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新型コロナをめぐる専門家と政治:最近のいくつかの論説と「作動学」

はじめに

新型コロナウイルス感染症対策で4月7日に緊急事態宣言が発出されてからというものの、SNSなどで専門家たちへの強い非難があふれていることが大変気がかりでした。そこで4月末に意を決して、「前のめりの『専門家チーム』があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」という原稿を書き、5月2日に「論座」に寄稿しました。政権について何か書かないかという打診を受けていたのですが、あえて政権そのものではなく、専門家の役割から政権を考えるという視角で書けないかと逆提案した結果の原稿です。気分的にはかなりの程度「持ち込み」で書かせていただいたという気がしています。

また緊急事態宣言解除後に、専門家会議の議事録作成をめぐって、再び専門家への不信感が高まるのを見て、6月9日には共同通信のウェブサイトに「議事録が作成されないもどかしさ 専門家会議巡る報道、見えない政権内部の議論」を寄稿しました。他の媒体から専門家の役割についてコメントを求められた場合にはこうした視点から発言しましたし、NHKスペシャルと、BS1スペシャルに出演して、政治と科学の関係について様々な角度から発言する機会を得ました。そして、直近では『中央公論』8月号に「前のめりの専門家とたじろぐ政治」を寄稿して、これまでの議論を一通り振り返りました。

この間、専門家の方々のご意見をお聞きする機会がありました。まず5月に、旧来の知人の案内で厚生労働省を一度訪問する機会を得て、クラスター対策班、新型コロナウイルス感染症対策本部の雰囲気を知ることができました。その一環で専門家の方々と直接お会いしてお考えをお聞きすることができました。また、6月29日のBS1スペシャルに出演したときに、宮田裕章・高山義浩の両氏と準備・撮影とで4時間ほど議論したことも、専門性を再考する絶好の機会でした。感染症の広がりの中で、対面の機会はなかなか得にくいところでしたが、偶然もあり、色々な方に初めてお会いできたのは、大変ありがたいことと思っています。

一連の分析は、私にとり、このnoteで少し前に論じてきた「作動学」の成果だったと考えています。

専門家の提言と「後手後手」に回る政治というプロセスでは、政治学からみると政権・与野党・官僚の動きに目を奪われがちですが、いずれも可視化されない局面が多く、そこから全体像を眺望するのはほぼ無理と判断しました。そこで、もっとも露出度の高い専門家の動きにまずは焦点を当てるべきではないかと考えたのです。

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専門家の会議体がどう『作動』しているか


そこで問題となるのは「専門家の会議体がどう『作動』しているか」という問いです。通常政治学が目にしてきた「諮問機関」とは明らかに異なる作動でした。しかも専門家たちは様々な会議に所属しており、一つ一つの会議の性格と経緯を把握して、何がどのような権限にもとづき、全体としてどのように作動しているのかを考える必要があります。

すると、特徴的なことに気づきました。それは、緊急事態宣言の発出について諮問を受ける基本的対処方針等諮問委員会の親会議である新型インフルエンザ等対策有識者会議が、まったく開催されていないことでした。この会議にあまり手をつけず、構成員だけ新しく付け加えています。専門家会議のメンバーを新型コロナウイルス対策専門家会議の委員とし、さらにそのまま諮問委員会のメンバーとするというアクロバティックな手法がとられています。この場当たり的な対応が、政権の分裂状態と無責任性のありかを表すものとなっているというのが私の見立てでした。

当然のごとく、作動をより円滑にするには、この有識者会議を立て直し、再作動させることではないかと考え、様々な場でそう発言しています。この会議は元来、医療・公衆衛生に関する分科会と社会機能に関する分科会を抱える態勢でした。制度の趣旨からすれば、感染症対策の専門家たちが前者の分科会メンバーとなり、経済政策などその他の専門家は後者に入るという姿になります。もちろん、さらに別の形の分科会を設置するという方式もあるとみていました。結果として、新型コロナウイルス感染症対策分科会が新たに設置され、ここに感染症対策の専門家と経済の専門家、経済界・労働組合・マスメディア出身の委員などが任命されるという形になりました。おおむね、私の当初の予想通りの展開ですが、次なる課題は、この新しい分科会が、他の分科会を含めてどう「作動」するかです。また、相変わらず母体であるはずの有識者会議本体は、いまでに開催されていないという問題も残っています。


諸々の専門分野の中、感染症対策が優位であること

もう一つ、一連の過程で重要なのは、もろもろの専門分野の中で感染症対策がもっとも重要であり続けていることです。

感染症対策が他の政策よりも優先されるべき局面こそが緊急事態宣言の発出であり、それが解除された現在も、やはり感染症対策に細心の注意を払わなければなりません。このような感染症対策の専門家が「優位」する状況下で、これに対抗する言説が、次々と異分野の「専門家」から出されていきます。「日本モデル」やK値が典型です。これらが一定の仮説として提示される議論されることは、健全な市民的公共性の表れですが、ときにこうした専門家が政策に直接影響を与える場面で発言するといった事態も生じており、そうした行為については、ある種の責任を当の専門家が担っていることをどう考えるかという問題がまず浮上します。『中央公論』にはこう書いています。

政治の側は、事態が見通せないからこそ、自らに都合のよい「専門家」の登場を待っている。国だけではない。全国の都道府県・市町村でも、営業再開や感染症対策について、独自の見解を求められている。それぞれが、様々な専門家を待ち構えているのである。門外漢のそれらしい意見こそ、国であれ地方であれ、市民をとりあえず説得させる媚薬である。

すでに感染症と経済との間のバランスをどうとるかという問題を政治は抱えていますが、教育、市民生活全般の規制など、数多くの専門分野の調整こそが、政治の課題です。安易な結論に飛び付かず、どう調整を進めていくか。それは伝統的には、政治学の一分野としての行政学の課題でした。政策分野の横断的調整という行政学の視角を、ここではさらに発展的に応用する必要があります。

なお行政学のもう一つの研究の柱である地方制度については、今回の新型コロナの蔓延を経て、地方ごとの感染状況に応じた対応が必要になっています。いわば地域の専門家としての、首長と地方自治体職員の役割は今後益々重要となるでしょう。

首長のリーダーシップにメディアの注目が集まりがちですが、都道府県と市町村の関係、国との協議の手続、さらには都道府県・市町村の職員の政策能力が求められます。その一端は「新型コロナ時代の都道府県・市町村」を『月刊ガバナンス』7月号に寄稿しました。

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時間・タイミングという要素

政治的決断は局面から局面へと移行するにつれてより難しくなってきています。感染が拡大した3月から5月までは「政治か科学か」という問いは、感染症専門家と政権との緊張関係でした。しかし、緊急事態宣言の解除後は、感染症・公衆衛生専門家と経済との関係の調整が新たに政治課題になっていきます。さらに多くの分野が参入する現在では、政治の調整は一層複雑化しています。政治的決断の前に、行政すなわち官僚制による前さばきとしての事前調整も必要となるでしょう。

ここでは、時間・タイミングという要素がきわめて重要となっています。感染状況の変化は急激であり、状況に応じた的確な判断が政治には常時問われます。そうしたタイミングをとることに、もっとも適合的であったのが、今回「廃止」された専門家会議という柔軟な組織でした。法律上の根拠を持たず、医療・感染症対策の専門家たちが同志的に結束していました。事態を憂慮したがゆえに、ぎりぎりの判断を繰り返し、人々に行動変容を促したのです。その反面呼びかけた内容について、おそらくはミッション以上の責任を抱え込む局面も見られました。

これに対して、今なお政治の側は後手後手に回ったままです。それでよいのか?という問題を考える際に、作動学がもう一度有効なのです。たとえば次のような問いが重要です。

  *何が作動しているのか?その作動は良好か?
  *現在進行している制度の作動の問題は何か?
  *とりわけ政治制度の側の作動はどうか?

この感染症については、政治は、専門家の判断を尊重し、これを後追いせざるを得ません。どう感染が拡大するかを政治が独自に判断することは不可能だからです。この「後追い」が、後手後手となるか、タイミングのよいフォローとなるかという二つの「作動」のパターンがあるのです。もちろん前者が失敗パターン、後者が状況を切り抜けるパターンです。

フォロワーシップとリーダーシップの小気味よい転換

結論から言えば、政治には専門的判断についてはフォロワーシップが求められ、政治的決断を国民にわかりやすく示すにはリーダーシップが求められるということになるでしょう。このフォロワーシップとリーダーシップとの小気味よい転換が極めて難しいのです。それを可能とするには、政治の側で、首相・大臣・その側近チームが一丸となって、科学リテラシーとリスク・コミュニケーションの双方について繊細に理解することが求められます。本質的に感染症対策に限らず専門性一般へのフォロワーシップが皆無の現政権が、新型コロナに対応できない理由はここにあるのです。大幅にスタッフを入れ替えない限り、現政権はフォロワーシップとリーダーシップのギアチェンジがうまくいかず、後手後手に回らざるを得ないでしょう。

このように作動学から見ると、現在、日本のみならず各国の制度の「作動実験」が続いています。これらを注視し、分析することが今後の大きな研究課題となると考えています。

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 なお、『中央公論」の論説「前のめりの専門家とたじろぐ政治」は、Yahoo!でダイジェストが掲載される予定です。

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