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泉川尚進の自己紹介②(専門学校期〜サラリーマン編)

はじめまして、泉川尚進(いずみかわひさし)です。

今回は自己紹介の後編です。
前回は
幼少期〜高校までをお話させていただきました。
まだの方はこちらから御覧ください。

https://note.com/izumin_shatyo/n/nfc99473202f0

どちらかと言うとうまくいかないことのほうが多かった高校までですが、

自分が可能性が広がったと感じる専門学校時代から現在までの過去を今回はお話させていただきます。


2部 飛躍期 (専門学校〜サラリーマン時代)

冒頭でも触れましたが、私の人生が(本当の意味で)楽しくなったのは専門学生からです。今思い返すと可能性が広がった期間でした。

高校を卒業して親の勧めで専門学校に入りました。
会計を学ぶ専門学校だったのですが、社会人経験者や大卒の人もいたので、色んな年齢の人がいて、同い年の人とは仲良くなれず、25歳と28歳と仲良くなりました。
(精神が成熟している年上は僕の偏った特徴を個性として認めてくれました)
年上の友人ができたことにより、大人にならないとできないようなことを18歳で体験するような遊びやお金の使い方を学ぶことができました。

ある日、車を20万で譲ってもらって、車にドハマリをしました。
購入して22日で1台目、40日で2台目を廃車にしてしまうほど走り屋的な激しい遊び方をしてしまいましたが、初めての夜遊びということもありとにかく楽しい時間でした。
遊びが楽しすぎたせいもあり、また授業中に睡眠時間を確保する日々を送りました。

とは言え、専門学校ではすぐに就職活動が訪れます。特にやりたいことが決まっていなかったので、就職活動で色んな企業を受けました。
就職活動では新たな発見もあり「人に気に入られる自分」が印象的でした。
それまでどちらかというと人とのコミュニケーションに対して苦手意識があったのですが、
面談をする人事の方から「君おもしろいね」と言われることが多かったです。

いくつかあった候補の中で一番志望度が高かった明治乳業に入社をすることになり、広島に配属が決まりました。
31歳で独立することになるので10年勤めることになります。
入社後、支店長と話す機会があり「なぜ自分を採用したのか?」と聞いた時に
「お前が一番使えそうと思った」と言われて、嬉しかったのを覚えています。


その後も支店長には期待をしていただき、支店長の転勤の際の送別会で「あの時お前を採用したのはすごい安い買い物だった」と言われて、この時もまた嬉しかったです。

新入社員で入った時に慶応大などの高学歴の人たちが同僚でいて、有名大学卒の人はテレビの世界の人たちだけだと思っていました。高学歴の人たちは同じ資料を見て読解力などが全然違う。自分は何回読んでも理解できないのに対し、高学歴の人たちはすぐに会議で質問していて衝撃でした。

入社当初はちょっとした気遣いができずに色んなことで怒られていました。上司と車移動をすることが多く、運転を担当していた私は、いつも怒られないようにずっと緊張していました。仕事の処理も遅く、肉体的にも精神的にも疲労し、毎日くたくたで家に帰ると夜ご飯を食べてすぐ寝ていました。そんな自分にできることは、人よりも長く働くことだと思い、
休みをとることなく、人の何倍も働きました。
(もしこれが学生の時であれば、自分は努力できなかったと思います。しかし社会人として成功するということは、先輩や上司を見て将来の自分がイメージできたので頑張ることができました。時代もあり、数個上の先輩でもロレックスをつけている人が何人もいました)

誰よりも泥臭く働くことをお客様に評価してもらっていました。休みの日に自家用車でお客様のところに行くこともありました。
ここまで頑張れたのはあったのは「自分より勉強ができたやつに負けたくない」という気持ちでした。

ほとんどの同期には負けることもなく、なんとか結果もついてきました。
自分の頑張りでお客様が喜んでくれ、お金を稼げるのは嬉しかったです。

入社して数年が経ち、仕事も大分慣れてきた頃、先輩たちの年収を聞いて、何歳の時にこの位置にいたいという目標を立てることができました。

27歳で結婚を期に、岡山に転勤することになり、初めて地方の営業所で担当をさせてもらうことになりました。結果的に2年弱いることになりました。営業所での気づきは支店と違い、役職者も少なくのびのびと仕事をすることができました。

実は24歳から独立を夢見ていました。
きっかけはあるお客様先での出来事でした。

当時のお客様と空港の新規の営業をしに行った時に空港に止まっていたフェラーリを見て、私が「いつか乗ってみたいです」と言うと、
お客様がふと「僕は買おうと思ったら買えるけどね〜」と言われて、衝撃だった。
売上3億の会社の社長だったが、よくよく聞くと資産として2億円を蓄えていて、
いわゆる「普通のおじさん」と思っていたからこそ驚きが大きかったです。
いつかフェラーリに乗りたいと漠然と思っていた私ですが、ではどんな人がフェラーリに乗れるのか?ということがピンときていませんでしたが、この時に初めてフェラーリに乗れる人を身近で感じることができました。
同時に自分でも牛乳屋を経営すればこのくらい稼ぐことができるのか?という独立心がふつふつを芽生えたことを覚えています。

仕事も家庭も順調に進み、そろそろかなと思い、退職を上司に伝えると、自分の将来のことをとてもよく考えてくれました。
それから鳥取県に転勤し、大きな規模のお客様を担当しながら自分の起業後のイメージに夢を膨らませ、30歳から開業準備に入っていきました。


専門学校〜サラリーマン時代まとめ

高校まで低空飛行が続いた人生が大きく飛躍したのが専門学校からです。
ここでは触れていませんが、車道楽にもスイッチが入り、30歳までに20台以上乗り換えています。そんな人生を送れたのは、楽しみ続けるために責任を果たしてきたことと、その時に必要となる人と出会えたからです。
同じような経験は誰しもしていると思いますが、その時の自分の感じ方や経験で、見え方が変わってしまいます。今日の振り返りを見て、今ある日常の見え方が変われば嬉しいです。

独立後は、楽しさを重視するあまり、失敗が多く待ち受けています。
大きな変更点は上司がいなくなったことです。会社ではこの人の指示やアドバイスに従いなさいとなりますが、独立すると誰から指示をもらうかも自分で決めなければいけません。
そして、指示・アドバイスを聞き流すこともできます。その結果どうなってしまったかが次の第3部の内容になります。

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最後までお読みいただきありがとうございました!


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