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なんで私が8年間もよかよか学院のスタッフを続けているのかその理由を考えてみた

「なんで8年間もスタッフしてるの?」ってよく聞かれる。
聞かれるけどいつも上手く答えられなくて。

そこで理由を考えてみた。
言語化を試みるの巻。

私の姉は統合失調症だ。
姉が中学2年の時に発症して以来現在に至るまで入退院を繰り返している。

姉が初めて入院したのは私が小学5年生の時だった。

今でこそ精神科とかメンタルクリニックとか心療内科とか(あんまり違いが分かってないけどw)
所謂メンタル系の病院ってモリモリあるし
メンタル系の病気自体も認知度が上がっているけれど
当時はこんなに理解されておらず、ものすごく特別なことだったのを子どもながら感じていた。
姉の病名もちゃんと教えてもらえなかったし。

余談だけど、姉の入院している病院では、病院からの郵便物の差出人名が医院長先生の個人名で送られてきていた。最近になってやっと病院名で来るようになったけれど。
単科の精神病院だから、差出人を伏せていたのだ。
そのくらい、デリケートな扱いを受けていた。

その頃の記憶ってあんまりなくて。
面会に行っても私は病棟に入れてもらえなくて駐車場で待っていたこととか
姉が帰宅すると家族でやたら旅行して、その度に喧嘩になってたこととか
姉が暴れて家がまぁまぁめちゃくちゃになってたこととか

その中の一部の
すごく断片的な記憶しかない。
思い出したくないのかもしれない。

両親はとにかく姉を治したくて
いろいろな病院へ連れていき
何度も転院させていた。
症状である幻聴とか幻覚に対しても
「おかしい」「治さなきゃダメだ」と
ことごとく否定していた。

当時はね、そんなもんだと思っていたんだけれど
よかよか学院に出会って、自分科をやっていくうちに、そこに違和感を覚えた。

自分科では見たものを見たまま表現する。
そうすると、同じモノを見ているようで
実は一人ひとり見ているモノが違うってわかる。
体感として、腑に落ちる。

一人ひとり本当に見ている世界が違くて
最初はめちゃくちゃ驚いたんだけれど
それがだんだん愛おしく思えるようになってきた。

自分が見ているモノを承認する。
そうすると自分を好きになる。

誰かの見ているモノを承認する。
そうすると「同じ」が見えてきて仲良くなる。

だから自分科って自分を好きになる自己受容の教科であり、ジャッジのない場をつくる場づくりの教科でもある。

で、姉の話。
幻覚とか幻聴とか、勿論無い方がいいんだけど
でも、見えちゃってるわけじゃない、実際。
だから
それを頭から否定してしまったら、姉自身を否定することになってしまうんじゃないかと。

病気に関してもそう。
治すことは大事だけれど、それもまた「今」の姉を否定することになるのではないかと。

親として、両親の「治したい」の気持ちは痛いほどわかるし
ずーっと一緒に居るとね、やっぱりいろんな症状に対して受け入れがたくなることもめちゃくちゃよくわかる。

だから両親を責めるつもりは1ミリもないけれど
でもそう気づいた時から、私は姉の全てを受け入れようって決めた。
どんな姉もまるっと承認しようって。


そしたらね
私自身が姉のことが大好きなんだってことに気づいた。
すごく大切に思ってたんだってことに気づいた。


気づいたから、毎月一回、丸一日かけて、姉に会いに行くことが、苦痛じゃなくなった。
姉の外出のために、私がわざわざ足を運ぶんじゃなくって
寧ろ私が一緒に居たいんだなぁって。

家族のお荷物みたいに思ってた時もあったのにね。

見たものを見たままに。
って、実は難しい。


病気とか障害とか世間体とか
なんかいろんな理由をくっつけて
私は姉のことをちゃんと見てなかった。
見たものを見たままどころか
見てすらいなかった。

だけど、真っ直ぐ見た時に
本当に大切なモノに気づけるんだ。
自分の中の大切なモノに。

自分科の魅力ってモリモリあるから
これだけじゃないんだけど
でも自分科を好きになった大きな理由のひとつだ。

そんな自分科をもっともっと知ってもらいたくて、もっともっといろんな人にやってもらいたくて、私はスタッフを続けている。




6月のマンスリーお話会のテーマは発達障害です。

子どもの発達に悩んでる方とか
教育関係の方は勿論なんだけど
子育て中のお母さんみんなに
聞いて欲しいな。

いただいたサポートはプロジェクト活動に使わせていただきます。