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明るい夜

夜ほど明るい時間はない。1日が始まる朝は、楽しい時もあれば憂鬱な時もある。運よく朗らかな用事が入っていたとしても寝床から出ること自体が億劫だったりもする。それに比べると何もかも終わった夜というのは気楽でいい。つまらないことは明日に丸投げして、明るい気持ちで過ごすことができる。

一度東京の街をほとんど夜通し歩いたことがある。昼間は人がひしめく大都会も、深夜になると静まり返ってしまう。本来は人間がいるべき空間に、何もなく闇だけが広がっている光景には不思議な感覚を覚える。小洒落た雑貨屋や洗練されたレストラン、品格のある洋服屋も無人になれば空虚なものだった。

当時の私はまだ東京に不慣れだったから、迷わないように大通り沿いを歩いていた。他に道を歩く人はいない。ときどき道路をタクシーが通り抜けていく。あれにはどんな人が乗っているのか、とぼんやり考える。

多忙な著名人がこっそり街を抜け出しているのかもしれない。単に飲みすぎて終電を逃した同年代の若者かもしれない。電車が止まった時刻では、自家用車以外の交通手段はタクシーのみである。雑多な都会も真夜中はあの黒い車体が人々を平等に扱ってくれるらしい。東京のタクシーは丸々とした形をしているから、余計に愉快な感じがする。

くだらないことを考えながら進んでいると、先に交番が見える。深夜の独り歩きだから、職務質問を受けてもおかしくない。今まで聞いた知識と記憶をかき集め、応答の準備をしていく。不要なトラブルは避けねば、と思っていると警官の方々は会釈だけして私への興味をすぐ失ってしまった。

無事通り過ぎることができたのは嬉しいが、少し引っ掛かりが残った。なんで歩いているのだと聞くくらい警戒してもよさそうなものである。私がよほど人畜無害に見えたのだろうか。実際そうなのでなんとも言えないが、やはり人を見抜く目を持っているに違いない。

もう一度交番の前を通り過ぎれば、上の説にも信憑性が出たのだが、あいにく通り道には無かった。タクシーは相変わらず走っている。24時間営業の牛丼屋があったので、入ろうか迷ったが、やめた。光り輝く店内ではせっかくの夜道の雰囲気が崩れてしまう。

結局この後何時間も歩いて夜明けに差し掛かったのだが、特筆すべきことは全く無かった。すれ違う人もなくタクシーを見送るだけ。しかしこれほど自由で明るい散歩はなかなかできない。広い大都市がほぼ貸切状態で、取り止めのないことを考えながら曖昧に進むことができる。分刻みで動く昼間の慌ただしさとは比べ物にならない解放感がある。

孤立するのはよくないが、孤独を保てない生活は我慢ならない。作家か哲学者がこんなことを言っていたような気がする。誰の言葉か忘れるほどの印象だったはずなのに、頭の片隅に残っていたのは自分にも思うところがあったからだろう。

本当の意味で1人になるというのは、案外難しいことなのかもしれない。寂しければ誰かにすぐ連絡を取れるし、逆にメッセージが送られてくることもある。みんな1人になって、自分だけを見ている時間が怖いのかもしればい。

そう考えると、夜は絶好の機会を与えてくれる。みんなが寝静まっているから邪魔をされる心配はない。不安や恐怖は、夜の暗闇のせいにできれば気楽でいられる。夜ほど明るい時間はないのである。

こんなことを書いていたらちょうど夜が明けてきてしまった。朝焼けは見ないことにして、少しだけ眠ろうと思う。新しい夜に期待しながら。


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