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決断

こんにちは。12月も中旬です。
働きだしてから時間の感覚が短く、もう年末か。という感じです。
ここのところ仕事も忙しく、1ヶ月半ほど毎週土日にも隙間なく予定が入っていたため疲れが出てしまったのか、今日は頭痛が酷く会社は休ませてもらいました。
その前(10月頃)に私達家族は〝伊豆山に帰らない〟という大きな決断をしました。今日はそのことについて書いていこうと思います。

・当初の考え

被災当初、伊豆山に帰ることを考えていませんでした。
主な理由は2つ
・被災状況からして相当な時間、労力がかかる
・子ども達の為に生活の基盤を早く持ちたい
しかし、息子が伊豆山に戻りたい。と言った事がきっかけとなって俺は伊豆山に戻ること目標に避難生活を送ることになります。
「子供が言っただけでしょ」と思われる人もいると思うんですが、俺はこの事が本当に嬉しかった。何故かと言うと、俺は熱海の他の地区で生まれ育ちましたが今でもその地区(正確には町内)が好きで大事に思っている。
それが息子にもあるんだ。と知ったときにやっぱり俺の息子だ。と改めて思うことになったからです。

・実際に動き出すことに

今もそうですが、復旧復興が遅々として進まない。行政もなかなか煮えきらない状況でした。
決めたのはいいけど個人では限界があるし、当時は災害、仕事からくるストレスで心身ともにボロボロの状態でまずはそちらの治療から。という状況でした。
そんな中で中島さんに声をかけて頂き、警戒区域未来の会を発足、活動していくことになります。このとき妻に「伊豆山に戻るってことでいいんだよね?」と確認し、妻は一応そのつもり。みたいな反応でしたが意見は一致しました。
ここから一人でも多く、少しでも早く伊豆山に戻るために活動していくことになりますが、約1年後状況に変化が起きることとなります。

・親族からの提案

正確ではないけれど確か今年の4月頃、ある親族が所有している土地があるからそこで再建するのはどうか?という提案がありました。
熱海の中心地から少し離れた場所で利便性の高い場所で、妻と娘はそちらに傾きます。俺は正直「なんで俺がこうやって活動しているのに」とそこで再建するのには反対の立場でした。息子も同様です。
その親族も良かれと思って提案してくれたこと。でもショックでした。1年間伊豆山に戻ることを目標にやってきた気持ちは?善意で言ってくれている分、外に吐き出せなくて辛い思いをしました。

・頑なだった心を溶かした言葉

それでも伊豆山に戻るつもりでいました。しかし気持ちが揺らいでいたのは事実です。
利便性のこともそうですが、伊豆山の河川、道路の工事、特にJRの高架下の工事はかなりの難工事になることが分かっていて、帰還がずれ込むのではないか?という心配があったからです。
それでも戻る気持ち7割、別で再建1割、曖昧な気持ち2割。という感じでした。
それがあることがきっかけで別の場所で再建へ大きく振れることになります。それは娘の言葉です。
娘が「小学校の友達と離れたくない」と言ったことで俺の気持ちは大きく変わりました。
娘は保育園の卒園式で友達や先生との別れを悲しんで大泣きをしました。それをまた数年で体験させたくはなかった。
提案された土地は今の学区内にある。そこに再建する事が選択肢として大きくなっていきました。

・こちらを立てればあちらが立たず

一方で心配事がありました。息子のことです。
初めの方で書いた息子の一言で当初は伊豆山に戻ることを決めました。
しかし息子の希望を叶えれば娘の希望は叶わない。という状況になってしまったんです。
俺は息子がなぜ戻りたいか薄々感付いていました。
「伊豆山の方が知っているから」とイマイチよく分からない理由を話していた息子。
「別に怒ったりしないし、何故戻りたいのか大体予想がついているから本当のこと話して」
というと遊べる場所があるから。という事でした。今の小学校では放課後は校庭で遊べず、再建する場所でも狭くて遊べません。
一方で伊豆山は小学校の校庭で遊べるし、家の前でも遊べます。
子供にとっては遊ぶ場所がある。というのは重要な事だと思います。でも息子にはこう話しました。
「伊豆山に戻るとして、家が建つのは多分中学生になるかどうか。っていう位になると思う。もうそれぐらいになるとあんまり外で遊ばなくなると思うよ」
俺は説得はしたくなかったし、息子の気持ちは大事にしてあげたいと思った。敢えて二人でドライブに行って話をしたりした。
息子の気持ちを思えば伊豆山に戻るはずだったのに娘の一言で変わったのは納得行かないと思う。でもどちらかに決めなければならない。息子を説き伏せるのではなく、気持ちを受け止めてあげることが大事だと思う。
生憎、妻は説き伏せてしまうタイプなので、俺が受け止めてあげなきゃなぁと思っています。

・時間

私達大人と比べると子どもにとって少しの距離でも遠く感じるし、生きてきた時間が短い分時間が濃密なのではないかと思います。
娘にとっては被災してからの2年は人生の1/3にもなります。一方で自分は1/20程度です。
その差が今回の決断に至ったと思います。
伊豆山に戻ることはなくなりましたが、これからも伊豆山の未来のために関わっていきたいと思っています。

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