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映画「月」

2023年 10月 映画「月」が公開されました。
予告を見るところから緊張したが、障害福祉の仕事をしている以上見ようと決意しスタッフが周りにいないことを確認し再生ボタンを押した
瞬きもしないように見入った
見終わっての感想は・・・何も思わなかったというか役者が気になった
私の年代では、宮沢りえは一世を風靡した写真集のイメージが強く、その後の結婚や離婚等・・・この映画にフィットするイメージを持つことは出来なかったからだ。

もっとシリアスな女優が・・・なんて思った。
映画に出ている二階堂ふみの方が良いのではないかとも思った。

スタッフにも予告を見てみようと話しをした。
社会福祉士のMさんは知ってたけど予告を見るのも戸惑いがあったと話をした。
もう1人のAさんは、何の躊躇いもなく見た。
Mさんは、この予告を見たら映画は無理ですと言ったがAさんはどうゆうことですか?という反応だった。
Aさんの様子を見て、私はきっと一般の人はニュースを見た感じではないかと思う。

Mさんのように福祉に携わっていると画面の障害のある人への暴行に近いものが身近なことだと思えるのだろう。

私の住む家の近くで上映されるのは2ヶ所。
2つとも1時間以上車でかかるところだった。
まだこの時点で見に行くと決めたわけではなかったが、ネットフリックスとかであるかな?と思いながら、人気作にはならないのでもしかしたら、DVDを買ってみるしかないのかも?とも思っていた

映画は好きだが映画館で見たい映画なのかと問われると・・・違うかな?と判断していた。

しかし、上映映画館の近くに行く用事があった。近くに居ながらも迷ったが行って観ようと思った。

私は相模原やまゆり園の事件に関する本を読んでいたから、文字ではなく画像ではどう表現されるのか、宮沢りえが本当に適役なのかも気になった。

チケットを買い、座席に座ると10人程度しかいない。
50代の夫婦 60代の夫婦 40代の女性3名 30代の男性2名 +私
みんな離れた席で上映開始

宮沢りえがなぜ入所の障害者施設で働くことになったのかが気になった
おそらく資格もなく、夫(オダギリジョー)が働いていないことから
資格もなく泊まりもあることから一般よりも収入があるということだろう。

ここで思う。
そう!障害者の支援施設は無資格者が多いのは確かなのだ。
高齢者施設は介護福祉士や看護師が介護や介助をしているが、障害者施設は有資格が義務ではない。
きっと入所を利用する時に保護者はそれを知らないだろう

1つ目の障害者施設の闇ではないかと思う。

また、そこで働く2人がコンビニの前で大学の同級生に言われたという言葉にも引っかかった。
大学の同級生から
「お前そんなところでしか働けないの?」と言われるから人には言えない
2つ目の闇ではないかと思う。

サトクン(磯村勇斗)が紙芝居を利用者にするや宮沢りえが初めての出勤の際に、大きい体育館のような広い場所の端っこに、利用者が並ぶかのようにいる。真ん中は広く空いている
私がこの仕事を始めて入所施設に行った時と同じ光景。
私はその風景が耐え切れずにその施設の就職はしなかった
正直言うと 怖かった。
そこにいる利用者の人がではなく、その風景に慣れることが怖かった
施設の管理職の人に「今は何の時間ですか?」と聞いたら
午後の自由時間ですと言った。自由時間・・・って体育館のような広いところの隅っこに並んでいることなの?
サトクンはその利用者に紙芝居を見せていたが、紙芝居に反応している様子はみえなかったが、支援員が関わっていることを感じられた場面だった
重度の知的障害があると理解は難しいかもしれないが、それでも支援者は楽しそうな時間を一緒に過ごす
こんな場面が見られたら私は就職していたかもしれない
これが3つ目の闇

重度と思われる知的障害者がベルトを持たれ自分の部屋に男2人に連れて行かれる場面
知的だけでなく身体にも障害があり、足を動かすことが難しい為にベルトを持って支えることはあるが、彼は何かわめきながら歩くことを拒んでいるように見えた。
なぜ、何を訴えているのか聞いてあげられないのだろう。
一緒に座ってどうした?って聞いてあげられないんだろう。
この風景は児童施設や支援学校・障害者施設と見たことがある。
もっと小さいと抱き上げられているのだろう。

キーちゃんの部屋は暗かった。視覚障害と重度知的障害・多動と障害があったのだろうと推測できた。
入所時に多動が激しく椅子に縛り付けていたら、歩けなくなってベットに1日中横になるようになり、本人が落ち着くからとの施設の判断で窓をふさぎ、本当の暗闇で過ごすようになって、食事は胃ろうになったと・・・
母親は高畑淳子が演じていたが、在宅から入所に至るまでは食事もできていたのではないかと思う。

そして10年間食事のみを与えられ、支援をしてはいけないといわれていた部屋・・・全裸の男性の姿
私の経験の中で、精神科の閉鎖病棟で見た。
病院なので映画程不衛生では無かった。
病院は医療としての対処方法があるからあれほどにはならない。
知的の入所施設ならではなのではないかと思う
4つ目の闇

障害福祉の無資格問題は知らない人が多い
実際、知的障害者に対する支援者の資格は知的障害者援助技術者しか知らない。私は受講しとても勉強になった。
国家資格で言うと社会福祉士・精神保健福祉士・介護福祉士が福祉の中の資格ではある。
しかし、社会福祉士は支援方法や対人の支援スキルは無い。
精神福祉保健福祉士は医療色が強く、医師の指示のもとに行うが通常なので自分で判断し、知識の中で支援をするのは難しいのではないだろうか
介護福祉士は高齢者を対象とすることが多く、高齢者は脳卒中や脳梗塞等胃疾患からある程度決まった障害になることが多いので、介護の手順がわかりやすい。
身体障害者はひとりひとり違うので、それを把握し介護するには時間がかかることもあると思う。
また、高齢者のようにできることができなくなったではなく、生まれ持ったものであると千差万別だ。
私は、身体障害者の通所施設の経験もある。
その中で、耳にした言葉で印象的なものがあった。
「あんたたち、俺たちみたいな障害者がいるから金もらってるんでしょ」
その通り!ではあるが障害福祉の中で当事者が言葉にして言うのを耳にした時はショックだったとともに心の中で
「できなくてごめんなさい」と思った。
私に向けられた言葉ではなかったが、私には刺さった。
そしてその通り!とこの気持ちを忘れてはいけないと思った。

私は卒業後、一般企業で働いていた。その経験の中で何かを作って売るからお金がもらえるという当たり前のルートを理解している。
福祉は支援をして、利用者(顧客)が満足してお金がもらえるというのは、企業と何ら変わりないと思っていたが、福祉の現場は違うことが多かった。
この利用者は〇〇ができないからダメという言葉が当たり前のように飛び交う世界だった。
できないからできるように支援するからお金がもらえるではない。

利用者の保護者はいつも
迷惑かけてすみません。ありがとうございますと頭を下げる
これも当たり前の光景だったので
誰がありがとう?なの?と思っていた。
時々、利用者が文句を言ったりしていた。脳の障害で家庭もある男気の強い人で施設のやり方がおかしい!と興奮することもあった。
施設長と話をした後部屋から出てきた。興奮は倍増している様子
部屋を出るなり私の名前を叫んでいる。急いで行くと
施設長は俺を障害者扱いして、話にならない!と憤慨している。
施設長は障害福祉でしか働いていない。
その施設長の対応に腹が立ったと話をしていた
そうなんだよなぁ 私も思う。
障害者を扱うという言葉が合う対応をする。
なだめすかして落ち着かせる対応をするの。
話を聞いて問題解決をしようとはしなくて良い相手だと思っているような対応をする。
何より、憤慨するようなことが施設であったことへの謝罪は1度も無い。
保護者には謝るのに、障害者には謝らないのも当たり前だった

障害者の生活には法律や制度が要となる
措置制度
国や行政がここが空いてるから行きなさいとすべてを決め保護者は0円で入れることができ、その施設に入るとテッシュ1つ国の税金で買ってもらえる
本人の年金は支給される為に、1部屋4人の部屋の個人預金を合わせると数千万は当たり前だった。
このころは、その入所者のお金を施設が預かっていた為に、職員は使うことができたという話も聞いた。
利用者に新しい服を買うとして預金をおろし購入すると、利用者も保護者も施設が買ってくれたとお礼を言う。
利用者の服をほめた時に施設長が買ってくれたという言葉を当たり前のように言っていた。職員も施設長も否定はしない。

支援費制度
利用者が自分の受けたいサービスを決めて受ける。
長い長い措置制度から民主党が政権を持った時の改革の1つだった。
忘れもしない。行政がその変化に大慌てしていた。
知的障害がある人で印象的だったのが、ゲームセンターに毎日行くのにヘルパーさんをつけた。
身体障害のある人だと入浴の回数は毎日になり、遠いところへの買い物同行等は年間1000万の支援費が使われた。

障害者自立支援法
このころから自立という言葉が出てきた。当初自立は自律という文字だったのが記憶に残る。
自律とは自分を律する。知的に障害のある人が近くにいる中で自律はどうすればよいのか大きな疑問を持った
『私たちを抜きに私たちのことを決めないで』という外国の障害者団体が言った言葉をよく耳にするようになった。
障害のある人の権利主張の1つだった。
研修でもよく耳にした。そのたびに思ったのは「権利と義務」はセットなのでは?
では、障害のある人の義務って何?
結局、いまでも答えはわからない。
話がズレた。汗

制度が変わるたびにいつも思う
目の前の障害のある人は何も変わってないのに
措置では行政に決められ
支援費では好きなようにしていいよと言われ
自立支援法では自立しなさいと言われ

車なら
右側通行や左側通行最後は勝手にどうぞと言われているような気がする

映画『月』は興行収入も少なくDVDにされるかもわからない
製作者もその覚悟で作っている
社会に見てほしいではなく
障害福祉に携わる者として、障害福祉の仕事をしている人に見て欲しい

少なくとも私は、この映画を見たことは一生忘れない
そして、自分の立ち位置を認識できたことに感謝します


月を見た方に「くちづけ」という映画も見て欲しい。
また違った角度で障害のある人の人生を描いています。

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