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風早ハ兎文一茶両吟/門前やの巻

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三伏のいらかを巡ル雲の峰
 穢れし女下山してなく     一茶

初ウ八句、そのけがれと哀しみを句にした寛政七年民俗誌。

     〇

穢れし女 「女のけがれが女性の地位をいちだんと下げる条件になっていることも感じてはいたが、」瀬川清子。

下山して 参詣が叶わず山を下りる、、、、、、

なく 性差の現実、悲哀の深淵。

     〇

さんぷくの/
      いらかをめぐるくものみね

 けがれしをんな
        げざんしてなく

月の座をこぼした一茶の句。この時代、男も女も寺社詣に出かけられるようになっていたのですが、女にだけどうしても叶わない禁制がありました。ことに、穢れを忌避しようとする規制があって多くの女性たちの身を縛っていたのです。

     〇

歌は和泉式部

他ならぬ柳田国男を引用してみましょう。

 『続千載集』によれば、和泉式部本宮に詣ろうとして、伏拝という処に来て一泊しますと、急に身の様子が変って、奉幣が不可能になりました。そこで次のような歌を詠んだといってあります。
   はれやらぬ身にうき雲のたなびきて月のさはりとなるそかなしき
そうするとその夜の夢に、神自ら御答の歌を御示しになりました。
   もろともに鹿にまじはる神なれば月のさはりも何か苦しき
 この二つの歌は二つとも、作者の名誉のためにぜひ否定せねばならぬほど粗末な歌であります。最も手短におかしい点を申しますと、はれやらぬということは意味をなさず、浮雲のたなびくということはありませぬ。また神歌と称する方は、いわゆる和光同塵の意を託したのでしょうが、本末の関係があやしい上に、差支えがないということを苦しからずといったのは、神にふさわしからぬ中代の俗語でありました。従って二首とも偽作ということになり、歌は偽作で事柄だけが真実ということは、あり得ないのであります。

 どうしてまた堂々たる選集にこれを載せたかを考えますと、つまりはその当時、もっぱらこの霊夢の奇瑞を談ずる者が、熊野に往来した京の人の多かったためで、それはまた誓願寺の念仏功徳を、熊野の信仰と結び付けようとした、一遍上人の門徒ではなかったかと思います。なお伏拝という地名は遥拝処という事で、伊勢を始めとして諸国の大社の周囲には、何かの理由があって参籠のできぬ者のために、特に幾つとなく設けてありました。

「勅撰集の伝説」『女性と民間伝承』

     〇

俳諧・紅梅千句に

 かこふ外面はあしき日あたり     正章
月の物のあいだはそばにおよりあるな  貞徳

俳諧・犬子集に

たや色の紅葉は月のさはり哉      休甫

     〇

句には

三伏の月の穢に鳴く荒鵜かな      蛇笏
帰り花たとへば月の穢と言へり     裕明

さらに時を経て

学寮の茂に匂ひありにけり       まり

森賀まり句集「しみづあたたかをふくむ」

7.10.2023.Masafumi.

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