禍福は糾える縄の如し

再就職のこと、友達の病気のこと、想いや願いの事を書こうと思っていたんですが、書いている最中にその友人が亡くなったと連絡があり、一度全部消して書き直してます。
でもショックで全然書けないです。
多分まとまらないです。

希望退職に応募し、3月31日をもって退職しました。4月1日から無職です。休職は1年4ヶ月、昨年の5月頃から仕事を探しはじめやっと結実しました。
本当であれば心の底から喜びたいところですが最終面接の30分前、大学時代の友達から珍しく連絡があり、大学時代に一緒にいた友達の具合がよくない。とのことでした。
正直面接を受けれるような気持ちではなかったですが、そこはなんとか乗り切りました。

電話の内容は、病気の友達の奥さんから連絡があり、危篤ではないが意識がないような状況。頭部にがん細胞があり厳しい。
彼から今年もらった年賀状では、「左目失明しちゃったよ」と書いてありました。
突然の事だったので事故にあったのか?と、気の毒に思っていましたが、まさかそんなことになっているとは思っていませんでした。
とにかく、まず会いに行ってくるよ。と。自分はその時、上にも書いたように面接直前だったので、友達に託して面接に臨みました。

面接が終わってからモヤモヤしっぱなしでした。なので連絡をくれた友達に「俺も行く」と連絡し、2日後に病気の友人が入所している施設へと向かいました。
その間、何度も何度も心の中で祈りました。「あいつの病気は絶対良くなる、絶対回復する」と。
間違いなく今の状況になるまで辛い治療に耐え、死の恐怖と戦いながら生きてきたんだと思います。もう病状が悪く、施しようがない。そんな友達にやってあげられる事は祈ることだけでした。
施設へ行って、彼に会いました。頭部なのでどれほどの状況なのか見てわかります。
彼はもう話すことができませんでした。でも声は出なくても唇と、見える目と動かせる手で何かを伝えようとしていることがわかります。
だから自分がこの2日間でずーっと祈っていること、諦めないことを伝えました。
奥さんと前の日から来ていた友達が「その想いのおかげなのか今日は意識がはっきりしている」と言っていました。
その時に彼が災害の時に何もしてやれなかったことを悔やんでいる。という事を彼の奥さんから聞きました。
大学を出て、お互い離れた場所に住んでいたから年賀状でのやりとりぐらいしかなかったのに、そんな心配をしてくれて。家族や友達を大事にしていた本当に彼らしい。
そんな事気にしなくていいんだ。まずは治せよ!そう伝え、施設を後にしました。
連絡をくれた友達からその時に聞いた話なんですが、自分の結婚式(約9年前)に来てもらったとき、既に病気は彼の体を蝕んでいたそうです。
そして医者から10年生きられれば。と言われていたことも。
多分、めでたい席だから自分にそれを伝えるのをやめたのでしょう。
それだったら何故後になってからでも教えてくれなかったのか。
色々な感情が駆け巡ります。
もっと会っておくべきだったとか、じゃあ死期が分かっていたから会っておかないと。っていうのはおかしいんじゃないか。とかそれこそいつ死ぬかわからないんだから、毎日全員には会えない。とか。

働きすぎなぐらい働き者で、誰からも愛されて、家族や友達を大事にしていた彼のご冥福をお祈りします。


彼へのメッセージ
イッチー、今まで本当に頑張ったな。病気を抱えながらも家族のためにハードな仕事をこなしていたイッチーは俺なんか遠く及ばない尊敬する人間だ。
災害のときに力になれなかったなんて思わないでくれ。俺の方が何かしてやれることはなかったのかって思ってる。
世界中の人が知らなくても、イッチーが携わった部品を使った車に多くの人が乗っている。それだけでもイッチーに関わった人達の誇りだ。
口癖の「ごめん」は言うなよ。でも本当はちゃんと治って「心配かけてごめん」を聞くはずだったんだけどな。
闘病生活大変だったな。本当にお疲れ様。
遅かれ早かれ俺達もそっちに行く。その時まで万吉と待っててくれ。みんな夜学で大学時代にみんなで遊べなかった分、天国で大学生活を振り返ろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?