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パニ丸って何?②

↓前回からのシリーズです。

第2章 お笑い飽きました

お笑いに熱中しただけで部活も勉強も全くもって放棄し続けエキセントリックダメ人間と化した中学時代。

中高一貫校だったので高校にはエスカレーター式で上がって明らかに学力以上のところに進学しました。

中学時代は友達もさしておらず、1人で悶々とエネルギーを溜め続けた不遇の時でしたがその甲斐あって高校生活は大爆発をします。
お笑いを見続けた結果、元来口下手で空気が読めないタイプだったのが私生活もお笑いだと思いながら生活するようになり、常時躁状態の化け物になりました。


友達は爆発的に増えて、悪いことを教えてくれる先輩にも気に入られ、彼女もゲットして、人生の黄金時代が到来。
勉学以外の全てをあの時手に入れました。
夏休みなんかは40日あったら35日は遊んでいるような感じで、中学の時叶えられなかった全ての欲求を満たしていくかのように遊び狂っていたのです。

中学時代お笑いを見続けてきてよかった!お笑いへの感謝をより深めた一方で
高校入学したその年にM-1グランプリはいったん終了してしまいます。

中学時代より忙しくなったのもあり、テレビもラジオもチェックしなくなり、熱中したM-1も無くなってだんだんとお笑いに対する熱は冷めていきました。



反対にその頃くらいからバンドミュージックを聴いてモテたい欲の方が強くなっていき、音楽へと傾倒していきます。

高校2年になる頃には持ち前のエキセントリックが過ぎて全くモテなくなっていましたが、セルフで男子校だと思い続けていたので無問題。
ただのモテないバンド好き躁人間へと進化します。

ただ自称進学校ではあったので、高校2年ともなると洗脳の如く進路について口うるさく言われていました。
僕は人に言われれば言われるほど興味を失っていく特性があるので進学校であるが故に大学受験の勉強を一切放棄しようという気持ちになってしまいました。
教育者たちには伝えたい。子供達一人一人に個性があります。

しかし環境とは恐ろしいもので高校3年にもなると内心大学どうしよう…と焦りつつ、ほぼ痩せ我慢で勉強することから逃げていました。

ただ心の奥底では卒業と同時にNSCに行きたい…その気持ちは消えておらず、揺れる心。

その時、そうだ、間を取ってノー勉で行ける東京の大学に行こう!となって英語が苦手な僕は2教科で入れるかつ、既にA判定が出ていてさらに仲の良かった先輩が進学していた帝京大学に入ろうと決意します。

帝京なら勉強終わりだわ〜そんな楽な気持ちになって完全に油断しきっていました。
そんな時に事件は起こります。

サッカー観戦が大好きな僕は、その時熱心に日本代表とイタリア代表を応援していて、W杯の前哨戦コンフェデネーションズカップという国際大会で日本とイタリアがぶつかるアツい試合が開催されることを知ります。
しかし、開催国がブラジルであることから時差はおよそ18時間。試合の時間は日本時間で朝8時からだったのです。
まあ、学校休めばいいかくらいに考えていた僕に更なる悲報。
何と学校の定期テストの初日とモロ被りだったのです。
や、休めねえ…
いや、しかしどうしても試合が見たい。
そこで僕が取った手段は朝テストに行くフリをして親を欺き、近くの先輩の家に直行するというアクロバティックなものでした。
そして、無事試合観戦。試合はとてもエキサイティングで我ら日本代表がイタリア相手に3-4で肉薄するという内容で大満足でした。
見て良かった〜

が、しかしこのことが引き金となり何とまさか3年生の12月に留年が決定してしまいます。

高校3年間成績が悪いながらなんとか留年だけは避け続けていたものの、ここで遂に捕まってしまいました。
大学への夢は、そもそも受験さえすることが叶わず潰えることになってしまいました。

もうちょい早く言ってくれれば高卒認定取って大学受験は出来たのに!!


留年が決まったその日からとりあえず学校には行かず途方に暮れてしまいます。
実は3年に入ってから仲のいい先輩達がいなくなったこともあるし、同級生たちが大学受験に躍起になっているのを冷ややかな目で見ていたので、何となく学校内に居場所が無い感じがしていました。
受験生にとっての勝負の夏も車を手に入れた先輩と大学生の先取りをしていただけで勉強など1ミリもしていませんでした。
受験の神様に死角からバックドロップを入れられてしまったのです。


さてぼんやりと将来について考えていると、朧げながらやはり中学の時の夢、お笑い芸人になるというのが浮かんできます。
ちょうどその頃親父が単身赴任で大阪に住んでおり、そこに転がり込んでNSCに行こうか…
しかし、中卒でお笑い芸人になる度胸はとてもじゃないけどありませんでした。
しかも、M-1が終わってからというものお笑いへの興味を失っていたのもありますし…

しかしこのまま石川にいると気が狂ってしまう…
そう思った僕は、単身東京に乗り込み帝京大学へと通う先輩の家に転がりこみます。

なんとここへ来て高校を辞めて東京生活を始めることになったのでした。

続く

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