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「捨てられた建築デザイナーは秘密を抱えた天才建築家に愛される」第1話

<あらすじ>
由紀は同じ会社の春馬と同棲し、幸せな日々を送っていた。
由紀が考えたデザインを取り入れた案をコンペに応募した春馬は見事『銀賞』に。 一躍有名になった春馬の浮気相手は社長令嬢、そして由紀は不当解雇されてしまった。
住むところも仕事も失った由紀を助けてくれたのは……?

<本文>
 ドイツ郊外。
 商業施設の内覧会に招待された建築家リッカは、建物の内部を満足そうに眺めた。
 
「計算通りだな」
 持続可能を念頭に置き、気候や資源に配慮したハイブリッド・ティンバー・モジュラー工法で建設されたこの建物は、リッカのこだわりが詰まった作品。
 日本の『和』を融合させたヨーロッパ最大級の木造ハイブリッド建築だ。
 
「リッカ、日本に帰るんだって?」
 建築家仲間のスチュワートの問いにリッカは首を横に振る。
 
「爺さんの事務所を片付けに行くだけだ」
 リッカの祖父も建築家。
 祖父は日本で建築事務所をやっていたが、病気になり続けていくことが難しいと判断し、従業員は全員他の事務所へ転職させた。
 あとは事務所の片付けをし、退去するだけ。

「すぐにドイツに戻ってくるよ」
 リッカは森林に囲まれた美しい商業施設と青空を見上げながら、次はどんな建物を作ろうかと子供のように笑った――。

    ◇

 本屋の雑誌コーナーに陳列された建築雑誌を手にした由紀は、表紙の写真に釘付けになった。

「……すごい」
 大きな窓ガラスやタイルを使用しているにも関わらず、木々に囲まれたその建物は自然と融合し、その場にあるのが当然かのような佇まいに見えた。

「……ドイツの、商業施設?」
 ドイツ郊外にできたばかりの商業施設をデザインしたのは、有名なドイツの建築家リッカ。
 年齢も性別も、すべて非公開の建築家だ。

「これもリッカなんだ」
 学生時代から何度か雑誌でリッカの建築物を見たことがあったが、最新作がこの商業施設。

「ホントにすごい」
 由紀は同じ雑誌を二冊手に取ると、彼と同棲中のマンションへと急いだ。

「遅いよ、由紀」
「ごめん、本屋に寄っちゃった」
 由紀は荷物を置きながら春馬に「すぐご飯作るね」と伝えた。
 手を洗い、冷蔵庫から食材を取り出すと慣れた手つきで料理を作っていく。

 味噌汁は春馬の地元に合わせて赤だし。
 ブリの煮付けは少し甘く。
 肉じゃがには春馬が嫌いな人参は入れない。
 サラダはドレッシングを多めに。
 朝タイマーをセットしておいたご飯をよそったら夕食の完成だ。

「お待たせ」
「んー、すぐ行く」
 リビングのソファーに座りながらスケッチブックに書いている春馬の顔は真剣。

 カッコいいなぁ。
 由紀は地味な自分にこんな素敵な彼がいるなんて未だに信じられなかった。

 春馬は同じ職場の先輩。
 三ヶ月前に付き合おうと言われ、実家に仕送りしているという私の境遇を知り、同棲しようと言ってくれた優しい人だ。
 彼は大学院在学中に一級建築士の試験に合格し、入社後実務経験を積んで免許を取得している。
 春馬が設計した超高層ビルは現在建設中で、完成したら都内で一番高いオフィスビルになるだろう。

「仕事?」
 由紀はなかなかダイニングに来ない春馬を呼びにソファーに近づいた。
 
「これに挑戦しようと思って」
 テーブルの上には、先日社内で展開されたコンペのお知らせが乗っている。
 一級建築士のみ参加可能なので二級建築士の由紀には参加資格がないオフィスビルのコンペだ。

「わ! すごい! がんばって!」
「今さ、ここを悩んでいるんだ」
 エントランスを広く見せたいけれどうまくいかないと春馬はいくつかの案を由紀に見せる。

「あ! この前出張で行った金沢でね」
 由紀はカバンからスケッチブックを取り出し、春馬に見せた。

「なるほど。これだったら空間が広く見える」
「うん、錯覚だけどね」
「すごいよ由紀! これ取り入れてもいい?」
「もちろん!」
 春馬の役に立てたなら嬉しい。
 
「このスケッチブック借りていいかな」
「いいよ」
「ありがとう。あぁ、お腹すいた」
 いい匂いがするという春馬と二人でダイニングテーブルへ移動し、他愛もない話をしながら食事をする。
 おいしいと言いながら残さず食べてくれる春馬が好きだ。
 食事を作るのは由紀、片付けは春馬。
 家事も分担してやってくれるし、本当に幸せすぎて困るほど最高の彼氏。

「はい、コーヒー。由紀はミルク多め」
「ありがとう」
 食後に淹れてくれる春馬のこだわりが詰まったコーヒーも好き。
 こんなおいしいコーヒーを毎日家で飲めてしまうので、インスタントコーヒーが会社で飲めなくなってしまいそうだ。

「何の雑誌?」
 ソファーで由紀が見ている雑誌を春馬が覗き込む。
 
「あ! 見て見て! これリッカなの。すごいよね」
 大興奮の由紀を見ながら春馬もソファーに座った。

「ドイツの商業施設なんだけど、」
 木とコンクリートのモジュラーシステムが採用されていて。
 木製の柱とプレファブリケーションの木材を用いたハイブリッド・スラブパネルで。
 床から天井までの連続窓も綺麗で、ガラス張りのエントランス・エリアの大きなパノラマ窓も素敵で。
 豊かな日照のおかげで人工照明は最低限。
 それでね、と由紀の熱弁が続く。

「……相変わらずリッカが好きなんだね」
 妬けるなと肩をすくめる春馬に、由紀は「ご、ごめん。語りすぎた」と頬を赤らめた。

「リッカって女性? 日本人?」
「うん、たぶんね。『和』の美って言ったらいいのかな、今回の建物にも桜とかね、日本っぽいデザインが入っていて。ほらここ」
 由紀は柱にデザインされた桜の模様を指差した。

「この柱が桜の木みたいな演出だね」
「吹き抜けになっていて、桜の木が建物を支えているみたいで、ホントにすごいの!」
 憧れの建築家だと由紀が嬉しそうに語ると、だから「同じ雑誌が二冊なんだね」と春馬が笑った。
 閲覧用と保管用だ。
 雑誌は特に先に買っておかないと手に入らなくなってしまうので、リッカがついた雑誌は必ず二冊買うようにしている。
 
「さ、俺もコンペのデザインをやろう」
「がんばって」
 由紀のスケッチブックと、自分のスケッチブックを広げながらアイデアを出していく春馬の横で、由紀は建築雑誌を食い入るように眺めた。
 
 リッカの商業施設がついた雑誌に夢中で、由紀はすっかりスケッチブックのことを忘れていた。
 翌朝カバンに戻されていたスケッチブックに何の疑問も持たず、いつものように出社。
 いつものように仕事をして、夕飯を作って春馬と食べる。
 父の病院に今月分の支払いをし、母には別で仕送りを送金。
 春馬が一緒に住もうと言ってくれたおかげで、生活がとても楽になった。
 
 そして幸せな一ヶ月はあっという間に過ぎていく。

 いつものように会社に出社した由紀は廊下の人だかりに驚いた。
 ちょうど掲示板があるあたりに集まった人々。
 その中心は春馬だ。

「すげな。おめでとさん」
「大変なのはこれからだぞ」
 先輩たちにバシバシ叩かれながら揶揄われている春馬は照れ笑いをしているように見えた。

「あ、由紀。おはよう。見て見て、春馬くんすごいよ」
 同期の菜々美に腕を引っ張られながら掲示板の前へ。
 
「コンペ……優秀賞!」
 オフィスビル社内コンペ優秀賞:宮崎春馬。
 作品名:空の彼方。
 掲示板に貼られた社内コンペの結果に由紀は目を見開いた。

「すごい……」
 これは以前、リビングで春馬が考えていた一級建築士しか挑戦できなかったオフィスビルのコンペだ。
 ベテランの先輩たちもおそらく挑戦した中で、春馬が優秀賞……!
 すごすぎる!

 おまけのように印刷されたコンペの作品は、小さすぎて細かいところがよくわからない。
 タイトルから想像できる通り、空を反射するようなガラスの建物なのだということはわかるけれど。

 もっとしっかり見たいな。
 だが、たくさんの人に囲まれた春馬に近づくことは出来ず、由紀は自分の席へ向かった。

「……あ、春馬からだ」
『先輩が飲みに行くぞって。ごめん、夕飯いらない』
『わかった〜』
 スマホに表示されたメッセージに返信すると、すぐにごめんのスタンプが送られてくる。
 二人でお祝いしたかったけれど、仕方ないよね。
 みんなお祝いしたいよね。
 由紀はマンションの近くの牛丼屋さんで夕飯を食べてから帰ることに決めた。

 その夜は春馬に会う前に眠ってしまった。
 翌朝はバタバタしながら出勤し、仕事中は春馬と話す機会がなく、由紀がコンペ作品を見せてもらえたのは夜。
 
「……え? これって」
 デザイン画のコピーを見せてもらった由紀は、見覚えのあるデザインに驚いた。


第2話:https://note.com/izumichris/n/n438ba0788a02

第3話:https://note.com/izumichris/n/n82b91d4b1172

第4話:https://note.com/izumichris/n/nba456a188b32

第5話:https://note.com/izumichris/n/n7704201c190d

第6話:https://note.com/izumichris/n/n92a527a13c37

第7話:https://note.com/izumichris/n/n858f092e829b

第8話:https://note.com/izumichris/n/na69f93aef85b

第9話(完結):https://note.com/izumichris/n/n79975fe4e87d


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