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どうして不登校を選んだの?後半

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子どもが不登校を選びたがっていることや
学校に対する違和感
    
私はあえてあちこちで口にし、様々な人からたくさんの助言をもらってみた。
     
私の不甲斐なさや努力不足、我が子の忍耐力の無さを指摘するような、聞くのが辛くなるような助言ばかりだった。
      
       
しかしそれで気が付いた
誰しもが見えない未来に対して不安を抱いている
という事実。
    
      
どうして学校へ行きたくないのかを
長男に改めて何度も聞いてみたりもした。
理由はたくさんあった。
しかし、「それなら不登校でOKだよ!」と瞬時に思えるような、決め手となる理由などひとつもなかった。
    
      
誰かに明らかな暴力を受けたとか
命の危険があるとか
誰が聞いても「それなら仕方ないね」と言ってもらえるような理由を、
私は探していたのだろう。
   
      
          
「不登校を選んだら勉強はどうするの!?」
何百回この言葉を聞いただろう
      
頭の中で何度もシミュレーションしてみた。
後ろ向きな気持ちでこの子が学校へ通ったとして
そもそも一体何を身に付けてくるのだろか
    
どう考えても
何度考え直しても
その場をやり過ごすことだけに集中し
常に余裕が無く何かに追われ
きっと何もろくに身に付かないだろうと思った。
      
一生に一度しかない
心も身体も急成長を遂げるこの時期を
耐え凌ぐことに集中させ
心を潰して生活させることに
何の意味があるのだろう・・・
     
      
       
私は、この子にどんな大人になってもらいたいのだろうと、
何度も何度も考えた。
     
       
お金に余裕は無くても
自分の生活ができる分くらいは自分で稼ぎ
人を許し
人に許され
たまには心から笑い
生きることを楽しめる人になってもらいたい
     
       
そのためには
私は今、この子に何をすべきなのだろう
      
       
        
しかし現実は甘くない
子どもが学校へ行き渋り仕事に遅刻し頭を下げ
職場の人に後任の人を探してもらいたいと頭を下げ
できるだけ学校へ来るよう助言をくれる先生たちに頭を下げ
「不登校を容認するとうちの子まで影響を受けてしまう!余計なことを子どもに教えないで!」とママ友に言われ頭を下げ
仕事が休日の日は学校を休ませ子どもを家に居させてほしいと夫に頭を下げ
私は徐々に疲れていった。
     
      
不登校期間を経てその後社会に出た人たちの話を聞いてみたり
学校へ行く以外の選択肢を探してみたり
家で私にもできる学習とは何かを考えプランを練ってみたり
      
いっときは不安な気持ちを解消し前向きになれた。
しかし、誰かに否定的なことを言われるとまた不安になってしまう。
行ったり来たりする私の思考・・・
      
      
私が自分で自分を納得させることに時間を費やしている間に
長男は少しずつ荒れていった
学校を休める日を増やしても増やしても
ちっとも笑顔を見せてくれない。
      
      
なぜ?
どうして!?
こんなに子どもに寄り添う努力をしているのに!!
        
「どうしてそんなに学校がいやなの!?
 学校に全く行かないってどういうことかわかってる!?
 不安じゃないわけ!?」
      
子どもに理不尽な怒りをぶつけてしまった
すると長男はすかさず
      
「不安だよ!不安に決まってるでしょ!
 俺のことなんだよ!俺が一番考えてるよ!
 でも、学校へ行く方が不安なんだよ!
 行かないよりずっと不安なんだよ!!」
と言った。
     
      
え!!!
学校へ行かないよりも
行く方が不安!?
一体どんな状態なのそれは!?
私が学校へ行かないことにこんなにも不安を抱いているのに、
それ以上の不安って何!?
まるで想像ができない!
      
      
私はイライラが収まらなかった。
私のその様子を感じ取った長男が
「俺は不幸だ!俺は不幸だー!」
と叫びはじめた。
     
      
私の苛立ちはピークに達した。
「どこが不幸なの!?
 世の中にはもっと不幸な人が沢山いるんだよ!
 あんたは何もわかってない!!」
       
       
私がこの言葉を吐き捨てた途端
長男の目から大粒の涙がぼたぼたと溢れ落ちてきた
突然、自分の頭を壁に打ち付けながら
     
      
ごめんなさい
ごめんなさい
学校に行きたくなくてごめんなさい
言うこと聞けなくてごめんなさい
先生の言うことも聞けなくてごめんなさい
何もできなくてごめんなさい
ママごめんね
    
と、弱弱しく
絞り出すような声で泣き出した
     
         
長男は、今にも消えてしまいそうだった
     
       
その姿を目にし
私は、今まで生きてきた中で一番の恐怖を感じた。


将来が不安だとか
勉強ができないとか
そんなことはどうでもいいと心から思った。
     
     

この子が心を失ってもいいの?
この子の笑顔が見られなくなってもいいの?
楽しそうじゃなくても学校へ行って勉強してくれれば私は満足?
ねぇ、一番大切なものってなに?
     
私は一体今まで何をしていたのだろう
中途半端に子どもと向き合い
自分と向き合いきれないまま
ひとりで戦っている気になって
この世で一番愛する者をここまで追い込んでしまった
     
この子はこの子らしく生きたいだけなのに
それを認めず
私の不安を背負わせて
     
ひとりぼっちで戦っていたのは私じゃない
この子じゃないか!
こんな小さな身体で「みんなと違う」を選び
たった7歳で勇気を振り絞って親に気持ちを伝えようと必死にもがいている
     
      
「未来」は「今」の積み重ね
今が笑顔じゃないのなら
この先も笑顔はやってこない
      
私が親としてこの子にできることは
「今」この子が笑顔になる選択をし
この子の選んだことを受け入れ
選んだ道を一緒に歩んでみることだけ
             
わたしはなんてバカなんだろう
これは、ただただ、私の覚悟の問題だった。
ただそれだけのことだった・・・
    
     
ごめんね。
ごめんね。
ママの不安を背負わせてごめんね。
ずっとひとりで戦ってたんだね。
ずっとママの言うようにしたいって思ってくれてたんだね。
ずっと先生の言うようにしなくちゃと思ってたんだね。
本当にごめんね。
あなたの決めたことを応援する!
絶対に、心から応援するよ!
不安だよね。
これから一緒に考えようね。
一緒に乗り越えていこうね。
今まで本当にごめんね。
ずっとママのこと待っていてくれて有難う。
     
     
ふたりでどれくらい泣いただろう
     
      
この日を境に
私は心からの覚悟を持つことができた気がする
      
      
            
翌日からすぐに行動を開始した。
     
まずは職場に、無理を承知でできるだけ早く退職させてほしいと繰り返しお願いし頭を下げた
     
度々学校へ行かない長男に「行った方がいいよ」などと声をかけてくれる人たちに、親として長男の選択を受け入れることにしたことを伝え、長男に対し、長男の選択を否定するような言葉を使うことは、たとえ些細なことでもしばらくは控えてほしいとお願いした。
長男や私に対して抱く疑問や不安は、子どもの居ないところで全て私にぶつけてきてもらい、私はそれに誠心誠意対応することを約束しますので、どうか協力してもらいたいと頭を下げた
      
夫には、これから完全な不登校生活をはじめるが、子どもがダラダラする姿を目にしたり、勉強せずに家で過ごす姿を見て、きっと不安に思う日が多々やってくるはず。しかし、その姿を否定することなく見守ってもらいたい。不安や怒りは全て私にぶつけてきてほしい。私が受け止めて私が向き合うから。必ず子どもたちを自立した大人に育てる。責任は全て私が取る。この先何ひとつあなたのせいにはしないから、今は私を信じて、子どもたちの前では不安な気持ちは一旦しまって、寛大な心で見守ってあげてほしいと、頭を下げた
     
「今のお母さんに何を言っても無駄だろうけど、
      あなた、この先絶対に後悔しますよ!」
と助言してくれる人もいた。
「はい。心配してくださって本当に有難うございます。どうかあたたかく見守っていてください。」
と、心の底から感謝し頭を下げた
      
      
      
もう、ひとりで戦っている気になんてならなかった
頭を下げながら清々しかった
     
      
     
覚悟を決めると
肯定的な言葉や文章ばかりが目に入り
心に残るようになっていった
    
     
一緒に学校づくりしていたメンバーが、いつも肯定的な言葉をくれた
植松社長のブログが、私の選択を応援してくれていた
手にとった本が、私に選択肢を増やしてくれた
不登校新聞もよく読んだなぁ~
          
           
        
誰に何を言われてもぶれない私を見て
長男はどんどん落ち着きを見せていってくれた
その姿が、何よりも私を肯定し続けてくれた
      
       
完全不登校を開始し
しばらく長男は浮き沈みが激しかった
    
布団でゴロゴロして一日を過ごす日もあったし
ぼーーーっとYouTubeを見続けるだけの日もたくさんあった。
     
無人島へ行きたいと言って、
無人島生活の動画ばかり見ている時期はさすがに少し不安になった。
    
たまに、過去に誰かから言われた傷ついた言葉を思い出し、
不安に陥り頭を抱えて怯えだす時もあった。
    
そんな時は、「人の数だけ答えがあるよ。でも、あなたの選んだことは間違えじゃないよ。大丈夫!ママが保証する!」と声をかけ
「なにか食べたいものある?」とだけ聞いて、
小さな願いを叶えながら毎日を過ごした。
     
       
長男は徐々に元気になっていった。
     
        
しばらくして、
気がつくと長男は毎朝5時に起きるようになっていた。
    
「もぉ〜〜早すぎるよ〜
 なんでこんなに早く起きるの?」
と、朝ごはんをせがまれ起こされた私が聞くと
     
「だって、寝てるのもったいないんだもん!1日なにするか、自分で決められるんだよ!したいことたくさんあるんだもん!」
と、キラキラした笑顔で教えてくれた。
     
     
時間がたくさんあるね。
なんでもできるね。
今日は何しよっか。
      
       
子どもとこんな会話ができる。
こんなにも幸せなことはないと心から思った。
     
     
わが家は、子どもだけじゃなく
保護者の私も 現在ある様々な選択肢の中から
不登校を選んでいる
       
       
      
子どもたちの「やりたい!」の体験の中に
いかに多くの学び要素を仕込めるか・・・
わたしの試行錯誤がはじまり
あれから丸6年が経過
    
7年目に突入している今
今のところまだ
一度も後悔する瞬間は訪れていない。

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