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悩んでいる時こそ俯瞰して見てみるといいよねってことが腑に落ちた話

実はカタカナに弱い。
(英語はもっと弱い)

だから海外の俳優さんとか名前が全然覚えられないし、映画を見ても役名を覚えられなくてまぁまぁ苦労する。
小説なんかも途中で名前がわからなくなっちゃって「あれ?これって誰だっけ?」って何度も前のページに戻ってしまう(故に苦手で海外の小説は滅多に読まない)

自分を好きになる自分科。
自分科は「見る」をめちゃくちゃ大切にしている教科。
それは「見ているもの=自分の脳内の反映」であり、「見ているもの=自分自身」であるからで。

故に自分が見ているものをまるっと「それでいい」って承認することは
自分自身を承認することになる。

まぁ誰だって、自分が見ているものを否定されたら、そりゃ自信なくすよね、って話。

なので自分科では「見る」ことがとても大事なのだ。

その自分科の中でミクロとマクロの視点の話が出てくるんだけど
カタカナが苦手なのでいつもどっちがどっちかわからなくなる。
(因みにヒメジョオンとハルジオンもわからなくなって毎年必ず調べます)

まぁそれは置いといて(置いとくのか)

先日自分科講師のためのフォローアップ研修というものがあって
今回は「見ると何がいいの」というテーマで(講師はばなな先生)「見る」に特化した講座だった。

で、受けてみたら実際そのミクロとマクロのことがすとーんと腑に落ちたというか、自分の中に入っていった感覚になれた。

講義の途中にちょいちょいワークがあって
飽きない仕様になってたのがすごいなぁと思いつつ
実際ワークをやるとホントに腑に落ちるんだなぁというところも、再確認できた。

その中のワークで
「自分が辛かった過去の出来事にタイトルをつけましょう」
というモノがあった。

まぁ半世紀近く生きていれば
それなりに辛いことはいろいろあったから
何にしようかなーと思って、ふと思い出した
「家族が2人同時に鬱になった」ことを選んだ。

うん、あれはしんどかったな。
何してても家の中がどよーんとしているカンジで。


余談だけれども、その頃職場でその話をした時、ほぼほぼみんな「大変だねぇ」「無理しないでね」みたいな反応だったんだけど
唯一部署直属の先輩だけは「頑張って」と
わりと低めの声でピシッと言ってくれて。

いろいろと苦労されてきた先輩だったから
なんかその重みというか深みみたいなものが付随された「頑張って」で。

そうなんだよね、無理するなと言われたって結局頑張るというか耐えるしかないというか
そういう時期ってあるじゃんね。
なんかその先輩の言葉がめちゃくちゃ印象深かったし
結果的に一番励まされたように感じた。


閑話休題

で、その思い出した出来事に何てタイトルつけようかなぁと考え「明けない夜はない」と、つけてみた。

別に正解も不正解もないから
どんなタイトルをつけても大丈夫なんだけど
大事なのはそこじゃなくって。

タイトルをつけるにあたって、その出来事を思い返して
それでその先輩のこととかも思い出したんだけど。

当たり前だけど、過去の出来事だから、めちゃくちゃ俯瞰してるんだよね。
終わったことだし。

渦中にいると、もうそのことだけで頭がいっぱいで。ま、そりゃそうだ。家中どよーんだし。
あぁまた帰ったらどよーんだよ…ってなるし。

なんだけど、例えば渦中にいても、グググって視座を上げて俯瞰してみることをすれば
違う見方ができるんだよね。

その出来事を思い返している時の自分の俯瞰している感覚と
その時のリアルにしんどかった感覚との違いを感じることで
あぁミクロとマクロってそういうことかぁと
(若干どっちがどっちかわからなくなりながらも)腑に落ちた。

そして、その感覚のまま、いろいろなことを見てみると、確かに悩んでるときって
めっちゃ視野が狭いし至近距離だし
なんならもうそれしか見えません私
みたいになってるよなぁと。
自分もだし、他の人も、そうだよね、と。

この腑に落ちる感覚が
実はめっちゃ好きなんだなぁということに
今書きながら気づいたわ(笑)

ということで

自分科、楽しいから
是非ぜひ体験してみて欲しいです


今回みたいな、「見る」とか「場をつくる」とか
もっと深く学びたい方はこちらがおススメです

講師にもなれちゃいますので
一緒に講師やりましょう
(楽しいよ!)

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