大人が捨てたゴミを子どもが拾う不条理から得た気づき
僕がnoteを始めて1週間、「読んでくれた人が温かい気持ちになってくれたらうれしいです」とか言っておきながら、早速ネガティブなタイトルで恐縮です(でも最後は前向きに締めたつもり><)
先日子供が友達と公園で遊んでいた時に感じた気持ちを整理するため、投稿しています。
まあ、タイトルの通りなのですが、少し経緯をお話ししますと、娘が近所の公園で友達と遊んでいて様子を見に行ったところ、子ども達がなにやら公園でせかせかと何かを拾っており、それがタバコの吸殻や弁当の空き容器、スナック菓子の袋だったのです。。
あぁ、そんな汚ないもの、拾わなくて良いよ!
という言葉が思わず出掛かったが、公園をきれいにする事は良い事でしかないし、それを生業とされている方もいる(映画「PERFECT DAYS」を観た後でまだ記憶に新しい)わけで、そういう言い方は相応しくないないと思い留まった。何より、ゴミを楽しそうに拾っている姿が微笑ましくもあり、その場は大人しく見守ることにした。
帰宅後、本人に「どうしてゴミ拾いしたの?」と聞くと
「自分たちの遊ぶ場所にゴミがあって嫌だったらからゴミ集めごっこしてたんだ。それに、TVでもSDGsとかやってるでしょ?」
おいおい100点満点の回答じゃないかよ。
親としてはまっすぐに成長する我が子を実感できてうれしかったし、なんでも遊びに転換してしまう子ども達の柔軟な発想と豊かな創造性は本当に素晴らしい「なんてきれいな心なんだ、ちみは🥹」と感心するばかりだった。
でも、でも。待ってください?
そもそもなんでそこにゴミ捨あんねん、誰が捨てたんじゃいと、かわいい子ども達にゴミ集めをさせるきっかけを作った”どっかの誰かさん”にめちゃくちゃ腹が立ってしまった。その後もその公園を通る度、ムカムカしてしまっていた。
けれども冷静になって娘の回答を振り返ると、「自分たちの遊ぶ場所にゴミがあって嫌だったらから集めた」との娘の回答、めちゃくちゃシンプルで合理的ではないかと気づいてしまい、「無職で暇だからって、そんなちっちゃな事象に囚われていてはダメだぞ、親父」と言われたようでハッとした(娘は”パパ”と呼んでいます)
ゴミ拾いのボランティアをされている方々どういう想いで活動されているのだろうか。きっと僕みたいにネガティヴな感情で終わらせず、「その場所からゴミをなくしてきれいにしたい」という前向きな気持ちに転換して、行動されているのかもしれないな(実際参加してみて聞いてみるのもありかも)
もちろん、公園にゴミを捨てるなんて事は絶対ダメだし、身勝手に捨てた”どっかの誰かさん”を僕は許さない。でも、そのことばかりに囚われてしまっては何時まで経ってもイライラするだけだし、何も解決しない。(その間にも奴らはゴミを平気で捨てているに違いない!)ゴミを捨てることが平気な奴らとは、どうやっても価値観が合わないし相容れることもないだろう。
だからそんなことにイライラしてないで、子どもたちのように「さっさと自分達できれいにして遊んじゃう(その過程すら楽しいに変えちゃう)」、同じ価値観の人たちと共に「街をきれいにする活動をする」などの具体的な行動をとった方が、実際にゴミも減らせるし、よっぽど良い気分になれる気がする。
無職(主夫)が板につき、視野が狭まってきた今こそ!半年程前から部屋の片隅に積んである、ハンス・ロスリング著「FACTFULNESS(ファクトフルネス)」を読むべきではないか俺!と思った今日この頃。それではまた。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?