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わがやの「ホームスクーリング」①

春がやってきました。小学校の担任の先生や、教頭先生、校長先生などが替わる時期です。この時期には、毎年恒例となった質問をたくさんされ、毎年恒例となった回答をたくさんします。

不登校生活4年目に突入した我が家が一番多くされる質問は、毎年変わらず「勉強はどうしているんですか?」です。

私はまず、この質問に「勉強って座学のことですか?」と聞き返しますが、ほとんどの方がこの質問に無言になってしまうので、「通常の小学校で行っているような教科書に沿った勉強はどうしているのかという意味ですよね?そうだとしたら、全くやっていません。もちろん、子どもたちの気が向いた時にはその時間にとことん付き合うようにはしていますが、ほとんどありませんね。」と答えます。「あとから追いつけるんですか?」と聞かれますが、「追いつく必要はないと思っています。日本で生活していくために必要なことは、思いつく限りわたしなりに子どもたちに伝えるようにしていますし、親以外の人の価値観に触れる時間や機会も多く持てるようできる限り努力はしています。」と答えています。

不登校がはじまったばかりの頃は、座学を子どもたちにやらせようとしていた時期もありました。しかし、子どもたちの反応を見て「これはこの子たちのためになっていない。わたしが安心したいがためだけにやっていることだな。」と気が付き、すぐに辞めました。

学校と向き合い精神的にボロボロになっていた子どもたちを癒してくれたのは、ゲームという存在でした。子どもたちが不登校になり、今日1日何をし過ごすのかを自分で管理するようになると、子どもたちはものすごく早起きになりました。学校へ行っていたころよりも早起きし活動を開始するので、それはそれで良いことだなと思い、時々、「どこか行きたいところはない?」と聞きながら、3ヶ月ほどゲームにのみ没頭する時期が続きました。

ゲームにばかり集中し、他の事が目に入らなくなっている姿を見て、もちろん不安になることも多々ありましたが、そんな時は自分に問いかけます。「それは誰の不安?私の不安?子どもの不安?」と。だいたいは母の勝手な不安です。大人の不安を子どもに押し付けることだけはやめようと努力しました。

ある日気が付くと、子どもから自分を否定するような言葉が出なくなっていました。ゲームをやってみて思ったことや、YouTubeを見て感じたことをたくさん話してくれるようになっていました。わたしもできるだけ、一緒にゲームをしたり、一緒にYouTubeを見て過ごしました。

その後、子どもたちの様子を見て、家にいる時間は家族の時間。家族の中にもルールは必要だと思う。困ったことがあったら話し合ってルールをつくっていこうと話し、最低、月に一度は家族会議をしたいと提案し、承諾を得ました。


家族会議の議題は様々。

・お小遣い制を導入してほしい(長男から)

・家事もやってもらいたい(母から)

・外遊びにもっと付き合ってもらいたい(次男から)

・行きたい場所を言った時に「えー」って言うのやめて(長男から)

・ゲームに夢中になっている時に家事やってをやめてほしい(次男から)

・ゲームやりすぎ心配だから減らして(母から)

などなど・・・。その都度、なぜそう思うのか。解決のためにはどうなる(する)のが良いのか。解決に向けて必要なルールとは何かをとことん意見を出し合い、次の会議までに決めたルールを実施してみて、その結果どうだったのかを議論し、不都合なことはまた変えていく。

これを繰り返すうちに、子どもたちは「自分が何をしたいのか」をよく考えてくれるようになりました。

「何がしたいのか」「何をしてみたいのか」を自分で考えてくれるようになると、こちらとしてはとても楽ちんで、あとはそれを全力でサポートするのみ。時には、母から子どもたちへ「こんなの見つけたけどどぉ?やってみない?」と提案することもありますが、半分は却下されます(笑)しかし、言ってみた半年後に「前に言ってたあれ、やってみようかな。」と言ってもらえることもあり、手応えを感じると嬉しくなりました。

子どもたちが「やってみたい」と思ってやってみたことをしたあとには、それがどうだったかの話しや議論にも花が咲き、意見交換が活発になり、子どもたちがどんなことでどんなことを感じるのかを母が知り得る機会にも繋がり、子どもたち自身にとっても、強く心に残り、いつかその経験が役立つ日が来るのではないだろうかと思っています。実際に、すぐにその機会がやってきたことも何度か目にしてきました。

「あ!学んでる!!」「あの時のあの経験からだ!」と感じた時の嬉しさ。たまらないものがあります。

この経験からわたしは、【自己決定】の経験値が、【子どもの成長へと繋がる】と確信しました。自分で決めたことが失敗しても、成功しても、どちらにしても「成長」には繋がります。失敗も、結局は良い経験になるので、「失敗」ではなくなり、そう考えると、失敗など存在しないことにも改めて気が付きました。

最初は、子どもとずっと一緒にいる生活リズムがつかめず、仕事ができないことにもイライラし、心に余裕がなくなってしまうことも多々ありました。しかし、そんな感情が浮上してくるたびに、わたしは何でも子どもたちに相談しました。ひとりになる時間がほしいことも、仕事がしたいと思っていることも、余裕が無くなると感情的になり、子どもたちに甘えて怒りをぶつけてしまうことも、わがやの財政状況は豊かではないということも(笑)

子どもたちはとても柔軟にこちらの気持ちを受け止めてくれます。もちろん、すぐに解決できないこともたくさんありますが、それでも、問題の共有はできているので、分かち合うことはできました。

こうして、わがやの不登校1年目の生活はあっという間に過ぎていきました。

わたしは、この生活そのものが「学習」「勉強」だと思っています。座学が必要不可欠だと感じている方には不安になる生活かもしれませんが、わたしは年々、「こうしていてよかった」という想いが強くなっていて、座学をしていないことへの不安は少なくなっていく一方です。

それは、目の前にいる子どもたちのはじける笑顔と成長ぶりを、肌で感じることができているからだと思います。

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