんが描いていく。そして、だんだん顔が完成し、最後はゲストのパパを呼ぶ。すると、似顔絵そっくりのお父さん(ゲスト)が登場するという仕組みだった。

ぼくはこどもながら、ゲストは誰だろうといつも想像するのが楽しみだった。伸介さんの絵はすごく上手で、質問しながらだんだんと顔が出来上がっていくのだけど、途中でゲストを当てることができたら、その日はとても充実した気分で床に就くことができた(なんて単純だったのだろう)。



noteでは実名や顔写真をさらしていない方も多いので、文章だけでいろいろ容姿を想像することができるのも楽しみの一つだろう。ぼくは文章さえ美しければ、顔や名前なんてどうでもいいやと思っているのであまり気にならないが、一方でぼくの姿はどのように思われているだろうと考えたりもする。

これまでいろいろな記事の中で、ぼくのことを少しずつ書いてきたので、読んでくれているみなさん(何人いるかはわからないけれど)はぼくの姿について大体想像できているだろう。

そこで今回は、いくつかの記事からみなさんが想像した姿を、ぼくが三波伸介さんのように絵にしてみたいと思う。ぼくも鏡を見ずに、記事の特徴だけで描いてみた(下のほうにその絵があります)。

さて、ぼくは幼少期におじいちゃんの何気ないひとことによって、容姿について少なからずコンプレックスをもっている。コンプレックスはどんなひとも持っているようで、noteでもいたるところにそんな記事を見かける。



出雲神話の中ではじめにコンプレックスを抱いた神様は大国主命とスクナヒコだろう。

大国主命は兄神の嫌がらせに遭い、全身やけどを負っている。ひょっとして顔面も焼いた岩をぶつけられたときに変形していたかもしれない。スサノオからは葦原醜男(あしわらのしこお)と呼ばれていた。

スクナヒコは名前の通り、小男であった。昔、こびとプロレスというのがあったが(今もあるのかな?)、あれくらいの大きさで成長が止まってしまったのだろう。スクナヒコは手に載るほどのサイズだと馬鹿にされていた。古代において、体力は絶対であり、体力のない小男なんて差別の対象だったのだろう(今そんなこといったら叱られるだろう)。

ひょっとして、大国主命とスクナヒコはコンプレックスがあるがゆえに、お互い強く結びつき合ったのかもしれない。二人はそのコンプレックスをプラスのエネルギーに変えて、国造りをしたのだと思うと、なんだか嬉しくなる。

大国主命とスクナヒコは万九千神社に祀られている。




今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。 
 
よかったら、万九千神社にもいらしてください。

あなたのコンプレックスも解消されるかもしれませんよ ♪

お待ちしています。



さて、ぼくの(文章から想像した)自画像である。これがブサイクドン引きコミュ障でキモ男の正体だ!!



あくまで文章から想像した自画像なので、こんな人を出雲で見かけても声をかけないでください。ぼくは大人になっても、三波伸介さんにはなれなかったな・・・。


ヘッダーの画像はtachimori_genさんの画像をお借りしています。ありがとうございました。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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