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【連載小説】オトメシ! 5.こってりラーメンライジング

【連載小説】オトメシ!

こちらの小説はエブリスタでも連載しています。

エブリスタでは2024.1.9完結。noteより更新が早いです。





 今から十七年前、俺が二二歳だったころ――――。


「明日のライブで情報解禁だよな?」
 
「そ! これでついにレンダの夢も叶うね」
 
 ありがたいことに、全国各々のライブハウスから出演オファーを受けるようになった。そしてついに大手音楽事務所とメジャーデビューの契約も済ませ、俺たちライディスはいよいよ明日のライブでその告知をする。
 
 全国展開している有名ラーメンチェーン店で俺とメイルは食事をしている。
 
 全国あらゆるところにライブへ出かけるとなるとほとんど外食だ。それでも全国どこで食べても味の差がほとんどないし、安価で安定した味のチェーン店の存在というのはありがたい。
 
 ライディスのライブを終えた日の夜、ホテルに戻って「晩飯食べに行くぞ」とバンドリーダーらしくメンバーに号令をかけるけれど、いつもの通り高瀬川は「部屋で食べる」と言うし、今在家は知らないうちに夜の街に消えてその日の晩は消息不明になる。
 
 だからいつも晩飯は俺とメイルの二人きりだ。
 
「そんなに皆とご飯行きたいならライブの打ち上げ出ればいいのに」
 
 とメイルは言うが、メイルはいわゆるバカ騒ぎする飲み会というやつが嫌いらしい。俺は嫌いじゃないが、恋人であるメイルを放っといて一人でライブの打ち上げに出るのも気が引ける。
 
 その部分はメイルも理解していて、あまり乗り気ではないであろう全国どこにでもあるチェーン店が好きな俺に譲歩して、安いメシにもついてきてくれている。
 
「あーもう! たまには高いご飯が食べたーい!」
 
 と、店内で俺に向かって叫ぶ。店員に聞かれると変な目で見られるからやめろと。
 
「おいおい、ここのラーメンも美味いだろう」
 
 このラーメン屋は鶏がらベースで、超濃厚なスープが特徴のチェーン店だ。
 
 この濃厚すぎるが故に好みの別れるラーメンだが、俺は好きだ。
 
 なぜだか急に食べたくなる中毒性の高いラーメン。
 
 鶏がらを長時間煮込んだ濃厚な質感と複雑に配合された野菜の旨味。これらが合わさる濃厚スープは底なしに深い味わいである。
 
 割りばしでボテッとした麺を重たげに持ち上げる。麺に絡まる濃厚スープ、胃や喉に助走をつけるようにフゥと息を吐き出し、勢いつけて絡まったスープもろともズズズと一気にすする。この瞬間が幸せだ。
 
 『美味い』が口いっぱいに押し寄せてくる。
 
 これは例えばある日突然俺が死刑囚になり、最後の晩餐に好きなものを食べていいから好きなものを言えと看守に訊かれるも、俺は死刑に対して不服だ、こんなんで死んでたまるかと反論する。しかし看守はだったらお前に最後の晩餐はなしだ。そう告げられ俺はいや待ってくれと言うと、看守はじゃあ今から三秒以内に答えろと言い、考える余地のない俺は咄嗟に脳裏に浮かんだこのラーメンの名を無意識に呟いてしまう。
 
 それだけ俺の脳内にこの『美味い』がこびりついて離れない。そんな一品いっぴんである。
 
 メイルはというと、すすらない。パスタじゃねえんだから。
 
 レンゲに麺を溜めてそれを箸で折りたたむように口に運んでいる。
 
 普段の豪快な物言いや態度とは正反対に、こと食事に関しては豪快さがない。むしろ綺麗に静かに食べる。いいとこのお嬢さんのように上品だが、無論そんなおしとやかな嬢さんではない。
 
 このラーメンはすすってこそライジングするスープだ。
 
「メイルお前なこのラーメンってのはだな――」
 
「はいはい、わかったって。ライジングでしょ。いいの、私はこれで」
 
 俺のグルメうんちくには愛想を尽かしているが、構わず俺は「いやだからな――」と美味い食べ方を伝授する。
 
 いつもいやいやながら俺の話しを聞いてくれるメイル。
 
 なんだかんだでいいパートナーだと思う。
 
「ねえ、前から思ってたけどさ、そのライジングするってどんな意味?」
 
「え、今さら?」
 
 そういえばメイルには話したことがなかったかもしれない。しかしバンド名にも冠しているのに、今さらかよ。
 
「ライジングするってのは、強くするとか価値を高めるとかそういう意味だ」
 
「じゃライジングディストーションってどういう意味?」
 
「あんまり意味はない。俺がライジングって単語が好きなのとディストーションって響きで決めた」
 
「ふーん、バンド名は全然ライジングしてないじゃん」
 
 それから数日後。
 
 メイルと二人で暮らす小さなアパートにて。
 
「子供できたみたい」
 
「嘘だろ!?」
 
「は! なにその反応! 嬉しくないの?」
 
「いやそんなこと……」
 
 はっきりと心の内では嬉しくない思っていた。おそらくそれが今表情にも表れていて、メイルは俺に対して人間非ざる者を見るような目を向けているのだろう。

 弁明するなら別にメイルと結婚するのが嫌とか子供が嫌いとか、そんな理由ではない。
 
 むしろメイルとこれから先に人生を共にすること自体に違和感はないし、いつかきっとこうなるんだろうなと思っていたから俺だって素直に子供ができたことを喜びたい。
 
 ただし、メジャーデビューを控えたこのタイミングでの妊娠となると、メイルのファンを多く抱えるライディスにとって致命的。メイルなしでのデビューなんて事務所側も了承するはずがないし、デビューの延期は避けられないだろう。
 
 事務所へメイルの妊娠を伝えると、デビューの延期どころの話しではなくなった。
 
 このまま子供を産むという選択をするならデビューの話しは白紙にすると。
 
 俺はメイルにことを話し、子供をおろしてほしいと伝えるが首を横に振るばかりで俺の要望を聞き入れることはない。
 
 バンドメンバーである今在家と高瀬川にも事情を伝えると、できれば子供は諦めてほしいが、子どもの命を考えると強くも言えないという複雑な心境で、俺とメイル自体を責めるようなことはなかった。
 
 そして最終的には俺とメイルの判断に任せるということだった。
 
 今在家と高瀬川も口ではそう言っていたが、本音は俺と同様にデビューしたいという想いが強いことを理解するには容易い。いっそ俺とメイルふたりを殴ってくれたほうがまだわかりやすくて良かったかもしれない。
 
 そんな彼らの想いを背負ってメイルに再度お願いするが、メイルは絶対に子供を産むと聞かない。
 
 そしてデビューの話しは破談になり、メイルは元気な女の子を産んだ。
 
 ――その子の名はソレラ。
 
 子育てはメイルに任せて俺は食いつなぐためのバイトと音楽活動を並行しながら、メイル抜きでバンド活動を続けた。
 
 減っていくファン。メジャーデビューの声がかかったとは思えないほどに急激に集客できなくなっていく俺たちのバンドは、メイルの存在の大きさに打ちのめされるように音楽に向かうモチベーションも低くなっていく。
 
 そして今在家は小学校の教師になり、高瀬川もシステムエンジニアとなって音楽活動に費やせる時間はますます減っていく。
 
 かくいう俺もメイルと産まれたソレラのためにもお金が必要だった。音楽活動の傍らバイト生活だけで二人を養っていくだけの稼ぎを作ることはできなくなっていて、ライディスは解散した。ファンが減って、もはや誰にも惜しまれることなく、とても静かにひっそりと解散した。

 悔しかった。煙草をばかすか吸ってニコチンが肺から血中を巡っても、俺の血液は体内を巡っていないのではないかと錯覚するくらいに不足感だけが残って虚しくなった。
 
 加えて解散する前、メイルだけにソロデビューの声がかかっていた。
 
 ソレラがまだ生後半年の頃だった。
 
 育児があるから断ると言ったが、俺はメイルの才能をここで潰すことのほうが嫌だった。加えて金銭的に考えてもメイルがデビューしたら生活も少しはマシになると説得した。

 そしてメイルはソロデビューを果たすと、時代を席巻するほどのアーティストへ成り上がった。
 
 そうなるまでの期間はわずか三か月。俺が今まで音楽をやっていた時間を考えれば一夜のように思えた。
 
 スターになったメイルが羨ましかった。そして俺と共にバンド活動していた頃のことを思うとメイルの才能を潰していたのは自分自身だったのかと落ち込んだ。
 
 俺はその日からマイクとギターを、哺乳瓶とオシメに持ち替えてソレラの世話をする日々が続いた。
 
 全国飛び回ってライブするメイルは家に帰ることも少なくなった。帰ってきてもソレラの寝顔を見ることくらいでメイル自身もデビューしたことでソレラの面倒を俺ばかりに見させていること。そして何より母親としての責任感から「母親失格だ」と常々口にする。
 
「いや、今の時代母親が稼いで、父親が育児しても不思議じゃないだろう」
 
「私が言いたいのはそういうことじゃない!」
 
 メイルは愛おしくソレラを抱き上げて「ごめんね、愛してる」とソレラのひたいにキスをする。母子の束の間の時間。
 
 だけど俺とメイルの間には確実に大きな溝ができ始めていた。
 
 メジャーデビューを夢見て音楽活動していた俺。ソレラに愛情を注ぎたいメイル。
 
 ああ、逆だったら良かったのに……。

 俺には才能がなかった。メイルのように人々を魅了するだけの音楽の才能がない。
 
 ある日メイルは言った。
 
「ねえ、あの日ソレラを産まずにメジャーデビューしてたらどうなってたのかな」
 
 メイルが弱弱しく発するその言葉に返答できなかった。
 
 今思えばあの言葉の違和感に気づけていれば。こんな未来にはならなかっただろう。
 
 メイルは全国ツアーの最中宿泊先のホテルで睡眠薬の過剰摂取によって救急車で運ばれた。自殺未遂とメディアが煽っていた。
 
 入院先の病院に俺はソレラを連れてメイルと面会する。
 
 メイルは「ごめん大丈夫だから」と言うけれど明らかに、昔のように活気に満ちた傲慢で強気な姿はなかった。
 
 俺はメイルのデビューを後押ししてしまったことをひどく後悔した。
 
 メイルは退院すると全国ツアーを再開し、俺のツアーは中止してしばらく休めという忠告を聞くことはなかった。
 
 それでも数カ月後、全国ツアーが終わるとしばらく休暇をもらったと、メイルは自宅でソレラに今まで注げなかった愛情を注ぐ。
 
 ソレラが産まれて二年。生後半年から二年までの約一年半、ほとんど俺ひとりでソレラの面倒を見てきた。ソレラは心底可愛かったしメイルも愛している。でも、メイルをデビューさせてしまったことで、ソレラにもメイルにも悪いことをしてしまったと罪悪感のような後悔と、なんの能力もない自分への失望。
 
 そしてメイルに対してフツフツと湧き上がった汚い嫉妬の心。それがもう爆発寸前だった。
 
 何度も何度もこの汚い感情を押し殺してはかみ砕いて飲み込んできた。しかしもう体内に蓄積しすぎたのだろう。ああ、限界だ。
 
 ソレラに罪はない。もしかしたらメイルにも罪はないのかもしれない。それでもあの時ライディスとしてメジャーデビューさえしていれば、俺はこんな惨めな想いをせずに済んだのではないか。いったい俺は何をやっているんだ。
 
 ぐちゃぐちゃになった感情が一気に押し寄せる。
 
 もはやメイルと顔を合わせれば喧嘩ばかり。
 
 俺はメイルとソレラを捨てて家から逃げた。
 
 もうこれ以上ここにいたらメイルの眩しさに俺が溶かされてしまいそう。
 
 耐えられなかった。音楽の世界で成功した妻のメイルがすぐそばにいること。そして俺がメジャーデビューできなかった元凶であるソレラの顔を見ることも。
 
 俺が夢見た未来はこんなものではなかったはずだ。
 
 こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ……。
 
 この日を境にメイルとは会っていない。
 
 そして、俺がメイルと別れてからちょうど十年後。ソレラが一三歳になる頃。メイルは無期限の活動休止を宣言した。


 
「――で俺たちライディスは終わった」
 
「え、じゃあ五十嵐部長ってバツイチでしかもメイルの元旦那? しかも子供がいるんですか!? 情報量多すぎて脳みそバーストしそう……」

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