見出し画像

【小説】おしりのぽんぽん第三話

第一話・あらすじはこちら:【小説】おしりのぽんぽん第一話|出雲黄昏 (note.com)

三、動物編

 なんとなく、そんな気がしていた。
 再び転生し、現代日本に戻っていた。ここはビルの屋上。ごみごみした都心部。
 俺の前には猫がいた。猫は臨戦態勢を整えたような姿勢で、俺を敵視しているようだった。目が合っても逃げる気配はない。俺がちょっかいをかけようものなら、跳びかかってきて猫パンチのひとつでもくらわしてやろうか。と言わんばかりの面持ちだ。
 あの猫には目があり視力がある。鼻があり嗅覚もある。耳があるし、口もある。温もりのある毛並みに包まれた肌だってある。そして、ぶわりと尻尾の毛並みを逆立てると、付け根におしりのぽんぽんが垣間見える。猫にもある。人にもある。動物の多くが有している。おしりのぽんぽん。
 幸い、俺にもおしりのぽんぽんがあるようだった。
 ――おい、お前何者だ!
 ふと発せられた威圧的なその言葉に、びくっと身体がのけ反る。……いや、まあ、それはいい。一瞬驚いてしまったが、そこじゃない。
 俺が驚いたのは、自分が猫の言語までも理解し得るに至った。ということ。
「おい、聞いてんのかボケ」
 ずいぶんと口の悪い猫さんだが、なんとも愛らしいつぶらな瞳で睨みつける、も、恐さの欠片もない。
「聞いてるよ。それで何用だ」
 返答してみるが独自の言語だ。俺と猫とで意思疎通はできるのか。
「は? 喧嘩売ってんなよカス。しばくぞ」
 猫は自慢の拳をぶんぶん、とシャドーボクシングして見せる。
 相変わらず威圧しているようだが、反して俺は意思疎通できたことに感心してしまう。
「ああ、俺の言葉わかるんだ」
「にぁ、なーにとぼけてんだよ。てめえも主様ぬしさまのエサ目当てでここに来てんだろ。ぶっころすぞ」
「主様?」
 ここは、メディカルビルの屋上、様々な診療科が集合した医療施設らしい。ガラス張りで近代風のビル型の病院といったところ。
 猫いわく、主様というのはこの屋上へこっそりエサを持ってきてくれたり、遊んでくれる人間のことらしい。
「主様はそろそろ来る。いつもこのくらいの時間に来るんだ。だから、お前は帰れ、き・え・う・せ・ろ」
「別に俺はエサなんていらないよ」
「嘘だ! 前にお前の仲間に横取りされたことがある」
「俺は猫のエサなんて食わない。人間の食い物のほうが美味い」
「けっ、雑魚のくせに」
 猫はそう吐き捨て、ピンとしっぽを立てたまま、俺から距離をとって屋上の隅っこ、くの字の窪みに身体をまあるく折りたたんで収まった。
 俺は傍観する。猫も俺の様子が気になるようで、自分の身体をぺろぺろするのに忙しそうにしているも、視界から俺を外さず警戒しているようだった。
 猫にいちゃもんをつけられる、なんとも平和的で、ほのぼのとした日和。春の日差しも心地よい。そんな昼下がりである。古代の戦場で屈強な戦士をやっていたことなど、忘れてしまいそうだ。
 屋上の扉が開くと、主様とやらが登場した。
 猫はしっぽをピンと立てつつも、あくびをして、のびをして、主様に向かってのっそりと歩みだす。さながら「あー、めんどくさ」とでも聞こえてきそうだが、無論、猫の心情はうきうきなのだろう。わかりやすくて、笑えてくる。
 主様とやらは白衣を纏った小太りのハゲたおっさん。真正面から見ると、たしかに髪の毛があるように見えるのだが、少しでも角度をずらして見れば、きれいなバーコードがお目見えする。右から見れば無表情、左から見れば微笑んで見えるかのような技法を織り交ぜた頭部は、レオナルド・ダ・ヴィンチもあんぐりと口を開けてしまうほど、芸術点高めのヘアースタイルである。
 そんなどこにでもいそうな量産型おっさんは、無言のまま、持ってきた紙皿にキャットフードを出して、猫に向かって差し出す。
 いっぽうの猫は、エサを与えられたというのに、皿から絶妙な距離を保って関心なさげに遠くを見つめている。さっきまでエサがどうのこうの俺に言っていたくせに。
 おっさんも馴れているのか、ほらエサだよー。なんてことも言わず、無言。無表情で皿の前に腕組みして猫が来るのを待つばかり。
 両者、一言も発しないまま、ビルの屋上に、ただただ雲の影が流れていく。
 ………………。
 じれったい。俺は何を見せつけられているのだろうか。
 いっそ猫が危惧していた通り、そのエサをかっさらってやろうか。などと考えていると、おっさんが動き出す。
 しかし、おっさんが向かった先は猫のもとではなく、屋上の柵。そこに腕をかけ、街並みを眺め始めてしまった。
 ふう、と小さな吐息を漏らすおっさんの哀愁に、思考までも透けて見えるようで、
『はあ、今日も大好きな猫ちゃんに相手にされないのかぁ。ぼくがおっさんだからかなぁ。夜のお店のお姉ちゃんには好かれるのにな。猫の愛情はお金で買えないのかなー。はぁ仕方ない、ちょっと距離をとって猫ちゃんの警戒心を解いてやろう。……しかし今日も街並みは変わらない。変わったのは僕のほうだ。家族だって云々。職場の若い子にも云々。ぼくの存在価値はどこにあるの云々。いっそここから飛び降りて、なんて、思うほど病んでもいないし。僕はまだ幸せなほうなのかな。あー、猫になりたい』
 じゃねえんだわ! おっさんよ、背中で語ってくんな。素直になれよ。
 一貫してエサに興味なさそうにしていた猫も、おっさんが自分へ興味を示さないので、ちらちらとおっさんを気にしつつ、ようやくエサの入った皿のもとへ歩を進める。
 しかし、おっさんは猫が初めからいなかったかのように茫然と景色を眺めるばかり。
 それをさみしく思ったのか、猫はエサに手を付けることなくおっさんの哀愁ある背を見つめていた。
 いや、なんだ? なんだよこの光景!
 ツンデレ×ツンデレの、交わることのない、しかも猫×おっさんの新感覚ラブロマンスなのか。なんなんだ。いったい。そんな物語に需要はない! 否、嘘だ。少なくとも俺はこの両者の行く末が気になって、気になりすぎて、この場にくぎ付けなんだ。
 しばし、硬直状態。
 ……そして動きがあった。先手をとったのは猫。
 先手、猫。一口、エサを食う。
 後手、おっさん。微動だにせず、背をむけたまま。
 先手、猫。おっさんを見て確認するも、またエサを食う。
 後手、おっさん。微動だにせず、背をむけたまま。
 先手、猫。餌を食べ終える。
 後手、おっさん。負けましたと投了。いや、何かに感づいたのか振り向いた。そしてようやく猫に歩み寄る。
 俺の中では「ついに!」というボーイミーツガール的なわくわく感が鼓動を早める。
 そんな俺の期待「おっさんが猫にミーツして熱い抱擁を交わす」……こともなく、猫から三メートル手前で立ち止まった。
 なんでだよ、などと心のなかでつっこむ。
 おっさんはポケットからレーザーポインタを取り出すと、おもむろに地面を照らす。晴れた屋外でやるには不向きなおもちゃ。そいつから照射された先の赤い印は、太陽の光に負けた薄い赤で、なんとも弱弱しい。
 猫は興味なさげに丸まってしまった。が、そのぐでんとまるまった重たそうな身体とは裏腹に、器用に首から上だけを機敏に動かし、目を見開いて、赤い印を右、左、右、左。と、本能のままに操られてしまっているようだった。
 そして猫は耐え切れず、動く赤い印に飛びつく。しかし残念。赤い印は違うところに移動してしまっている。悔しそうにもう一度飛びついても、赤い印はまた別の場所に移動してしまった。
 おっさん、見事なまでの無表情で猫をもてあそぶ。表情筋が死んでいるまである。
 猫のほうは理性を失ってしまったのか、一心不乱に躍動していた。
 おっさんが腕時計で時間を確認すると、レーザーポインタをポケットにしまい、屋内に帰って行ってしまった。切なそうな表情でおっさんを見送る猫がまた、ラブロマンス的な別れを演出していた。
 終始、猫とおっさんは何も喋ることなく、直接触れ合うこともなかった。お互いの絶妙な距離感を保った、表面上はビジネスライクな関係だ。お互いに深入りはしない、そんな関係性にも見えるが、お互いに見返りを求めない愛のようなものも感じてしまっていた。
 猫は、エサをくれるから。と、言っていた。しかしいざ主様と対峙すると、エサに興味なさそうな素振りを見せ、本当に自分が求めているのは食欲を満たすことではなく、違うところにあるのだ。そう主張したがっているようでもあった。
 おっさんは、エサを与えてやっていると威張ることなく、主従関係を築こうという意思もなさそうだった。ただ、猫と遊びたい。猫を、自分なりの愛情表現で愛でているようにも感じた。猫も不器用だが、おっさんはそれ以上に不器用だった。
 本当は、肌と肌とを触れ合わせてじゃれあったり、声を掛け合ったりしたいのだろう。俺のような第三者が干渉することで、またそれを補うことができるのなら、そうしたいと感情移入してしまう部分もあるが、今の俺には無理だろう。それがなんとももどかしくもある。
 両者は表面上の行動だけでは測りえない、絆がある。それはきっと、おしりのぽんぽんから来る信仰のおかげ。愛の構成要素のひとつとして、信用、信頼する。ということをも超えた、信仰が必要なのだろう。
 おしりのぽんぽんから発せられる、目に見えない電波のようなもので繋がっていて、それが両者をきっと強く結んでいる。俺がポンナシだったころには理解できなかった感覚だが、信仰器官であるおしりのぽんぽんは動物の心に干渉する代物でもあるのだろう。
 俺は高校生だったころ、好きな子がいた。でも、自分がポンナシだから。その理由だけで踏み出すことができなかった。ゼウス老人は言っていた。ポンナシは「醜い」のだと。果たして本当にそうなのだろうか。今でも疑問だ。
 猫やおっさんを見れば、そこにおしりのぽんぽんの有無。あるいは健常者であるか否か。そんなものは関係ないのではないかとも思う。そこに醜いとか、美しいとかいう価値基準で計測してしまうことは、ナンセンスではないのかと。しかしゼウス老人は接し方で世界は変わるのだと説いていた。それについては同意する。
 生物の垣根すらこえて、信用は築けるのではないだろうか。
 美しいことばかりが賞賛され、醜い容姿や行動などを疎むことに、何の意味があるのか。自分の心に潜む嫌悪の感情を引っ張り出すに過ぎない。それで他者をジャッジしたところで、神になんてなれない。
 二回も転生し、今までの自分がいかに異常であったか。そんなことも思うようになっていた。
 まず、過度な嫌悪が殺意に変わり、ボスを殺した。次に狂戦士になれば殺しが正義とされ、人を殺せば殺すほど英雄に近づいた。殺人ひとつとっても、時代によってその善悪は異なる。人の倫理観とは不思議なもので、猫とおっさんの関係を、禁忌的だ。などと言う輩は現代にはいないだろう。しかし、もしも人間と猫が関わること自体に倫理的問題が生じた場合、途端に猫とおっさんは、倫理に反した、例えば男女の不倫関係のような陳腐なものに成り下がってしまうのだろうか。
 価値観とは、個々が有しているように見えて、実は時代によって定められた、単なる手錠なのかもしれない。
 高校生時代、おしりのぽんぽんがなかった俺は、生まれながらにして手錠をかけられた罪人だった……の、だろう。
「おいお前、いつまでそこで突っ立ているんだ。私は散歩に行くぞ」
 猫が俺に話しかけてきた。
「別に好きにしろよ」
「さてはお前、また主様がエサを持ってくると思って、ずっと待っている気だな? アホめ」
 などと、さっさと散歩に行けば良いのに、このツンデレ猫ときたら、不必要に俺に絡んでくる。
 適当にあしらっていると、「なあ、それって飛べるのか?」と俺に言う。
 スーパーで試食を勧めてくるおばさんに向かって、「それ食べれますか?」と、尋ねることと同義だ。ツンデレ属性にあざとさスキルまでも兼ね備えた、人間顔負けの、しかし不器用で放っておけない愛らしさを持つ猫め。
 くっ……かわいいじゃないか。
「お前、あざといのな。俺の嫌いなタイプだ」
 と、あえて突き放してみると、
「あ、いや、そういうつもりじゃ」
 と、目に見えて焦りだす猫。メンタル弱者で、自分が傷つきたくないからツンツンした態度をとっている、わかりやすーいステレオタイプ。
「俺の翼は飛ぶために付いている。飛行するための両翼だ」
 俺は自慢げに、漆黒の翼を太陽に掲げた。
 俺は現代日本に転生した。が、しかし、今回ばかりは人間ではなかった。
 鳥、それも、
 ――カラスになっていた。
「じゃあその翼で私を空に連れて行って」
 目を輝かして懇願する猫。先ほどのセリフが俺の脳内で「私を甲子園に連れて行って」という青春野球漫画的きらきらヒロインに変換され、安易なデレにも関わらず、胸を貫かれてしまい、カラスの心臓耐性を疑ってしまった。
 そして猫の性別がメスだとわかると、より可愛く見えてしまっていた。なお、それは俺がオス鳥だからかは、定かではない。
 カラスになって、特にやることもない。ので、この面白そうな猫にしばし付き合ってみることにした。俺がしたいことと言えば、水場に行って水浴びでもしたいと思うくらいであった。
 猫も別に何か目的があったわけでもないようなので、互いに暇つぶし程度に、池のある公園へ向かうこととなった。
 これが人間同士ならば、いわゆるデート。である。が、やぶさかではない。
 猫の首の裏を俺が足で掴み上げ、いざ大空へ。
 猫は澄んだ青空の中で「フー!」とはしゃいでみたり、「カアカアカア」と俺の声真似をしてみるが、俺は重たくて会話する余裕もなく、無視していると、さらにふざけて「落とすなよ、絶対に落とすなよ」と、どこで覚えてきたのか、空の散歩を楽しそうに満喫していた。
「さいっこうに楽しかったぜ。色々ひどいこと言ってごめんな」
 公園に着き、猫を地べたに降ろすとご満悦な様子であった。
「疲れたよ。とりあえず俺は水浴びしてくるわ」
 俺は公園の池にダイブする。両翼を広げ、火照った身体の熱をしずめる。ばしゃばしゃ、と水しぶきをあげて、他者を寄せ付けない。俺はカラスだが、今の自分は白鳥のように水と調和した美しい景色であるだろうと言わんばかりに。しかし、そんな俺をじっとり訝しげな表情で眺める猫が視界に入る。妄想ブレイカーキャットの瞳には白鳥に映っていないようだった。
 水の音で掻き消しながら、「はいはい、俺は汚らしいカラスですよー」と自虐しながら、澄んだ水が少なからず黒色を落としてくれているような感覚だった。
 猫からさらに視点を奥にずらせば、公園入口の受付。ここでは鳥のエサが販売されている。もちろんカラス用ではない。ハト用だ。
 水浴びをしても、火照りは解消せず、風を浴びにいまいちど空へ。公園中央に鎮座するノッポの樹木に羽をおろした。
 俯瞰して見ると、公園の広場にたむろするハトの群れ。人間の家族だろうか。お父さんとお母さん、それに子供もいた。
 お母さんがハトにエサを振りまくと、子供はそのハトに向かって突撃し、ハトが逃げる。それを見て「こらこら」なんて言っているのだろう。お父さんが優し気に子供の頭をわしゃわしゃと撫でた。すると子供は自分の指を口に咥え出して、それもまたお父さんが指を抑えつけ、しつけをしているようだった。
 俺も人間だったころ、あのように両親から色々と教えられた。「あれはダメ」「それは良いこと」「ありがとうを言いなさい」「悪いことをしたら謝らないとダメ」。そのどれもをおしりのぽんぽんや心ではなく、頭で理解した。
 エウロタスの幼少期のころの記憶を辿ると、現代日本とは違う倫理観であったが、同じようなことを教えられた。エウロタスはおしりのぽんぽんの付いた健常者だった。教えられた内容に対する理解度は、おしりのポンポンの有無に関係ないだろうということは確実だろう。
 そして今、おしりのぽんぽんの付いたカラスになった俺は、カラスとしての幼少期の記憶を蘇らせる。親鳥に教わったのは倫理観ではなく、生き方だった。
 人間のゴミ捨て場を漁れば美味いメシにありつけるし、人間が住まう場所は天敵もいなくて安全。水浴びはこの公園が最適。友の鳥と人間にどれだけ近づくことができるかというチキンレースをして遊んだ。ごく一般的なカラスだった。
 倫理観とは、人間特有の概念かもしれない。カラスや猫のように、本能に従い生きることが許されない人間こそ動物として不幸だ。そもそも俺が高校生だったとき、自殺という選択肢に至ったのは、動物的に愚行だ。あらゆる思考が本能を支配し、本能的なものを理性で抑えつけて生きる動物、それが人間。
 立ち眩みがして、木から降りた。そして退屈そうにベンチを陣取る猫のもとへ向かった。
「なあ、死にたいって思ったことあるか?」
「バカかよ。んなもんあるわけ……、いや、なぜだろう。あった気がする」
「気がするってなんだよ」
「考えたことなかったけどよ、なぜだか、死にたいと思ったことがあったような気もする」
 猫自身も、不思議そうに考えていたが、結局答えは見つからなかった。デジャブみたいなものだろう。夢で見たとか、その程度のものだろどーせ。
 翌日も、翌々日も、メディカルビルの屋上に行くと、猫が主様を待ち構えていた。相変わらずおっさんとメス猫のB級ラブロマンスを眺めてから、一緒に猫と遊びに出かけることが日課になっていた。
 しかし、この身体も歳なのか。ここ数日ずっと身体が重たいし、目まいがする。身体の火照りも日増しに強くなり、猫に恋をしているのか? なんてB級ロマンスの負けヒロインに巻き込まれる恋愛体質でもないだろう。明らかに俺は弱っているようだ。
 ある日のこと、いつものように猫を掴んで空を散歩するのも難しいだろうと、たまには歩こうと提案し、道路を並んで歩いた。
「にぁ、最近お前体調悪いんか?」
「ああ、まあ。少し」
「だったら私と一緒にいないで、巣で休めよ。バカなのか?」
「ああ、バカだよ」なんて適当にあしらおうとしたら、ちょっとしたアスファルトの隙間に足をとられ、くてんと倒れこんでしまった。
「おい大丈夫か、おい、おい……」
 と、猫が俺の身体を揺すっていた。
 猫の声は少しずつ遠のき……、
 事切れたのだろう。カラスとしての記憶はここで終わった。
 次に目を覚ましたとき、俺は、神に転生していた。

次話https://note.com/izumotasogare/n/nc503439210eb

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?